第17話
会場から少し離れた場所で、ガクガクと震える足から、力を抜いた。
床に座り込み、お酒のせいで熱くなった体を抱きしめた。
「はぁ……早く、帰ろ……」
足に再び力を入れ、立ち上がってから、してはいけない期待をしてしまって、後ろを振り返る。
誰もいない廊下が、私の胸を締め付けた。
自分の愚かさに鼻で笑い、歩き出す。
所詮紙だけの関係だと言いながら、何処かで彼は少しでも自分を気にかけてくれているのだと、そう過信していたのかもしれない。
さっきの彼女なんかじゃなく、私を優先してくれるのだと、馬鹿げた事を。
よく考えたら、私みたいな何もない女と、若くてキラキラした甘い女の子の方がいいに決まってる。
それでも、彼だけは私を優先して、私だけを求めて、愛してくれると、信じたかったのかも知れない。
だから、こんなに胸が潰れそうに痛くて、涙が出そうになるんだ。
「お酒なんて、飲むもんじゃないな……」
そうだ。こんなおかしな事を考えるのも全部、お酒のせいだ。
明日になってお酒が抜けたら、きっといつも通りに戻れる。
大丈夫だ。
私は一人でも、大丈夫。
自分が思っている以上に、体に力が入らないようで、フラついてよろける。
―――フワッ。
体が宙に浮いた。
「まったく、俺の愛しい奥様は、こんなに手のかかる奥様だったかな」
「……ど……して……」
目の前の状況が信じられず、言葉がちゃんと話せない。
「何でそんなに驚くの? 大切な妻を夫が迎えに来たら、変かい?」
「でも、彼女は……」
「ああ、あの子には前々から手を焼いていてね。実は今日は彼女にも俺と君との仲を分からせるつもりで招待させたんだが、裏目に出てしまったよ。完全に俺のミスだ」
疲れたようにため息を吐いた貴也さんが、ふわりと優しく微笑む。
「不安にさせたね、すまない……。でも、少しは俺を信じて欲しいな。言っているだろう? 俺は君を大切にしたいと」
駄目だ。この人に絆されてしまう。
これが契約の上で出た言葉だとしても、こんなにもストレートな愛情表現を、私はこの人以外にぶつけられた事がない。
彼からの言葉が、嬉しくて仕方ない。
降参だ。認めるしかない。
私は、彼を、愛してしまった。
お金だけでいい。それ以外はいらないと言って強がっていた頑なな私の心が、彼のくれる優しくて温かな言葉に溶かされていく。
「泣かないで……俺まで悲しくなってしまうから。あ、でも、君の泣き顔は、ある意味そそるかもしれないな……」
「バカっ……変態っ……」
「うん、俺は君に関しては変態だと自負しているつもりだよ」
悪びれる様子もなく、爽やかに笑った貴也さんに釣られるように、私も笑った。
「体平気? 気分は?」
「お酒のせいで、体が熱くて力が入らないくらいで、気分は大丈夫です」
心配してくれる事が嬉しくて、彼の首に腕を回して首元に頭を凭れ掛ける。
「熱烈なお誘いと取ってしまうよ?」
私は何も言わず、ただ一度だけ頷いた。
「じゃぁ、早速、二人でもっと熱くなる事をしようか……」
頬擦りされ、前髪が揺れる。
貴也さんに横抱きにされたまま、身を任せる。
エレベーターで、最上階へ。
一室に入って、その部屋の広さに圧倒されている間に、ベッドへ寝かされる。
「今日はずっと君のこの美味しそうな唇を、味わいたくてたまらなかったよ……」
「たかっ、ぅ、んンっ……」
噛み付くような、貪るような乱暴なキス。
まるで唇を食べられているような感覚。
唇を舐め上げ、歯が立てられる度に、体をいやらしくくねらせる。
「お酒が入っているからかな……いつもより数倍妖艶で……君のせいで俺まで酔ってしまいそうだ……」
クサい台詞なのに、彼が口にする言葉は全てが甘くて、全てが愛の告白かのよう。
「知ってるかな? 男が女性に服を贈るのは、脱がせたいからだと……」
「ぁ……んっ……じゃ、ぁ……早、くっ……はぁ……脱がせ、て……」
貴也さんの興奮を露にした、熱を含む焼けそうな視線に、体が芯から疼いてたまらなくなる。
「ああ……そんなトロけた顔をして……ほんとに可愛いね……。ずっと君を何処かに閉じ込めて……誰の目にも触れさせたくなくなってしまうな……」
本当にこの人はズルい。
そんな言葉を囁かれたら、いくら紙だけの関係だと分かっているし、割り切っているはずなのに、頭ではそう思っていても、どうしたって惹かれるしかないじゃないか。
我ながらチョロいなと思う。
どれだけ愛情に飢えてるんだ、自分。
このままだと、変な事を口走ってしまいそうだから、わざと貴也さんにキスをする。
「ぅ、ん……はぁっ……お酒の力は凄い……んっ、はっ……えらく情熱的だね……」
「ぁ、もっ、と……さわっ……て……」
もちろんお酒の力がほとんどだけど、それ以上に自分の気持ちに気付くと、どうしても貪欲になる。
彼が甘く蕩けるくらい甘やかすから。
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