第16話 やけくそ
「はっ……はっ……!」
電車に飛び乗り、駅に降りて。彼女の家まで最短距離を駆け抜ける。
彼女の元に行って、何を言おうというのか。
自分でもよく分からない。
それでも、心は決まっていた。
――彼女を、諦めない。
資格がなかろうが迷惑だろうが、どうしても諦められないのだ。
その理由は、単純に僕が彼女を好きだから。というのもあるが……
(……せめてもう少し笑ってくれれば、僕も諦めがついただろうに)
本音を言えば、それが一番大きい。
彼女は笑わない。
いつも冷たい目で世界を見て、喜びを顕にすることはない。
幸せなどというものとは程遠い。諦観の眼差し。
好きな女の子のそんな顔を見て、納得などできるはずもない。
……そう思うと、段々自分は悪くないのでは? と思えてきた。
(……うむ、彼女の方にも非はあるな)
うん、と頷く。
ここに本人がいたら、ものすごい罵声が飛んでくるような気がするが。
しかし、事実だ。
僕は僕の恋が報われないこと以上に――彼女の不幸が、許せない。
この僕を袖にしておきながら幸せにならないなんて、そんなことはあってはならない。
僕をフるというのなら、彼女はその分、誰よりも幸せになる義務がある。
僕がもはや入る隙間もないと諦め、涙するほど、彼女は人生を謳歌しなければならない。
それができないというのなら――僕が諦める理由はない。
……ピンポーン。
彼女の家につき、チャイムを鳴らす。
心はどうしてか晴れやかだった。
らしくもなく悩みぬいて……僕の出した答えは、シンプル。
――全部、幸せそうじゃない彼女が悪い。
ということにした。
うむ、我ながら完璧な理論武装である。
『……はい?』
機嫌の悪そうな声。
こんな夜に誰だ? と聞く声に、胸を張って答える。
「水野だ。話がある」
『……はぁ?』
信じられない。とばかりに、彼女は唖然とした声を出した。
「……ふむ。これは中々いい茶葉だな。僕たちの待ち合わせ場所のカフェにも劣らない」
「……」
あれから。
初めこそ、即”帰れ”と言われたものの、玄関前で二時間ほど粘った結果、渋々入れてくもらえた。
立ちっぱなしだったので、座れるのはありがたい。
もう足が棒のようだ。
「……で、何しに来たのよ」
そう告げる彼女の瞳は、冷たく鋭い。
とどめを刺したはずの虫が、しぶとく生きているのを見るような目。
さすがに少し傷つく……いや、嘘だ。嘘だと思いこめ。
「僕なりに考えて、キミに結論を告げに来た」
「……結論?」
何言ってんだこいつ、と目を細める彼女。
腕組みをしながら、とんとん、と二の腕を人差し指で叩く。
彼女が苛ついている時に、よくする仕草だ。
「私、言ったわよね? 今後はもう、馴れ馴れしくしないで欲しいって」
「ああ、確かに聞いた」
「なら、なんであんたはここに来てんの?」
「さっきも言ったはずだ。結論を告げに来た、と」
その言葉に、彼女がぴくり、と眉を動かす。
何を言い出すのか、と僅かながら興味を惹かれたようだ。
それに僕は、居住まいを正して。
「キミの拒絶が本気なのは分かる。僕がフラれたことも理解した」
そう。相思相愛などと、もう愉快な勘違いはしていない。
彼女は僕を好いてしない。嫌われている……とは、さすがに思いたくないが。
それでも、僕への拒絶が本気だったことは、今ならわかる。
だが。
「だが僕は、キミを諦めないことにした」
「……はぁ?」
「これからもキミを口説き続ける、と言っている」
「……」
……今度こそ、言葉を失ったとばかりに呆然とする姫上さん。
普通の人ならアホ面だが、こんな顔でも綺麗なのだから、美人は卑怯だ。
世の中は、かくも不公平だと思わされる。
「……なに、言ってんの? いや、本気で意味分かんないんだけど」
「キミ流に言うなら、”そのままの意味"だ」
「な……っ」
やり返された、と思ったのか、僅かに顔を赤くする。
別に煽ったつもりはないが、どうも僕と彼女だと、どうしてかそういう空気になってしまう。反省しよう。
「僕はキミを諦めない。キミが振り向くまで全身全霊で口説く。迷惑なのは百も承知。だが、迷惑程度なら諦めない」
「……なに、それ」
「僕の行いがキミの幸福を邪魔しないなら、諦める理由にはならない、という意味だよ」
そう告げると、彼女は、わけがわからない、とばかりに首を振った。
「いや、邪魔してるでしょ。どう考えても」
「では聞くが、僕がいなくなればキミは幸福か?」
「はぁ? それは……」
言いかけて、その途中で口をつぐんだ。
僕の言いたいことを理解したのだ。
「せいせいするとか、面倒がないとか、そんな答えが聞きたいんじゃない。僕がいなければ、キミは幸せになれるのか、と聞いている」
「……」
その言葉に、とうとう彼女は押し黙った。
きっと今彼女の頭の中では、無数の返答が何パターンもシュミレートされているのだろう。
賢い彼女は、自分の出方で、相手がどう来るのか予測できる。
――だが、無駄だ。
彼女には、"その一言だけは言えない"。
「キミは一人でも生きられる、と言った。事実だろう。だがその先で、本当にキミは幸せになれるのか?」
