第15話 ハートブレイク③


「……どういう、意味かな」


 震える声を抑えて、彼女に問いかける。

 それに対する返答は、一言。


「どうって、そのままの意味だけど」

「そのままって……どうして、いきなり」


 認めたくない。たとえ悪あがきにすぎなくても、認めるわけにはいかなかった。

 受け入れてしまえば、本当に全部終わってしまう。

 一切の執着のない彼女の瞳が、そう確信させた。


「この前うちに来た時、熱のせいで変なことしゃべっちゃったでしょ? あれで勘違いさせてたら、申し訳ないなって」

「勘違い……?」

「私があんたを信頼して話した、とかね」

「……っ」


 ……そこまで自惚れたつもりはない。

 けれど彼女の根幹を知れたと。そんな喜びがなかったと言えば嘘になる。

 

「今後はあまり気軽に話しかけないで。それがきっと、お互いのためだと思うから」

「……キミはそうやって、ずっと一人で生きるのか?」


 思わず問いかけていた。

 僕を、他人を排除して、それで彼女は幸せになれるのか?

 差し伸べられる手を振り払って、自ら孤独に身を置いて、それで何が得られるというのか。


「……そうよ。あんたには、分からないだろうけど」


 未練を感じさせない口調。

 彼女は本心から、孤独を恐れていない。


 それは強さだ。でも僕と同じ十六の少女が、身につけていい強さなのだろうか。


 彼女の在り方を否定するわけじゃない。

 けれどそれが幸福に結びつくとは、僕にはどうしても思えなかった。


「……寂しいな。キミの生き方は」

「別に。今更どうとも思わないけど」

「それが寂しいというんだ」


 僅かに眉を潜める彼女。

 気分を害しただろうか。でも、言わずにいられなかった。

 孤独に慣れて、それを寂しいとすら思わないなんて。そんな残酷なことがあるものか。


 だが彼女は、何を今更、と悩むそぶり一つ見せない。


「ま、分かってもらえなくてもいいわ。とにかく、今後はあまり馴れ馴れしくしないでね」

「……」


 それでも、彼女がそう望むなら。

 黙って身を引く以外、僕に取れる選択肢はなかった。















「――お兄ちゃん? お兄ちゃーん?」


 それからのことは、あまり覚えていない。

 教室に戻り、授業を受け、気づけば放課後になっていた。


 友人達から遊びに誘われた気もしたが、今はとてもそんな気分にはなれない。

 黙って一人で電車に乗り、家に帰った。

 鞄を置いて、なんとなく一人でいたくなくて、リビングのソファに転がった。


 これが失恋の痛み、なのだろうか。

 ……いや、少し違う気がする。

 

 恋敵に負けたとか、自分の力不足で敗れたのなら、まだ諦めもつく。

 でもあれは、そういうものじゃなかった。


『……キミはそうやって、ずっと一人で生きるのか?』

『そうよ。あんたには、分からないだろうけど』


 分からない。当然だ。

 僕は一人が怖い。失うことが怖い。

 誰だってそうだろう。人なら当たり前の感情だ。


 なのに自ら孤独を選んで、それが寂しくもないなんて。

 そんな人間のことなんて、分かるはずもない。


「――お兄ちゃん!!」

「おわっ!」


 耳元で叫ばれ、体がびくんっと跳ねる。 

 なんだ、何事だ。


「辛気臭い顔でいつまでもリビングにいないでよ。作る前からごはんがまずくなるでしょ」

「……す、すまない」

「まったく。それで? 今度はどうしたの?」


 ぽすん、と隣に座った妹は、じいっと僕を見上げてくる。

 うっ、と言葉に詰まる。

 こんな話を妹に聞かせていいものか。

 

