第14話

3



「俺さ、マルちゃん、たまに苦しそうな顔するなって思ってた。誰も責められないから苦しかったんだね」

 

 苦しそう? 

 そんな顔、してたかな。

 言われるくらいだから、してたんだろうな。


「……分かってるの。お父さんは職場が遠くなって、今、すごく早く家を出ていくの。お母さんは介護のために好きだった仕事辞めて。おばあちゃんだって、言わないけど身体が思うように動かないの、悔しがってる。我慢してるのわたしだけじゃない。分かってるけど」

「やりきれないよな」


 永人くんが、言葉に詰まったわたしの気持ちを正確に代弁してくれた。


 その瞬間するっと何かがほどけるような感覚がして、また涙がこみあげる。


 ダメだ。泣くな。

 また永人くんを困らせる。


 そう言い聞かせて、下を向いて必死で我慢する。

 

 こんなふうに本音を聞いてくれる人、もうわたしのそばにはいない。

 ましてこんなウジウジした本音にきちんと耳を傾けて、嫌な顔をしないでいてくれる人。

 これ以上ダメなところ見せたくない。

 嫌われたくない。

 

 そう思ったとき、前髪の上にふわりと何かが触れた。

 びっくりして顔をあげると、永人くんがパッと手のひらを浮かせる。


「あ、強かった?」


 一瞬何が起こったか分からなかった。でも、 


「ごめん。慣れてないのモロバレ」


 って、永人くんがはにかむから、理解する。


 頭をなでて、励ましてくれたのだ。


「あ、ありがとう」


 舌がもつれそうになりながら、なんとかそれだけを伝える。


 さっきまで泣くのを我慢していたのに、一瞬で忘れそうになってる。

 胸が熱い。


「あ……」


 知らないうちに力が入っていたのか、ハチが身をよじってわたしの腕の中から逃げ出した。

 トコトコと広間の方に歩いていって、お昼寝している黒猫のお尻のにおいをかぎに行く。

 

 そんなハチを目で追っていた永人くんが、ふとつぶやいた。


「ハチの飼い主、手近なところで探せないかな」

「え?」


 聞き返すと、永人くんは「だってさ」と口調を強くして言うのだ。


「俺、自分がマルちゃんの立場だったらって、考えただけできつい。猫もばあちゃんも選べないよ」

「そう……かな。うちの親は、家族とペットじゃ選ぶまでもないって」

「ああ……うーん……どうだろ。ふつうの家ならそうなのかな。でもうち、母子家庭でさ。猫は俺にとって兄弟だもん。離れるのとか、絶対無理」

「それは、すごく分かるよ」


 わたしも同じ気持ちだ。

 だから最後まで両親に抵抗して、今でも引きずったまま、ハチのことをあきらめきれずにいる。

 

 永人くんは腕組みして「ううん」とうなった。


「ここで里親が見つかったら、間違いなくハチのこと大事にしてくれるとは思う。けど、マルちゃんはもうハチに会えなくなるかも知れない。知ってる人がもらってくれたら、マルちゃんも会いに行けるよね」

「うん……。でも、わたしこっちに知り合いいない。人見知りだし、恥ずかしい話なんだけど、わたし、まだ学校で友だちできなくて」

「え、そうなの? てか、え? 人見知り? 俺ふつうにしゃべってると思ってたけど」

「永人くんは話しかけてくれるからだよ! クラスでは、ぜんぜん。たぶん、負のオーラとか出てたんだと思う。ハチと別れたり、友だちと離れたりで、わたしひねくれてたのかも。教室ではスマホの中の思い出ばっかり見てて。自分から話しかければいいのに、それもしないで」


 言ってて本当に恥ずかしくなってくる。

 穴があったら頭まで埋まってしまいたいくらい。

 

 だけど永人くんは、こんなわたしを否定しなかった。

 ダメ出しもせず、あきれもせず、


「そっか」


 と、うなずいて、しばらく黙って何か考えて、何かかみしめて、


「俺、マルちゃんに話しかけてよかった」


 なんて、真面目な顔でしみじみ言う。


 ほんのりと、胸の中があたためられるような心地がした。

 出会ったばかりの人にこんな気持ちをもらえるって、すごくうれしいことだ。

 わたしこそ、あの日永人くんに声をかけてよかった、って思う。

 

 ふいに永人くんがわたしの方を見た。

 いきいきとした目をしている。


「マルちゃん。俺、探すよ。近いところでハチの飼い主。うちで飼えたらいいけど……家狭いし、だんごの性格的に多頭飼いが合いそうにないから難しいけど。猫好きの人何人か知ってるから、そっち当たってみる」

「本当に? いいの?」

「もちろん。だんごがお世話になった分、お返ししないとね。あ、でも、今はこっちに集中しなきゃ。せっかく来たし、思う存分猫にまみれよう!」


 そう宣言した永人くんは、準備運動するみたいに腕を振って、プレイルームの真ん中へ。

 うんと腕を伸ばしてキャットタワーの上の方にいる白猫ちゃんにごあいさつする。


 その、猫に向けられるやさしいまなざし。ゆるんだ口元。


「……ハチ、永人くんかっこいいね」


 わたしの足元に戻って来たハチを抱っこして、三角の耳元でつぶやく。

 

 ハチは金色の目でじーっとわたしの顔を見つめ、ふいに、大きく口を開てあくびをした。

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