第33話

母の病室の扉が開いて、私達姉妹は固まった。



何故、この人がここに。



「っ!? 久しぶり、だな……」



「何であんたがっ……」



肝心の母は、眠っていて、目元には涙の後がついていた。



私達は病室から出て、そこから離れた場所で向き合う。



「今更何の用があって私達の前に現れたわけ? よくそんな平気な顔してノコノコ顔出せたもんだね。頭おかしいんじゃないの?」



姉が怒りを隠す事なく早口で責め立てる。



私も怒りはあるものの、それよりやっぱり困惑の方が勝っていた。



「お前達が私を恨むのは当たり前だ。すまないとも思っている」



「は? 今更何のつもりよ。あんたのせいで、私達がどれだけっ……。別に謝って欲しいわけでもないし、あの人がああなったのもあんたのせいだけど、あんたがいた所で記憶が戻る訳でもないんだから。さっさと若い女のとこに帰れば? 目障りなんだよっ! 早く消えろよっ!」



姉の怒号が響き渡る。



震えている姉の手を握り、前に出る。



「とりあえず今日は帰って下さい」



「……そうだな。これは、私の連絡先だ。何かあればかけてくるといい」



小さなメモを残して、父親は去って行った。



苛立ちと怒りに涙を流す姉を座らせ、背中を撫でて落ち着かせる。



看護師さんに聞いた話では、父親が現れると、母は奇声をあげて暴れ、気を失ったと言う。



そのショックが強かったのか、それからの母は目覚めても話をしなくなった。



ただ、窓の外をボーッと見ているだけだった。



「更に酷くなったじゃん……マジであのクソオヤジ、どこまで引っ掻き回せば気が済むんだよっ……」



正直、私は母をどうにか出来るのは、父親しかいないと思っている。



やっぱりどこまでいっても、母の全ては父親で成り立っていると思うから。



だからこそ、私達にはなんの反応も見せなかったのに、父親の姿を見た時だけは激しく反応したのだろう。



記憶をなくしても尚、父親が母にとっての軸なのだ。



私はポケットに入ったままの小さなメモに、布越しに触れた。



いつまでも病院にいても埒が明かないので、姉と別れ、帰ろうとした。



けれど、やっぱり父親の事がひっかかっていた。



メモを取り出し、見つめる。



父親のスマホの番号だろうか。



あまり父親と話をする事がなかったから、妙な緊張感はあるけれど、あんな男でも何かしら事態が進展しないかと期待してしまう自分もいて。



スマホを取り出して、ゆっくりその番号を一つ一つ押していく。



耳に電話した時特有の音が流れる。



手が汗ばむ。



これで少しでも、今より良くなればいいのだけれど。



耳に、聞き覚えのある声がした。



父親と会う約束をし、電話を切る。



電話だけでもこれだけ緊張していたら、会う時の緊張は計り知れない。



後日、知り合いに会わないように、2、3駅離れた場所で、会う約束をしていた喫茶店に到着した。



入って窓際の席に座る。



時計を見ながら、乾く喉に運ばれてきた水を流し込む。



紅茶を頼んで、また時計を見る。



落ち着かない。



店の扉が開く度にそちらを見る。



5、6回それが続いた時、待っていた人物が現れた。



少し疲れたような顔で現れたその人は、私の知っている、いつも厳しい顔で母と口論していた父ではなく、どこにでもいる普通の中年男性だった。



「今更何を言っても、言い訳にしかならないし、時間が戻る訳でもない。だが、謝らせて欲しい。お前達には、散々辛い思いをさせてしまって、本当にすまないと思っている。私が全て悪いのだから、恨まれても仕方ない」



深々と頭を下げられ、私は何も言えずにいた。



腹が立つし、姉のようにこの人を責め立てて、この胸のモヤモヤを吐き出せたら、どれだけ楽だろうか。



でも、どうしても出来ない。



ずっと母以外の女に現を抜かす父が嫌いで、そんなだらしない父に執着する母も嫌いで、口論ばかりで暗くて陰気な家庭が大嫌いだったのに。



「本当に今更なんだが……母さんを、私に任せてくれないか?」



突然の申し出に、父をまっすぐ見た。



「何、言ってるんですか? あの女の人は、どうするんですか?」



私が何とか声を絞り出して言うと、父は何処か諦めたような顔で苦笑する。



「家を出て少ししてから、別れたよ……。人のものじゃなくなった私には、魅力がないらしい」



鼻で笑った父は、机の上で組んでいる指に力を入れた。



「一気に目が覚めたよ。一人でいる間考えていた。どうしてこうなったのか、どこで間違ったのかって。もちろん、母さんやお前達の事も。家族を捨ててまで、選ぶような事だっのかと……。まぁ、私に悔やむ権利はないんだが……」



眉間に皺を寄せながら、淡々と話す父を、私はただ見ている。



元に戻すのは、難しいし、出来るかなんて分からない。



けれど。



「調子がいい事を言っているのは理解している。それでも、私に最後の、償うチャンスをくれないか」



本当に調子がいい事をって思うのに、私は多分、家族の修復を望んでいて、期待しているんだ。



まだ戻れると、思ってしまった。

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