生きられることと幸福は、全くの別問題だ。
まさに生き地獄のような孤独を味わった彼女だからこそ、その違いは身に染みて分かるはず。
だから、言えない。
今の自分が”幸福”であるとは、絶対に。
(……その一言さえ言えれば、こちらに打つ手はないと、分かっているだろうに)
そう、たった一言。”今私は幸せだ”と、そういうだけで、逆に詰まされるのはこちらの方。
それが例え嘘でも、それを暴く術はない。
だが……
「……っ」
彼女は言わない。
たった一言が、口にできない。
(……ああ、そうだろうな)
彼女の心理、その大半を占めているのは”諦観”だ。
色んなものを諦めた先で、彼女は一人で生きられる強さを得た。
そこには無論、”幸福”も含まれる。
「……幸せじゃなかったら。何なの。あんたに関係ある?」
「大いにある。僕をフッておいて幸せにならないなど、僕が浮かばれない」
「浮かばれないって……」
「僕をフるなら、キミはその分幸せであるべきだ。僕と付き合わなかったのは正解だったと、僕に思わせてくれなければならない」
そうだ。そうでなければ、諦められない。
恋とはそういうものだ。敗れたものは悲しみ、手の届かない想い人の幸福を見届ける。
それで初めて、諦めて前に進めるのだ。
「なのにキミときたら、一人でも寂しくないだの、私はこういう人間だの、全くこれっぽっちも幸せになろうという気がない。それでは僕が可哀想だと思わないのか?」
「いや別に思わないけど……」
僕の勢いに押されたのか、彼女はやや目を泳がせ始めた。
まるで未知の宇宙人でも見るかのように、距離をとってこちらを観察している。
「よって、キミが幸せでない以上、僕が諦める理由は微塵もない。君が独りを望もうが、僕は未来永劫キミに付き纏い続けるぞ!」
「い、いやおかしいでしょ!? 何堂々とストーカー宣言してんのよ!? 本気で警察呼ばれたいの!?」
「呼びたいならそうすればいい。だが僕は胸を張って答えよう。キミがある一言さえ口にすれば、僕はすぐにでも身を引いた、と」
「ぐっ……」
心底悔しそうに歯噛みする彼女。
ああ、気分がいい。今なら何でもできそうだ。
「僕に見初められた時点で、キミが一人で生きるなど不可能だ! 諦めて大人しく僕と幸せになるがいい!」
ふははは! と高揚する気分のまま高笑いする。
「……あー、あー、もう、ほんとこいつもう……」
とうとう頭を抱えて蹲る姫上さん。
腹痛か? などと、僕が軽口をたたく前に。
彼女は顔を上げ、真剣な眼差しで僕の目を見た。
「……言っておくけど、私は変わらないわよ? 他人なんてどうでもいいし、あんたのことも、きっと好きになれない」
「……」
「でもどうすればあんたを止められるのかも、もう分からない……だから、もういいわよ」
「もういい、とは?」
「好きにしなさいって言ってんの。一応、あんたのためでもあったんだけど……それでもいいっていうなら、もう知らないわよ」
諦めたように肩を落として、ほんの僅かに苦笑する彼女。
ああ、それだ。
冷え切った顔で一人でいるより、そうやって僕のやることに呆れている方が、ずっといい。
「ああ、そうしよう」
「……ほんと、あんたと出会ったのが運の尽きよね、私」
「確かに。この運命の出会いに一生分の運を使い果たしていてもおかしくはないな」
そう言うと、はいはい、と手を振られる。
そんな何気ないやり取りに、泣きそうになるのを必死に堪えた。
……もう二度と話もできないのかと思っていた。
彼女に拒絶され、僕はそう覚悟した。
それでもこうして、また前のように話ができている。
それが本当に、泣きたくなるくらい嬉しかった。
「――で、話は終わり? ならさっさと帰りなさいよ。女の子の部屋にいつまでも居座ってんじゃないわよ」
「いや、せめてもう一杯紅茶を……」
「……」
「いや、待て。分かった。分かったから無言でスマホを構えるのはやめてくれ」
そうして、半強制的に部屋を追い出される僕。
でも以前とは違う。胸には、温かいものが満ちていた。
「それじゃ、また学校で」
「……はぁ。またあんたに付き纏われるのね、私」
「そう嫌な顔をするな。最近気づいたのだが。どうやら僕は、キミを口説くのを割と楽しんでいたみたいだ」
「いやほんと最悪ねあんた!?」
唖然とする彼女。
それに機嫌良く笑う僕。
ああ、なんだが、今はとても晴れやかな気分だ。
「では、また明日学校で会おう。我が未来の嫁よ!」
そう言って、僕は大手を振って背を向ける。
妹にも、いい報告ができそうだ。
そうして、アパートを出る直前。
「……だから、誰が嫁よ」
去り際に聞こえたそのセリフは、以前よりほんの少し、温かみがあったように思えた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【あとがき】
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
よろしければフォロー、レビュー、応援コメントを頂けますと嬉しいです!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます