第3話 嫁観察日記


 ――我が妻、姫上さつきは、孤高にして美麗なるクラスのマドンナである。


 そんな彼女は、普段どんな学校生活を送っているのか。

 夫として、その姿を記録に残そうと思う。


「姫上さん……今日も綺麗だなぁ……」

「ああ、さすがモデルって感じ」


 男子たちの感嘆の声が聞こえる。

 しかし、それも当然のこと。

 彼女は現役のモデルであり、その美しさは、一般の女子生徒とは比較にならない。


 長いまつ毛に、キリッとした二重の瞳。

 肌は白く、顔は小さく、鼻もすっと高い

 文句のつけようもない美人だが、スタイルもまた素晴らしい。

 

 170を超える長身に、推定Dカップの胸とくびれた腰。

 モデルをやっているだけあって、普段から節制しているのだろう。 

 まさに完成されたスタイルと言っていい。

 

「――姫上さん! この前のファッション雑誌、表紙だったよね? めっちゃかっこよかった!」

「ありがとう。ちょっと恥ずかしいけど」

「姫上さーん! なんかいい保湿クリームない? 最近乾燥ひどくって」

「はいはい、ほら。この保湿美容液おすすめよ?」

「姫上さん! こ、今度俺とデートに……!」

「ごめんなさい、遠慮させてもらうわ」


 妻はいつも誰かに頼られる存在だ。

 誰もが妻に声をかけ、返事をもらえるだけで嬉しそうにしている。

 

 それに穏やかな笑みを浮かべて応える妻も、さすがの貫禄である。

 それでこそ我が妻を名乗れるというもの。


 しかし最後の一人。彼とは一度、話し合わねばなるまい。


「まあ、美しいものに多くが惹かれるのは必然ではあるが……」


 気持ちは分かる。

 だが既婚者に声をかけるというのはいかがなものか。

 そうした品性のなさを、妻も嫌っているのだろう。

 彼に向ける妻の眼差しは、実に冷ややかなものだった。


「やれやれ……」


 どうも妻は、僕以外の男性に厳しすぎる傾向がある。

 彼女なりに操を立てているのだろう。貞淑かつ一途な妻らしいが、あれでは学校生活に支障をきたすのではなかろうか。

 一度、それとなく嗜める必要がありそうだ。


「せめて僕に向ける愛情の億分の一でも、他に向けてやればいいものを……」


 しかしそれをしないところが、また奥ゆかしい。

 ここまで一途に愛されれば、さすがの僕も照れるというもの。

 全く、実にいじらしい妻である。


「ふふ……」


「……おい、あいつまた姫上さんの方見て笑ってんぞ」

「水野くん、普通にしてればかっこいいんだけどね……」


 何やら声が聞こえるが、僕の耳には入らない。

 今僕は我が妻を観察するという、崇高な使命がある。

 雑多の言葉に耳を貸す余裕などないのだ。



 ――そうして、昼休み。



「姫上さーん! ご飯一緒に食べよー!」

「ええ、行きましょうか」


 友人と連れ立って、妻は教室を出る。

 僕も誘いたいところだが、夫と仲良くするところを見られたくないのか、妻は中々応じてくれない。

 そんなところも可愛いとは思うが、夫としては少々寂しくもある。


「蒼汰ー、おい聞いてるか?」

「ん? ああすまない友人A。呼んだかな?」

「……俺、なんでまだこいつと友達やってんだろうな……」


 友人Aこと中條雅之は、悲し気に肩を落とす、

 ふむ、いささか冷たい対応だっただろうか。


「申し訳ない。今度僕のとっておきの横顔写真を送るから、それで許してほしい」

「分かった許す。許すから送るな。殺意が湧きそうだ」

「あはは......そこまで自信が持てるっていうのも、一つの武器だと思うけどね」


 そんな話をしていると、友人Bこと天野聖也が声をかけてきた。


「奥さんも行っちゃったみたいだし、僕らもお昼にしようよ」

「うむ、そうしよう」


 奥さん。実にいい響きだ。

 その単語だけで、朝にキッチンで包丁を握る妻の姿が目に浮かぶ。

 ……その切っ先がなぜかこちらを向いているのは、気のせいだろうか。


「どこで食べる?」

「学食だ。他にあるまい」


 なぜなら、そこに妻がいるのだから。

 

