第六章

第29話

貴也さんと離れて数日。



私はもう既に後悔していた。



「離れても、意味無い……」



ホテルの窓から海を見ながら、椅子に座って膝を抱えて呟く。



「……会いたいな……」



あの優しい声で名前を囁いて、温かい腕で抱きしめて、甘やかして欲しい。



自分は何て勝手で、わがままなんだろう。



切っていたスマホの電源を、付けるか付けないかで悩んで、指に力を入れては抜いてを何度も繰り返す。



勇気が出ない。



自分じゃない誰かの隣で、幸せそうに笑う貴也さんの姿を、見る事は出来ない。



見たくない。



他の誰かの名前を、優しく甘く呼ぶのも聞きたくない。



「欲しがっちゃ、駄目だ……」



あんな素敵な人、私なんかが欲しいと思うのは駄目だ。



でも、やっぱり気になって、スマホの電源を入れた。



「……貴也、さんっ……」



画面に通知がある。物凄い数の着信と、メッセージ。



全部、貴也さんだ。



ただ、それを見るのが、怖い。



「どうしよっ……」



怖いけど、見たい。



「ひ、一つ、だけっ……」



震える指に力を込めて、最初のメッセージを開く。



〝戻って来ては、くれないの?〟



短いけれど、彼の悲しそうな顔が浮かぶような気がする文。



一つ見ると、歯止めが効かなくなって、次々にメッセージを開く。



〝何処にいるの?〟 〝君がいない部屋は、寂しい……〟 〝俺を嫌いでもいいから、戻って来てくれないか?〟



【迪香、君に、会いたい……】



涙が溢れて止まらない。



涙で画面が見えなくて、目を閉じる。



「貴也さっ……ひっ……く……貴也さんっ……貴也ぁっ……っ……」



私も、会いたい。会いたくて、会いたくて、会いたくて、苦しい。



嗚咽が漏れる事も気にせず、私は子供の様に大声で泣いた。



どのくらい泣いたのだろう。



泣きすぎて頭と目が痛い。



貴也さんから離れるなんて、やっぱり私には無理だ。



傍に、いたい。



一番じゃなくてもいい。傍に、近くにいたい。



―――ピロンッ。



メッセージが届く音。



相手は、貴也さんじゃない。



「蒲田……さん……」



メッセージを開く。



「っ!?」



〝ご無沙汰しております。奥様はお元気にしていますでしょうか。

奥様がいなくなって、社長がお食事も睡眠もろくに摂らず、ボロボロになっている様を、私は見ていられず、こうして連絡させていただきました。

正直、あなたの居場所はとうに見つけて知っていましたが、あなたにも思うところがあるのだと思い、連絡を控えておりましたが、さすがにもう限界のようです〟



言葉にならなくて、私は立ち上がる。



〝戻ってきては頂けないでしょうか。社長の話を聞いて下さいませんか? あんな社長を見るのも初めてで、私も些か困惑しております。それだけあなたの存在が大きいのでしょう。どうか、考えていただけないでしょうか。無理やり連れ戻す手もありますが、それでは意味がありませんから、致しません。

もし、少しでも希望があるのでしたら、私に連絡を頂けますか? お迎えに参ります〟



文面はこれで終わっていた。



どうして貴也さんは、私なんかがいないだけで、そんなになるのか。



その答えに、期待してしまう。



私は覚悟を決めた。



もし、貴也さんがただ寂しいとか、他の下らない理由であったとしても、それでもいい。



やっぱり彼の隣にいたい。偽物でも、奥さんでいたい。



私はメッセージを送った。

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