第12話 姫上さつきの過去


 ――自分の家族は、壊れている。


 私、姫上さつきがそう自覚したのは、いつのことだっただろう。


『――なるべく、手をかけさせないでね』

『私は忙しい。遊びならよそでしなさい』


 男遊びに夢中な母と、仕事人間の父。

 そんな両親からただ義務的に、私は育てられた。


『――お母さん。この前、テストで満点とったの。だから……』

『だから、何? そんなくだらないことで時間を取らせないで』


 両親から愛情を感じたことはない。

 遊んでもらった記憶などないし、学校行事に参加してくれたこともない。


 ただ生まれてしまったから、仕方なく育てているだけ。

 そんな風に思えた。


『――では、これで手続は終わりだ』

『ええ、せいせいするわ』


 しかしそんな両親も、私が中学校に上がると同時に離婚した。

 きっかけなんて知らない。

 ただあまりにもあっけない、家族の幕切れだった。


『――行くわよ、さつき』


 面倒を抱えた、と顔に書いてある母。

 養育権を”勝ち取ってしまった”、敗者の顔。


(……本当は、父さんに押し付けたかったんだろうな)


 うんざりした母の表情から、それは察せられた。

 それでも、一緒に暮らしていれば、と。

 そうかすかな希望をもっていた。だが。


『……お母さん?』


 一年後、突如母の私物が家から消えた。

 代わりに置いてあったのは、一枚の置き手紙。


【今後生活費はこの口座に振り込みます。緊急時の連絡先は――】


 それを見て、ああ、と私は悟った。

 私は、捨てられたのだ。

 母は自分の人生を生きるために、邪魔な娘を排除したのだ、と。


『……っ』


 それ以来、母は家に帰らなくなった。


 きっとどこぞの男の家にでも入り浸っているのだろう。

 生活費を入れてくれるのが、せめてもの救いだった。


 父も、そして母もいなくなり。

 私はとうとう、一人きり。

 誰も助けてくれず、誰も守ってくれない。


(……なら、仕方ないわよね)


 誰も頼れないのなら、自分が強くなるしかない。

 ただ一人きりでも、生きられるように。


 私は、そう決意した。


『――君が、姫上さつきさん?』

『はい。よろしくお願いします』


 幸い容姿には自信があったから、モデルの仕事を始めた。

 将来食べていけるように、勉強にも手は抜かなかった。


 必要なことを、必要なだけやってきた。

 それが間違いだったとは、今でも思っていない。


 ……ただ唯一、誤算だったのは。


『姫上さんってさ、すごい美人だけど、なんか冷たいよねー』

『分かる。あの人、他人に興味ないんじゃないかなぁ』


 強くなろうと一人を選んだ結果。

 私の中から、徐々に他人に対する関心が消えていったこと。


 欲まみれの目で言い寄ってくる男子。

 嫉妬して、嫌がらせをしてくる女子。

 形ばかりの心配をする教師に、どこにいるかも分からない両親。


 ――全部、どうでもいい。


 私は自分でも気づかないうちに、本心から、他人を必要としない人間になっていた。


 しかしそれはある意味で、私の理想。

 一人で生きていける強さを得た、その証明。


 でも……



(……多分、私はもう、独りでしか生きられないんだろうな)


 それを寂しいと思えないことだけが、ほんの少しだけ、寂しかった。











「……ん」


 ゆっくりと目を開ける。


 ――なんだか、懐かしい夢を見た。

 ほんやりと見慣れた天上を見上げる。

 まだ頭は痛いし、体も熱い。

 でも薬が効いているのか、少し前よりは大分ましになっていた。


「……くっ……」


 体を起こそうとすると、節々が痛む。

 典型的な風邪の症状だ。


(ああ……本当に油断した)


 風邪なんて、もうしばらく引いていなかったのに。

 そう思い、頭を押さえながら、立ち上がろうとした時。


 コトコト……トントン。


 キッチンの方から、物音と、人の気配がした。


「……っ」


 まさか、不審者!? と慌ててキッチンに目を向けると、その後ろ姿に全身の力が抜けた。


「……なんで、まだいるのよ……」


 それは、ある意味不審者というか。

 ここ最近私の頭痛の種である、あのストーカーナルシストの姿だった。


「……ん? ああ、起きたか」


 そいつは私に気づくと、お玉片手にこちらを振り返った。


「今ちょうど食事を用意していていな。もうすぐ出来る頃だ」


 そう言って、呑気に鍋をかき回している。

 ……いや、何を勝手に人の家のキッチンを使ってる。


「……何してんの。あんた」

「ん? 何って、だからおかゆを作っているのだが」

「頼んでないんだけど」

「まあそう言うな。この水野蒼汰。料理には少しばかり自信がある。期待して待っていてくれ」


 いやそういうことじゃない。

 と言いたいが、この変人に真っ当な理屈が通用しないことを、すでに私は痛いほど知ってしまっている。


(……あーもう)


