第18話 ゾンビストーカー



「……ご馳走様」

「なんだかんだでしっかり完食したな」

「うるさい」


 空になった弁当箱を抱え、僕は至福の想いで頷いた。

 僕は姫上さんの手料理を食べ、姫上さんには僕の手料理を食べてもらう。

 何と素晴らしいランチだろう。いかな高級レストランでも、この感動は得られまい。


 食事とは何を食べるかより、誰と食べるか。

 よく聞く言葉だが、その”何を食べるか”の部分が妻の手料理となれば、もはや役満である。


 うんうん、と頷く僕。なぜか恨めし気に見る妻。


「……こんなことしても、意味ないわよ」

「ん?」

「私は、変われないから」


 空になった弁当箱をじっと眺め、ぽつりと口にする。

 それは彼女の、孤独な半生から生じた確信。


 ――自分の本質を、彼女は正しく理解している。


 独りで生きる強さを得るため、彼女は自らの人間性を削ぎ落とした。

 

 だからこそ、彼女は告げる。

 自分に”恋”はできないと。


(……だがそれはあくまで、今現在の話だ)


 未来がどうなるかは、誰にも分からない。


「……そうかもしれない。だが、変わるかもしれない。もし本当に僕が嫌いなら、他に好きな男でも作るか、山奥にでも籠るんだな」

「山奥って……あんたね」

「僕以外にキミが本気で好きな男がいるというなら、断腸の思いで諦めよう。だが、僕を受け入れられない理由が、他人に興味がないだの、人を信じられないだのと、そんなくだらん理由なら諦めることはない。キミが興味を持って信じてくれるまで、何度でも挑むまでだ」


 唖然とする彼女に、ふふん、と胸を張ってみせる。


「……ほんと、なんでそんな無駄に一途なのよ……」

「無駄とは失礼な。一途の何が悪い。むしろ僕が思うに、昨今の恋愛事情は不義理がすぎる。一人の愛すべき人を定めたなら、生涯貫くのがあるべき姿だろうに」

「どこの国の、いつの時代の常識よそれ。今時そんなファンタジーな人間がいるわけ……」

「……」


 むんっ、とさらに胸を張ってアピールした。

 なぜか頭を抱える妻。


「……そうね、いたわね。よりによって私の近くに」

「光栄に思ってくれ。僕の愛はキミだけのものだ」

「あんたと出会う前から人生やり直したい」


 なるほど。あの運命的な出会いをもう一度味わいたいと。


「その時は、よりドラマチックな出会いを演出しよう」

「あんたと関わりたくないって言ってるんだけど」

「それは不可能だ。どこにいようが僕たちは必ず出会う。それが運命なのだから」

「……」


 とうとう妻が空を見上げてしまった。

 どうしたことだろう。とても哀しそうな目をしている。


「……ねえ、一つ教えてほしいんだけど」

「一つと言わず、二つでも三つでも好きなだけ」

「あんた、一体どうしたら私のことを諦めてくれるわけ?」

「それは前も言った通りだ。僕が諦めざるをえないほど、キミが幸せになればいい」

「……はぁぁ」


 ため息をつく妻。ため息をついた数だけ幸せが逃げるというなら、僕といる時だけで彼女の幸せは売り切れなのではなかろうか。

 やはりここは、是が非でも僕が彼女を幸せにしなければ。


 決意を新たにしていると、遠くを見ていた彼女は諦めたように振り返った。


「ほんと残念なやつよね、あんた。顔だけはいいんだから、私にこだわらなければ、いくらでもいい子が手に入るでしょうに」

「それは事実だが、ありえん。僕よりいい男がいないように、キミよりいい女も、またいないのだから」

「……うん、もういいわ。何言っても無駄だろうし」


 よろよろと、彼女はベンチを立ち上がる。


「ん? まだ昼休みの終わりには時間があるが……」

「ごはん、食べた。教室、帰る。いい?」


 壊れたロボットのような片言。

 しかしその有無を言わさぬ圧力には、逆らい難いものを感じる。


「仕方ない。愛の語らいは教室でするとしよう」

「いい加減解放しろって言ってんのよ!」


 ぶん、と意外に腰の入ったショートフックをかろうじて避け。

 肩を怒らせて歩く彼女を、僕は苦笑して追いかけた。







 


