第9話
2
一方、永人くんはわたしと正反対で、肩にかけたカバンを下ろしてこっちを向いて、
「改めて、あのときはありがとうございました」
って、プラカップを斜めに差し出してくる。
「い、いえ。どういたしまして。こちらこそ、ありがとう。いただきます」
なぜかばか丁寧にそう言ったあと、プラカップのコーヒーで乾杯。
のどの渇きに急かされてストローをくわえ、いっきに吸いこむ。
冷たいカフェラテが筋を通すように身体の奥まで入りこんでいって、心地いい。
「おいしー」
「あ、お菓子もあるよ。食べて」
そう言ってコンビニ袋を開ける永人くん。
イチゴ味の大きなクッキーは、確か新発売だ。気づかい上手だなあ。
「……モテそう……」
「え?」
うわあ、心のつぶやきが声に出てた。
きょとんとする永人くんに、あわてて弁解する。
「あ、ううん。永人くんモテそうって思っただけ!」
「えぇえ? 俺モテないよ?」
「ウソだあ」
「ウソじゃないって。ぜんぜんだって」
永人くんは苦笑いで否定するけど、絶対ウソだ!
モテない人があんなナチュラルに名前呼びしたり女の子誘ったりできるわけがない。
でも、だからと言ってチャラいとは思えないから不思議だ。
永人くんは誠実そう。
――って思えるのは、猫のためにウッドデッキの下に頭をつっこんでいる彼を見てるからかな。
なんて考えていると、ヨレヨレになったあの日の永人くんが脳裏に浮かび、ついつい思い出し笑いしてしまった。
「そうだ。猫ちゃん元気にしてる? あのあと何もなかった?」
「うん。おかげさまで。――あ、そうそうあのときの借りもの、返さなきゃ」
永人くんがいったんカップを横に置いて、カバンの中を探り始めた。
そして手のひらサイズのピンクの袋を取り出したかと思うと、「はい」と差し出してくる。
わたしは、目をまたたかせた。差し出されたものが、赤いリボンと金色のシールがついた、いかにもプレゼントっぽい包装になっていたからだ。
「なに、これ?」
「ごめん。実はこないだのハンカチ、洗って返そうと思ってたんだけど、だんごがすげー気に入っちゃってさ。気づいたときには爪で穴あけちゃってたから、そのかわり」
「い、いいのに。わたし言ったよね。あれ、オマケでついてたやつだよ」
「でも、もらいっぱなしってわけにはいかないよ。ただでさえ助けてもらってるのにさ」
永人くんがにこっと笑う。
誰でも毒気を抜かれそうな、癒し系のほほえみだ。何も言えなくなってしまう。
「まあ見てみてよ。気に入ると思う。けっこう自信ある」
「う、うん……」
永人くんの笑顔に負けて丁寧に包みをとくと、中からパステルピンクのガーゼハンカチが出てきた。
端に茶トラの猫が刺繍されている。
思わず笑ってしまった。
「この猫、だんごそっくり!」
「だろー? うちの子自慢みたいでごめんだけど。でもあいつかわいいから」
永人くんが真顔で断言する。
なんとなくそんな気はしてたけど、この人、親ばかならぬ猫ばかだ。
「永人くん、だんごのこと大好きなんだね」
「うん。溺愛してる」
今度は輝く笑顔できっぱり宣言。
わたしも猫好きだから気持ちは分かるけど、こうやって猫への愛を臆さず口に出す人にはじめて出会ったから、新鮮だ。
わたしはあったかい気持ちでハンカチを見つめた。
「本当にもらっていいの?」
「いいの。ていうか、女子向けの雑貨屋に突撃した俺の勇気をくんでよ」
「そんなふうに言われたら断れなくなるけど……」
「でしょ?」
にんまりしてそう返されて、意図せずハンカチを持つ手に力が入る。
「でしょ?」って、分かって言ってるんじゃん!
モテる人のやることじゃん!
「……ありがとう。大事にします……」
なんだか完敗した気分で、わたしはもらったハンカチを包みごと丁重にカバンにしまった。
永人くんの満足げな表情がちょっと悔しい。
「あーよかったー」
永人くんが後ろに手をついて空を仰いだ。
「これですっきりした。お礼したいって言っときながらなにもできなくて、ずっとモヤモヤしてたんだよ、俺」
「あ、あの、永人くん。本当、これだけは言っとくけど、おおげさだよ。わたし大したことしてないからね」
「おおげさなんかじゃないって。俺、毎日だんごに言い聞かせてるから。こうやって遊べるのはあの子のおかげだぞって」
毎日って、それこそおおげさだ。
でも永人くんの猫好きは筋金入りだってことがすぐに判明する。
スマホに保存されているだんごの写真を見せてくれたんだけど、その数がすごいのだ。
ひょっとして猫の写真しかないのかも、っていうくらい、次々と猫の写真や動画が出てくる。
中にはブレブレの写真も多いけど、猫好きのわたしにはそれも「あるある」だって分かる。
猫ってジッとしてないし、機敏だから残像しか撮れないことも多いんだよね。
それでも、かわいい写真は山ほどある。
身体を丸めてニャンモナイトになっているだんご。
あくびしているだんご。
おなかを見せて伸びているだんご。
真正面の顔はあんがい少ない。
だんごは太めの猫ちゃんだから、ぶーってふてくされているように見えて、そこがまたたまらなくかわいい。
「……いいなー。毎日モフモフできるの」
猫と猫愛にあふれた写真。
思わずそうつぶやくと、横で画面をスライドしていた永人くんがぴたりと手を止めた。
見上げた彼の顔からは穏やかな表情が消えている。
永人くんはわたしの目をじっと見つめて言った。
「マルちゃん。こないだ否定してたけど、やっぱ猫飼ってたよね?」
ストレートに聞かれて、内心ぎくりとする。
こないだはわたし、黙ってしまったんだっけ。
でも否定してもバレバレなので、こくんとうなずく。
「今はいないの?」
「うん」
「……死んじゃった?」
永人くんが声をひそめた。
わたしの肩にぐっと力が入ると、それにもすぐに気づいたらしい、「ごめん、直球で」とあやまり、うつむき加減でメガネのブリッジを押しあげる。
「こないだちょっと悲しそうな顔してたから、気になってたんだよね」
「あ、ううん。大丈夫。死んじゃったわけじゃないから」
「……そうなの?」
「うん。手放したの。飼い主失格だよね」
自分で言ったことが、自分の胸にグサッと刺さる。
かわいくてかわいくて、それこそスマホのフォルダいっぱいにあふれているハチワレ猫の写真。
わたしのかわいいハチ。
でも、あの子はもういない。
「なんか事情あるんでしょ?」
やさしく降り注ぐような永人くんの声に、のどの奥がぐっとつまる。
「こないだのマルちゃん見てたら分かるよ。猫を大事にする人だって。事情あるから手放したんでしょ?」
永人くんが言葉を重ねるたび、熱いものがこみあげてくる。
――ダメだ。泣く。
迫るような兆しに、わたしは思わず立ち上がっていた。
「――ごめん。わたし帰るね。カフェラテごちそうさま。ありがとう」
「あ……」
なにか言いかけた永人くんを、振り返る余裕もない。
飲みかけのカフェラテを握りしめ、わたしは公園を斜めに走り抜ける。
残った氷がカップの中でガラガラと暴れ回っていた。
カップについた水滴が腕を伝って服の中に入りこんできて、不快だ。
でも、なにより嫌なのは自分自身。
コミュ障で弱くて逃げ癖がついてて。
こんな自分、大嫌い。
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