第八章
第34話
その日は、母が父を見ても取り乱す事がなく、どちらかといえば好意的で、愛おしそうに笑った。
まるで、恋人に向けるような笑顔を浮かべた。
そして、父の下の名前を、呼んだ。
母は、父に恋をしているんだ。
父が涙を流して母の手を握り、ずっとすまないと呟き続けていた。
私は、姉と病室を出た。
無言で二人、廊下の椅子に座る。
しばらく沈黙していると、姉がそれを破る。
「やっぱ、あの人の中にはアイツしかいないんじゃん」
「あの人が……お母さんを引き取りたいって。償うチャンスが、欲しいって……」
私は姉に父と話した事を軽く掻い摘んで話した。
姉は黙って話を聞いていたけれど、話が終わるとため息を吐いた。
「ほんと、勝手に出てって、勝手に帰ってきて、勝手な事ばっか……」
言いながら、姉は笑った。
どちらにせよ、まだ高校生の私達だけではどうにも出来ないという事もあり、母を父に任せる話に纏まり、私達は病院を後にする。
「お母さん、幸せそうな顔、してたね……」
「何かただ二人に振り回されて終わった感じがムカつく……」
父の手を握ったまま眠った母の顔が、幸せそうで、頭にこびり付いていた。
姉と別れ、夕陽が差す街並みを歩く。
スマホで琉玖夜に帰る事を連絡し、自然と街へ足が向いた。
琉玖夜に、会いたい。
色々あって、一応解決に向かっている事で、疲れがどっと押し寄せる。
ほとんど来た事がなかった、琉玖夜のバイト先。
さすがに邪魔はしたくないから、少し離れた場所から、中を窺う。
オシャレな店で、制服をオシャレに着こなす琉玖夜がいる。
琉玖夜のバイト姿を目にするのは、二回目だった。
朝から夕方はカフェで、夜にはバーになると聞いた。
少し様子を見てから帰ろうとしていた私の目に、琉玖夜と並ぶ小柄な女の子が目に入った。
琉玖夜をからかうような仕草で体を密着させ、親しげに、楽しそうに話す。
琉玖夜は、いつも通りのポーカーフェイスから、表情を柔らかくして笑った。
疲れて弱る心が締まる。胸がザワつく。
駄目だ。泣く。
店に背を向けて歩き出す私の背中に、声が掛かる。
琉玖夜の声じゃないのは、分かる。
「あれ? ねぇ、君、琉玖夜の彼女ちゃんじゃない?」
振り返ると、琉玖夜のバイト先の店長さんだった。
「琉玖夜もう上がりだから、中で待ったら? そろそろ暗くなってくるし、女の子一人は危ないから、一緒に帰るといいよ」
拒否しようとした私の手首を掴み、店長さんは店に入っていく。
「琉玖夜ー、彼女ちゃんご来店ー」
「え、美遥?」
「あ、こ、こんにちは……」
凄く気まずい。
琉玖夜の隣の女の子からの視線が、痛い。
「ほら、彼女ちゃんに愛の籠ったドリンク入れてあげな」
店長が凄く楽しそうにそう言って、席に促される。
琉玖夜が見える位置に座り、居心地が悪いながらも、やっぱり見てしまう。
制服がよく似合っていて、手際良くドリンクを作る姿も様になっていて、格好いい。
ドリンクを持って、琉玖夜が近づいてくる。
「お前が店に来るなんて珍しいな」
「近くまで来て、邪魔したくなかったから、入るつもりなかったんだけど……」
「別に邪魔なんかじゃねぇよ。お前なら毎日だって大歓迎。俺もう上がるから、これ飲んで待ってな。つか、疲れた顔してんな、大丈夫か?」
前の席に座った琉玖夜が、私の前髪を優しく撫でる。
仕事中で、尚且つまだチラホラとお客さんもいるのに、琉玖夜はまるで見えていないかのような態度だ。
「大丈夫っ……邪魔しないようにしてるから、仕事戻って」
「いい子だな。お利口さんに待ってな」
髪をくしゃりと撫でられ、ニヤリと笑った琉玖夜にまたドキリとする。
用意されたドリンクを飲みながら、ホッと息を吐く。
「こんにちはっ!」
突然掛かった声に、体がビクリとする。
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