第17話 水野蒼汰、復活
「――おはよう! 我が妻よ!」
朝。教室に入るなり、僕は大声でそう告げた。
悩みの晴れた僕は、まさに絶好調だった。
なんと気持ちのいい朝だろう。
これほど晴れやかな朝は、かれこれ二週間ぶりくらいじゃないか。
高揚する気分のまま挨拶をすると、視線の先、未来の嫁こと姫上さつきは、がつん、と机に突っ伏した。
む、頭からいったな。少し痛そうだ。
”ひ、姫上さん大丈夫!?”
”水野くん、最近は大人しかったのに……”
などと、彼女の取り巻きは僕に畏怖と敵意の眼差しを向ける。
いささか不本意だが、もっと不本意なのは、妻から返事がないことだ。
なので、もう一度。
「……おはよう! わが「うるっさい!」
彼女の目の前で叫んだら怒られた。遺憾だ。返事をしなかったのはそちらじゃないか。
「ふむ、今日は随分と不機嫌そうだ」
「誰のせいよ……」
がくっと机に再度突っ伏す。
おかしい。昨日ちゃんと宣言したはずなのに。これからも口説く、と。
「ああ、もう……最近はようやく平和になったと思ったのに、なんであれで諦めないのこいつ……」
「む、それは散々説明しただろう? キミが幸せそうじゃないからだ。僕には、どんな形であれ好きな女性を幸せにする義務がある」
胸を張って言うと、きゃぁ!と騒ぐ取り巻きの女子。
男が女に言う、”キミを幸せにする”は、現代においても女性の憧れらしい。
しかし、そんな憧れのシチュエーションだというのに。
「……」
「……その、見失ったゴキブリを手の届かない場所で見つけた、みたいな顔はやめてくれないか? さすがに傷つく」
「……割と的を得てるわその例え。ほんと、ゴキブリ並みにしぶといわねあんた」
関心と軽蔑が3:7くらいの顔で、彼女は僕を睨んだ。
カチカチと鳴らすボールペンが、処刑人の持つギロチンに思えてならない。
「ところで妻よ、返事はまだかな?」
「……はぁ?」
「僕はおはよう、と口にした。となれば、謙虚なる日本人としては、同じ挨拶を返すべきでは?」
「……」
すっごい嫌そうな顔をされた。
ボールペンのカチカチが激しさを増す。
唸り声を上げながら頭を抱え、やがてこの世の全てを諦めたような顔で。
「……おはよう……水野くん」
ものすっごく嫌そうに、そう告げた。
「うむ、おはよう! やはり朝に妻から聞く挨拶は格別だな!」
「……ダイナマイトって、どうやったら作れるんだっけ?」
「やめてくれ。何も校舎ごと吹き飛ばすことはないだろう」
痴話喧嘩でこの進学校をデリートするのは、さすがに忍びない。
そうこうしてるうちにチャイムが鳴り、僕はとても機嫌よく席に戻ったのだった。
「――では妻よ、今日も二人でランチといこう!」
「……」
満を持しての、昼休み。
意気揚々と声をかけると、彼女の取り巻きは固まり、彼女もまた固まった。
「あんたね……」
「ん? 何か不都合が? この前は自分から誘ってくれたじゃないか」
「あれは……!」
ぐっ……と言葉を飲み込む。
さすがにあそこでの会話を、クラス内で暴露するのは躊躇われたようだ。
となると、次に彼女が取れる手段は。
「……あ、ああそうだ。ごめんなさいね水野くん。私、この子たちと約束してるから、ね?」
そう、無理やりに作った笑みで、取り巻きの女子に微笑みかけた。
それに取り巻き二人はうんうんと頷く……ことはなかった。
「あ、えーと……」
「ご、ごめん姫上さん。私たちは、ちょっと遠慮しようかなって……」
「……え!?」
青天の霹靂。といった顔をする妻。
まさかここで梯子を外されるとは思わなかったのだろう。
何度も繰り返し二人の顔を交互に見る。
だが、取り巻き二人は不自然に視線を逸らし、決して目を合わせようとしない。
「……ふふ」
「っ!?」
ほくそ笑む僕に、妻は音速で振り返った。
「あ、あんた、何したの?」
