第4話
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「本当にありがとう。おかげで助かったよ」
だんごを無事にキャリーの中に入れ、ひとまず公園に移動した彼は、もう一度丁寧にお礼を言ってくれた。
心配事がなくなった彼はすっきりした表情で、なんだかさっきまでより数段キラキラして見える。
今さら緊張して、わたしはそわそわと髪を触ってばかりだ。
「ねえ、よかったらマタタビ引き取るよ。封開けちゃったし、お金も払う」
彼がそんなことを言い出したので、わたしはびっくりして手を振った。
「あ、いいんです。あげます。もう使わないから」
「え? なんで?」
ポケットを探りながらきき返されて、わたしはぎくっとして下を向いた。
適当なことを言って誤魔化せばいいのに、こんなとき、わたしの頭はうまくはたらいてくれない。
結果として黙ってしまって、へんな空気が流れてしまった。
でも、それが幸いした。
下を向いたから気づいたのだ。
キャリーの扉が開いてるって!
わたしは叫んだ。
「扉! 開いてます!」
「え? ――うわ、なんで!」
遅れて気づいた男の子が、慌てて扉を手で押さえた。
すると、バランスが崩れてキャリーが大きく傾き、中でだんごがにゅーっと細い悲鳴をあげた。
「うわ! ごめん、だんご!」
また二人で一緒にその場にしゃがみこんで、彼は網目になった天井からだんごの様子を見、わたしは扉の方を確認した。
だんごは少し驚いたみたいだけど、暴れたりパニックになったりはしていなさそうだ。
よかった。
でもワイヤーネットの扉は、見た目はあまり問題なさそうだけど、閉めてみると留め具のかみ方がゆるいことが分かる。
わたしは指先で留め具をいじりながら、「うーん」とうなった。
「部品がゆがんでるみたいですね。転んだときにどこかにぶつけたのかも……」
「うわ、マジか……手で押さえて帰るしかないな」
「でも、両手でしっかり持たないとバランスが悪くなると思います。ぐらぐらするとまた猫ちゃんが不安になって逃げちゃうかも」
「それは困る。すげー困る。……どうしよ……」
ついに頭を抱えてしまった不運すぎる彼を、わたしはやっぱり放っておけなかった。
少し考え、制服のブレザーのポケットに手を入れる。
よし、あった。
「これで結びましょう。家につくまでの応急処置にはなると思います」
取り出したのは、猫の足跡がちらばっているデザインの、ピンクのハンカチだ。
彼が「あっ」という顔をしている間に素早くハンカチを帯状に折って、扉と本体に通して、しっかりと端同士を結ぶ。
扉が網目状だから助かった。こんな簡単な処置でもしっかり閉まってくれる。
「できた! これで大丈夫だと思います!」
我ながら完ぺき!
すっかり満足してそう言うと、彼はキャリーの中の猫を見、続けてわたしの方を見、心が芯からとけだすような、長い安堵の息をついた。
「ありがとう。ホント、ありがと。ハンカチ、必ず返すよ。家近いんだよね? どのへん?」
「あ、いいんです。ハンカチはキャットフードのオマケだし、マタタビも、爪とぎについてたやつですから。猫ちゃんにあげます」
「でも悪いよ。キミんちの猫のものじゃん」
「へっ……」
「え? 猫、飼ってるんだよね?」
わたしがおかしな反応をしたせいか、彼が不思議そうに目をまたたかせた。
まあ、ここまでの流れでそう思うのは当然だ。
でも事実は違う。
わたしは猫を飼っていない。
チクリと胸が痛み、顔が強ばりそうになった。
だからわたしは笑った。
思いきり笑った。
「とにかく、気にしないでください。――じゃあ」
素早く身をひるがえし、自転車のハンドルに手をかける。
切なさが駆け足で背後に迫っている。
うかうかしていると足をとられ、心を支配され、目が潤んでしまう。
逃げるように、わたしは自転車にまたがり、思いっきりペダルを踏みこんだ。
「あ、ねえ!」
静かな住宅街に彼の声が響く。
「俺、
必死の声に、影が差し始めていたわたしの心がほんのりとあたためられる。
少し振り返ると、彼が全力で手を振ってくれて、わたしもちょっとだけ手を振って応えておいた。
でもきっと、もう会うことはない。
まあいいかな。
彼と彼の猫のおかげでパッとしない一日が最後の最後でちょっとだけ変わった。
毎日がため息であふれているわたしにとっては、それだけでおつりがくるくらいだ。
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