第13話
抱かれながら散々好きだと聞かされ、気持ちは分かったのだけれど、そこからがなかなかに大変で。
「あの……鳴沢……」
「……」
「ねぇ、鳴沢」
「…………」
こいつ、とことん返事をしないつもりか。
仮にも今は仕事中で、チームのみんなもいるわけで。
私の事をまるで無視しているみたいに見えて、険悪になっているんじゃないかと、ちょっと心配そうにしている子までいる。
これは、もう腹を括るしかないか。
何でも慣れだ。よし。
「か、か……か……海、吏っ……」
「何だ? 瑞葵」
物凄い満面の笑みがこちらを向き、ミーティングルームでは、どよめきが起こる。
女子社員の視線が痛い。
「えー、俺も先輩の事名前で呼びたいっ! よく考えたら、戌井先輩も部長も呼んでるし、いいっスよね? ね?」
目をキラキラさせて、伊崎が言う。ブンブンと尻尾を振っているように見えるのは、私だけだろう。
「駄目だ」
「駄目だよ」
私を挟んで、男二人が口を揃えてそう言った。
私の事なのに、私に決定権はないようだ。
「別に名前くらいどうって事は……」
「「駄目」」
また揃った。
「でも先輩はいいって言ってくれますもんね」
前に座る伊崎がニコニコしながら、身を乗り出してくる。
そんな目で私を見ないで欲しい。断るなんて出来ないじゃないか。
了承しようとした私の肩に手が回され、座ったまま引き寄せられる。
「駄目だっつってんだろ。しつこい」
口を尖らせてブツブツ不満を言う伊崎に、心の中で謝りながら、肩に置かれた手を払う。
「はい、もうこの話は終わりっ! ほら、仕事するよっ!」
いつまでも遊んでるわけにはいかないし、何より先程から注がれる、女子社員からの視線が痛くて仕方ない。
こういう時の女子を敵に回すのは、できるだけ避けたかったのに。
仕事に支障だけは出したくないのは、海吏も一緒だとは思うから、酷くはならないと期待したい。
その後は普通に通常業務を終え、私は職場から出た。
「お疲れさん」
「なる……」
「またかよ……慣れろよいい加減」
タバコを片手に呆れたような顔で言う。
「だって、結構長く呼んでた呼び方を、突然変えるのって結構難しいんだから……」
うだうだと不満をぶつけていると、気づいたらもう目の前に立たれていて、びっくりして固まる。
「飯、行こうぜ」
「え、あ、うん……」
顔が近いなぁと思っていたら、軽く唇が触れて、優しい笑みが目に映る。
この微笑は反則だ。
そんな顔いっぱいに、愛おしさを貼り付けて笑わないで。
心臓が、うるさくなる。
「何でそういう事をサラッとやってのけるのよ……ここ、会社の前なんだけど……幸い誰もいないからよかったけど、誰かに見られたらどうするのよっ……」
「あ? んなもん、勝手に見せときゃいいだろ」
「つ、付き合ってもないのに、そんな、人前で……き、キス……なんて……」
キスの部分だけを小声で言う。
「じゃ、付き合えばいい」
うん。そういう意味じゃない。
前から思ってたんだけど、何だろうこの男のこの極端な考え方は。
「あんたは、そんな簡単に付き合うとか言えるとこは、ほんとにタラシよね」
「誰にでも言ってるわけじゃねぇだろ。俺はお前にだけタラシなんだよ」
訳が分からなくなってきた。
デレてるのだけは分かるんだけど、こんな奴だったっけな。
「ほら、行くぞ。何食いたい?」
ほら、こうやって自然と手を繋いで、指を絡めてくるところも、凄く慣れていて。
何か、面白くない。
今までどれだけの子を、こうやって翻弄してきたんだろう。
なんて、そんな考えても仕方ない事ばかりが頭を掠める。
別にこの男が今まで誰と付き合っただとか、どんな風だったかとか、私には関係ないし、気にしたところでどうなる訳でもない。
ない、けど。
今の私は、変だ。完全にこの男に翻弄されてる。
こんなんじゃ、先が思いやられるな。
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