「何、とは? 彼女たちが気を遣ってくれただけじゃないか」
嘘である。
僕は予め、この展開になることを予測していた。
なので今日の朝、彼女達にラインを送っていたのだ。
すなわち、【菓子パン3つで、今日の昼食を譲ってくれ】と。
結果は見ての通り。
菓子パン三つで切り捨てられる、己の人望のなさを悔やむがいい。
「ぐ、ぐぅ……」
「では、行こうか」
至って紳士的に、ドアの方に手を伸ばす僕。
彼女はまるで、あと一歩のところで高飛びに失敗した囚人のような顔で、肩を落として教室を出たのだった。
「――よし、ようやく二人になれたな」
「……最悪なことにね」
例の広場のベンチ。
僕が決別を言い渡されたこの場所を、あえて指定した。
この場所は僕にとってトラウマと言っていい場所。
ならばより良い思い出を作り、払拭してしまえばいい。
そう考えたわけだ。
「今日は前回の礼に、僕も手料理を作ってきた」
「……はぁ?」
そういうと、僕にふさわしい黒と金箔のゴージャスな弁当箱を彼女に差し出す。
「……いや、いらないけど」
「そう言わずに。前回のお弁当は本当に美味しかった。あれとおかゆでは釣り合いが取れないと思ってな。これはその礼だと思ってくれ」
「だからいらないってば。私もお弁当持ってるし」
「ああ、それは僕が食べよう」
「なぜ!?」
なぜと言われても。さすがに弁当二つは厳しいだろう?
「これを渡してしまうと、僕は何も持っていない。キミの弁当をもらえなければ昼食抜きになってしまう」
「知らないわよそんなの! 購買でパンでも買ってきなさいよ!」
「なぜ目の前に愛妻弁当があるのに、総菜パンなど買わねばならないのか。理解に苦しむな」
「理解に苦しんでるのはこっちよ! ああもう、なんでまたこいつのこれに付き合わなきゃ……」
何やら頭を抱えてしまった。
その隙に、こっそり弁当箱を入れ替えてみる。
「おお、今日は照り焼きチキンか。僕の好物だ」
「ってちょっと!? 何勝手に人の弁当開けてんの!」
「今日は僕の弁当だ。キミの弁当はそっちにあるだろう」
ばっと彼女が振り向くと、自分の手の中に、いつのまには僕の用意した弁当箱が。
「いつ!?」
「キミが頭を抱えている時だ。隙だらけだったぞ」
「何なのよその無駄なスキル……」
再度こめかみを押さえ、そして、ため息をつく。
「……食べないわよ、私」
「まあ、それは勝手だが。一応今日は手紙を預かっている」
「は? 手紙?」
スッと紙切れを懐から取り出し、彼女に手渡す。
彼女はそれを、訝し気に見つめて。
【さつきさんへ☆ 卵焼きは私が焼いたので、ぜひ食べてくださいね! 未来の義妹より】
……それを読み、わなわなと震える彼女。
ふっ、とほくそ笑む僕。
「……ひ、卑怯よあんた!?」
「ふはは、なんとでも言え。もはや僕はキミを手に入れるために、手段を選ばないことに決めたのだ!」
その後もしばらく、彼女は唸ったり落ち込んだりと忙しそうであったが。
やがて……
「……今日だけよ」
「明日も作ってこよう」
はぁぁぁ……と地獄まで響きそうなため息を漏らす。
そして、恐る恐る僕の入れたサバの塩焼きに箸を伸ばし。
「……あ、美味しい」
「ふふ、そうだろう」
つい漏れてしまった、といった声に慌てて口を閉ざす彼女。
しかし無駄だ。もうしっかり聞こえた。
どうやら僕たちは、味覚の相性も抜群らしい。
満足感と共に妻の手料理を頬張る僕を、妻はなぜか虚無に満ちた瞳に見つめていた。
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【あとがき】
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
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