 ただでさえ頭が痛いのに、これ以上頭痛の種を増やさないで欲しい。


 どさっとベッドに倒れこむ。

 ほんと、なんでこいつを家に入れてしまったのだろう。

 いくら熱があったとはいえ、少しガードが緩みすぎではないだろうか。


 ……と、いうか。


「……あんた、私が寝てる間に変なことしてないでしょうね」

「見損なうな。一応呼吸だけは確認したが、指一本触れていないと神に誓う」

「あ、そ……」


 ……こういう、変なところで義理堅いところがなおさら腹立たしい。


 そうして、あいつはやけにいい匂いのする鍋をかき混ぜながら。


「……よし、これで完成だ。水野家秘伝。卵がゆ。うちの妹からも、これに関しては店を出せるとお墨付きだ」

 

 なぜかどや顔で胸を張るアホ。


 それを見ていたら、なんだか色々気にしている自分が馬鹿らしくなった。


「とり皿は……このスープ皿でいいか。あとスプーンが……」


 そう呟きながら、許可も取らずに人の家を物色する不審者。

 いや、ほんと警察に突き出してやろうか。


「これでよし。さあ、遠慮なく食べてくれ」


 そう言って、テーブルにおかゆをよそったスープ皿と飲み物、あと私が注文したフルーツゼリーを並べ、ご満悦といった表情のあいつ。


 最早ため息も品切れとなり、私は渋々スプーンを握った。


 しかし、そこでふと。


(……家で誰かの手料理を食べるなんて、いつぶりだろ……)


 そんなことを思った。

 もう思い出せないくらい昔に、母が作ってくれたような気がするが。


 恐る恐るスプーンをおかゆに差し込み、一口すくって食べてみる。


「……あちっ」


「あ、まだ熱いからな。ゆっくりでいいぞ」


 そういうことは先に言って欲しかった。

 なんとか口の中で冷まし、少しずつ飲み込む。


(……あ、おいし……)


 素直に、そう思った。

 溶いた卵に、長ネギ、少しの醤油と、細かく刻んだ鮭フレーク。


 そのまま、二口、三口とおかゆを口に運ぶ。

 ……やっぱり、美味しい。


 認めるのは癪だが、料理が得意、というのは嘘ではないらしい。

 そのおかゆは、温かく優しい味で、本当に美味しかった。


 そうして、しばし無言でおかゆを口に運んでいると。


「……あ、あの? 姫上さん?」


 前から、戸惑ったような声がする。

 なに、今忙しいんだけど。とばかりに顔を上げると。


「いや、その……口に、合わなかっただろうか?」


 そいつは、やけに心配そうな表情で、そんなことを言い出した。


 何を言っているんだろう。普通に食べてるでしょうが。

 そう返そうとして。


「……っ……」


 なぜか、言葉を上手くしゃべれなかった。


 だから、とりあえず首を横に振って、味はいい、と伝える。

 けれどあいつは、なおも心配そうな顔で。


「いや、だがな……」


 全く、何をそんなに心配しているんだか。

 料理には自信がある。そう言っていたのは自分なのに。


 呆れたように、そう言おうとして。


「口に合わないのでなければ、なぜ……キミは泣いているんだ?」


 その言葉に、体が固まった。

 そして恐る恐る、自分の頬を指で撫でてみる。


「……っ」


 すると感じる、湿った感触。

 自分のことなのに、それに思わず呆然とする。


「……もしかして、自覚がなかったのか?」


 頷く。どうしてだろう。

 だって、別に。泣くことなんて何も。


「……あ、れ」

「え? お、おい!?」


 拭っても拭っても、それは止まらない。

 むしろ止めようとすればするほど、溢れてしまう。

 分からない。なんだろう、この感情は。


「……ごめん、水野くん」

「え……?」

「今日は、帰ってもらえる?」

「いや、しかし……」

「帰って。お願いだから」


 少し強い口調で言う。

 すると彼は、一瞬息を呑み。


「……分かった」


 散々迷った末に、頷いた。



 

 ――パタン。


 静かに、扉の閉まる音がする。

 それを見届けて、ふぅ……と息を吐いた。


 涙はもう止まっている。

 でも、彼の前で泣いてしまった事実は変わらない。


「……最悪」


 半ば八つ当たり気味に、目の前のおかゆを一口食べる。

 少し冷めてきた。それでも美味しい。


 ……本当に、いつぶりだろう。


 誰かの手料理。自分を心配してくれる人。

 こんなに温かいものなんて、むしろこれまで味わったことがあっただろうか。


「……ほんと、最悪」


 まだ自分に、こんな感傷が残っていたことに驚く。

 それを喜べばいいのか、悔やめばいいのか。それは分からない。


 ただ、それでも。


(……ごめんね、水野くん)


 どうしたって、自分の本質は変わらない。

 今もこれからも、私は一人でしか生きられない。

 だから。


「……ちゃんと、話さないとね」


 彼の気持ちが、真剣だと分かるからこそ。

 彼のためにも、ちゃんと諦めさせてあげないと。








ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【あとがき】


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