 そうして、僕らは学食に移動した。

 中はそれなりに混みあっており、席の確保は難しそうだ。


「ありゃ、出遅れたな。どうする? パンでも買って教室で食べるか?」

「うーん……その方がいいかもね」

「いや、問題ない」


 僕はそう言うと、颯爽と学食の中心へと向かった。

 女子が五人ほどで仲良くランチを楽しむ花園。

 しかし、そこには、まだ三つ席が空いている。


「――失礼。お嬢さん達、我々も同席させてもらって構わないかな?」


 そう声をかけた時、彼女達五人の反応は三つに別れた。


 一つ――僕を見て、顔を赤らめる女子。これは正常な反応だ。


 二つ――僕を見て、なぜか気の毒そうな顔をする女子。これはよく分からない。


 そして、三つ目――僕を見て、まるでこの世の終わりのような顔をする、我が妻の姿。


「……どうぞ」


 地獄の底から絞り出すように、妻は席を進める。

 はて。一体なぜそんな顔をするのだろうか。

 まあ恥ずかしがり屋な妻のことだ。夫に恋焦がれる顔を見られたくないのだろう。


「では、失礼」

「あー、その、すまん」

「姫上さん……ほんとごめんね」


 心底申し訳なさそうな友人AとB。

 女子同士の語らいを邪魔したくなかったのだろうか。

 その気持ちは分からなくもない。

 しかし彼女たちも、僕たちのような美男子と昼食を共にできるのは、決して悪いことではないはずだ。


「ううん……あなたたちも、いつも大変ね」


 そう言って、どこか分かりあったように頷く妻と友人。

 むむ? なんだか不穏な空気だ。

 夫以外の男性と分かりあうとは、いかがなものだろう。

 これは一言言ってやらねばなるまい。


「妻よ、そういうのはいかがなものだろうか」

「妻じゃない死ね」


 冷め切った目でこちらを睨む妻。

 しかし人目に気づき、すぐに目元を和らげる。

 まったく。そういう照れ隠しは時と場合を選んで欲しい。

 クラスメイト達が驚いているではないか。


「すまないね、みんな。どうも彼女は素直になれない悪癖がある」

「……さ、みんなご飯食べましょ。時間なくなっちゃうわ」


 もはや虚無、といった表情で弁当をつつく妻。

 それを見てなぜか周りは、”姫上さん、ほんと大変だね……”、”いつでも相談乗るからね”、”水野くん、顔はかっこいいんだけど……”と励ましの声をかけている。


 よく分からないが、ようやく場が落ち着いたようだ。


「では、僕たちも食事をとりにいくとしよう」

「あ、ああ……」

「あの、みんな。席が空いたらすぐ他行くから」


 どこか申し訳なさそうに僕に続く友人たち。

 なぜそんな顔をするのだろう? 日本人は謙虚を美徳とするが、それも行き過ぎれば問題というもの。

 もう少し、自分に自信をもつべきだ。


「君たちも、少しは僕を見習うといい」

「はいはい分かった。分かったからさっさと食ってさっさと帰るぞ。迷惑にならないように」

「いや、むしろ彼女たちが食べ終わるまで待つべきじゃない? なるべくゆっくりご飯を取りに行こう」


 やれやれ、困った友人たちだ。


 ――そうして、和やかな昼食を終え、授業をうけて、やがて放課後になる。


 さて、今日も例の場所に行くとしよう。





 ――カランコロン。


「いらっしゃいませ」


 店員の女性が僕を見て、その美しさに赤面する。

 反面、いつもの指定席に座る妻は。


「――やあ、待たせたね」

「微塵も待ってねーわよ。いや、ほんとに」


 なぜか僕を見て、がっくりと肩を落とす。

 ふむ、どうやらまだツンデレ期は終わらないらしい。


 こんなやり取りが、僕ら夫婦の日常。

 美しく完璧な夫と、ちょっぴり照れ屋な美しい妻。


 そんな誰もが羨むベストカップルの、しがない一日である。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【あとがき】


ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


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