「――さて、では諸君らの意見を聞かせてもらいたい」


 放課後のファミレスにて。

 僕は世界征服を目論む大企業総帥の如く、肘をつき、手を組んで問いかけた。


「……いや、何に対する意見だよ。お前の頭か? 病院に行け。以上」

「あはは……でも、元気になったんだね、蒼汰」


 集まったのはいつものメンツ。

 中條雅之と天野聖也。僕の友人である彼らを、急遽招集していた。


「雅之、僕の頭は正常だ。そして聖也、僕はいつでも太陽の如く元気なはずだが?」

「いや、ほら。ここ最近、ちょっとおかしかったじゃない? いや、いつもおかしいんだけど」

「むしろ最近は普通だったろ。まあこいつの場合は普通であることが異常なんだが」

「失礼な」


 散々な言われようである。

 友人とはいえ、過剰な暴言には僕も異を唱えざるを得ない。


「で、何だよ。俺だって暇じゃねえんだぞ」

「恋人とのデートがあるからかな?」

「いや、まあ……それも込みで、だよ」


 頬をかく雅之。

 どうやら恋人との仲は順調らしい。

 思うように進展しない身としては、羨ましい限りだ。


「……いいなぁ彼女。僕も欲しい……」


 そして聖也は、最近とうとう隠さなくなってきた。

 カップルを見かける度羨ましそうな顔をするので、いよいよ重症である。


「お前の場合、待ちの姿勢だからできねえんだよ。こいつを見習えとは言わないが、もちっと自分から動け」

「うぅ……それは分かってるんだけど……」


 ここに関しては、僕も雅之の意見に同意だった。

 待っていても幸運は巡ってこない。

 自ら動き、掴み取ってこそ、人生とは面白くなるのだから。


「そ、それより! 蒼汰の話は?」

「急に話題を変えたな」

「うむ。だがまあいい。僕の相談も、聖也と似たようなことだからな」

「……どうせ姫上さん絡みだろ」

「まあそれしかないよね」


 呆れた……というより、もはや疲れた顔をする二人。

 心外だ、これでも真面目な話なのだが。


「相談とは他でもない……僕が死力を尽くしてなお振り向かないあのクールビューティーを、一日も早くゲットする方法が知りたい」


 キリッとした顔で背筋を伸ばす僕。

 なぜかげんなりした顔の二人。

 これ以上なく真摯に助言を求めたというのに、その態度はどうなのだろう。


「……いや、言いたいことは色々とあるが……お前、前に姫上さんとは相思相愛とか言ってなかったか?」

「それは既に過去の話だ。最終的にそうなるのは確定事項だが、今はそうでないと認めざるをえない」

「……えぇ!?」


 聖也が、驚きの声を上げる。


「み、認めるの? 姫上さんが、蒼汰のことなんか道端のカメムシくらいにしか思ってないって!?」

「そこまでは言ってない」

「そうだな。カメムシが可哀想だ」

「それも違う」


 人とのコミュニケーションとは難しい。

 結局本題に入れたのは、それから二十分ほど過ぎた後だった。


「……つまりだ。今だ微動だにしない要塞の如き彼女の心を、射止める方策が知りたい」

「ねえよ」

「一言で終わらせるな」

「いやでも、正直難しいんじゃない?」


 かったるそうな雅之と、健気に考えてくれている聖也。

 個人的には彼女持ちの雅之の意見を聞きたいので、立ち位置を逆にしてもらいたい。


「前も言ったろ。あの子は攻略不可ヒロインだ。そも攻略対象じゃねぇんだよ。ルート自体が存在しない」

「攻略不可ヒロイン……? ルート……?」

「あはは……雅之、これで意外とギャルゲーとかやるから」


 ふむ、よく分からないが、要するに彼女を口説くのはとても困難だと言いたいのは分かった。

 それに異論はない。僕も一度はくじけかけた。


「あんな自分の心をファイアウォールで何重も覆ってるような女、ハックしようとする方がどうかしてる。ウィルス扱いでデリートされるだけだ。お前みたいに」

「待ってくれ。僕はまだ生きている。ウィルス扱いはされていても、デリートには至っていないはずだ」

「ウィルス扱いは認めるんだ……」

「まあ、そこがあの子の誤算というか。お前の唯一の武器というか……もう突破口があるとすれば、そうやってひたすら叩くしかねえんじゃねえの?」

「……と、いうと?」


 聞くと雅之は、心底嫌そうというか、誰かに同情したように吐き捨てた。



「今まで通りやれってことだよ。このゾンビストーカー野郎」



 


 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【あとがき】


ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


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