 そう悩む僕の足を、妹はげしっと蹴る。


「あのね、そうやってずっとうじうじされる方が迷惑なの。さっさと話して、私に晩ご飯を作らせなさい!」

「……いや、そうは言うがな」

「はよ」

「……」


 ……どうやら、話すしかないらしい。

 兄の威厳はどこにいったのか。

 最近、妹に逆らえない場面が増えている気がする。


「……実は」


 そうして、僕は独り言のように語った。

 自分の好きな女の子、姫上さつきのことを。


 他人のプライベートを明かすことに抵抗はあったが、正直もう、限界であった。

 自分はどうすればいいのか。

 価値観の違いと、彼女を諦めるしかないのか。


 何でもいい。人からの意見が、聞きたかった。


 やがて語り終えると、妹は唖然とした顔をして。


「……」

「……愛子?」

「はっ。やばい。一瞬意識飛んでた……いやまさか、そこまでヘビーな話を妹にしてくるとは」

「お、お前が話せと言ったんだろう!」

「限度があるでしょうが! こんなおっもい話聞かされて、私にどうしろっていうの!?」

「知らん! というか、どうしたらいいのか分からないのは僕の方だ!」


 ぎゃあぎゃあ、と醜く言い争う。

 やがてわめきつかれた妹が、はぁ、はぁ、と肩で息をしながら。


「……まあ、さつきさんの事情は重すぎるから一旦置いといて……それでお兄ちゃんは、どうしたいわけ?」

「……なに?」

「事情は分かったけど、お兄ちゃんは、それで諦めるの?」

「それは……っ」


 改めて聞かれ、僕は言葉に詰まる。

 諦めるのか。諦められるのか。

 そう自分に問いかければ、間違いなく”否”と答える。

 だが、だからといって、僕の都合を彼女に押し付けるのは――


「大体らしくないんじゃない? お兄ちゃん」

「……?」

「さつきさんがどう思ってるかとか。そんなのお構いなしに突っ走るのがお兄ちゃんでしょ?」

「む……」

「今までもずうっとそうしてきたくせに、何を今更怖気づいてるんだか」

「……いや、とはいえ彼女の決めた生き方に、僕が口を挟むのは……」

「それ」


 びしっと指をさす。

 そのまま、ずびしっと頬に突き刺される。


「はにをする」

「それがらしくないって言ってんの」


 ぐりぐりと押し込まれる。

 ええいやめろ、と振り払うと、妹は肩をすくめてため息をつく。


「お兄ちゃん、結局ビビってるだけじゃん」

「なに……?」

「さつきさんに嫌われるのが怖くて、何にもできなくなっちゃってるだけでしょ」

「……っ!」

「さつきさんの生き方がどうとか、そんな言い訳する前に、まず自分がどうしたいのか、はっきりしたら?」


 ……その言葉に、僕は何も言い返せなかった。

 すべて図星で、腹立たしいほどに、的を得ていたから。


 彼女に明確に拒絶され、その痛みをもう味わいたくなくて、二の足を踏んでいる。

 情けない。だけど、ならどうしろという。


 あの拒絶は、紛れもない本気だった。

 彼女は本気で、僕を遠ざけたがっていた。


 それが分かってしまった以上、僕に何ができるというのか。


「……いーい、お兄ちゃん?」


 ぱしん、と両手で頬を掴まれる。

 目を見て、小さい子供に言い聞かせるように、妹は告げる。


「女の子はね? 複雑なの。男の子みたいに、何でもかんでも本心を口にできるわけじゃないの」

「……それは、分からなくもないが」

「いーや分かってない。だってさつきさん、泣いてたんでしょ? ただのおかゆ食べて泣いてる女の子見て、お兄ちゃんはさつきさんが独りでいたがってるって、本気で思うの?」

「……っ!」

「大事なのは、お兄ちゃんがどうしたいか。さつきさんのためにどうこうなんて言い訳してないで、さっさと行動しなさい」


 ぴしゃり、と言い放ち、妹は手を放す。

 僕は呆然と、妹の顔を見つめた。


 ……言い訳、か。


 返す言葉もない。そう思った。


 妹の指摘通り、僕は怖がっている。

 彼女の過去を知り。その孤独を知り。

 今まで自分が、どれだけ中途半端な覚悟で彼女に言い寄っていたかを思い知らされた。

 

 だから動けない。

 自分はこのまま諦めるべき。彼女のためにはそれが一番いいと、そう感じてしまっている。


 だが、その上でなお度し難いのは……


「お兄ちゃんはさ」

「……?」

「さつきさんを諦めて、生きていけるの?」

「……っ!」


 その言葉に、僕は拳を握る。

 ……そう、本当に度し難いのは。


 彼女の過去を知り。彼女のためには、身を引くべきだと思ってなお。


 ——僕はどうしても、彼女を諦めきれないということだ。


「……本当に迷惑な奴だな、僕は」

「あ、今更気づいちゃった? それ多分さつきさん含め、みんながずっと思ってたことだよ?」

「そしてお前もお前で容赦がないな。妹よ」

「そりゃまあ、妹ですから?」


 ふっと互いに笑い合う。


 全く。どれだけ妹の世話になる気だ。


 情けない、と苦笑を漏らす。

 兄の威厳など最早地の底だ。借金ばかり増えて、返済の目途も立たない。


 仕方ない。この借りは、妹に美人でかっこいい義姉を用意することで返すとしよう。


「――すまん。少し出かけてくる」

「はいはい。未来のお義姉ちゃんによろしく」


 呆れたように笑いながら手を振る妹に背を向け、僕は家を飛び出した。

 

 






 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【あとがき】


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。


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