第11話 一人暮らしで風邪を引いた心細さは異常


「……ここ、か?」

「そうよ。悪い?」


 タクシーを降りた先には、一つのアパート。

 かなり年季が入っており……言い方を選ばなければ、ボロい印象を受けた。


 ……これが、彼女の住む家?


 意外、といっては失礼だが。

 あの姫上さつきが住む家としては、まるで不似合いに思えた。


 そんな内心の動揺を隠すように。


「ご両親に連絡は……」


 そう声をかけるも、彼女は首を振る。


「私、一人暮らしだから。意味ないわよ」

「……っ、そう、なのか?」


 高校生で、一人暮らし?

 仕事の都合か何かで、離れて暮らしているのだろうか。


「……分かった。せめて部屋まで送る。何階だ?」

「3階。あと、もう大丈夫。そろそろ歩けるから」


 そういうと、僕が制止する間もなく、彼女はぱっと僕の背から降りる。

 しかしすぐにふらつき、僕は慌てて彼女を支えた。


「お、おい。無理しない方が……」

「大丈夫……」


 よろよろ、と覚束ない足取りでエレベーターまで歩こうとする。

 やれやれ、と僕が腕を差し出すと、彼女はしばし逡巡した後、控えめに腕を掴んだ。


 そして、エレベーターで3階まで行き、彼女の部屋の前までつくと。


「……じゃあ、今日はありがとう。手間かけたわね」

「ん、ああ……」


 そう言って、彼女は、部屋の鍵を開け、一人で入ろうとする。

 その手を、僕は無意識に掴んでいた。


「……っ、な、なによ?」

「……」


 戸惑う彼女。その青白い顔を見て、気づけば口が勝手に動いていた。


「……すまない、非常識を承知で言う。部屋に上がってもいいだろうか?」

「……は、はぁ!?」


 驚いた声。しかし近所迷惑になると思ったのか、慌てて口を押える。


「……あのね、仮にも女の子の部屋に、彼氏でもない男子を入れるわけないでしょうが」

「分かってる。でも心配なんだ。ダメ、だろうか」


 自分の非常識さは重々承知だ。 

 だがどうしても、今の彼女を放っておくことはできなかった。


 僅かな沈黙。やがて彼女は、諦めたように息を吐いて。


「……好きにすれば。言っとくけど、変なことしたら即叩きだすから」

「ああ」


 そう言って、渋々僕を部屋に入れてくれた。







「――散らかってるけど、文句言わないでよ」

「あ、ああ……」


 妹以外で、初めて入る女の子の部屋。

 だがその部屋は……やはりというべきか、彼女のイメージとはまるで違っていた。


 ヒビの入った壁に、古ぼけた障子。

 窓は薄く、風が吹く度に音が鳴る。

 最低限の補強はされているようだが、とてもじゃないが女の子が一人で暮らす部屋じゃない。


(……こんな部屋で、暮らしているのか)


 一瞬、そんな失礼な感想を抱いてしまう。

 しかし、そんな感情はすぐさま立ち消えた。


「……っ」


 部屋に入った瞬間、彼女はふらつき、壁にもたれかかる。


「姫上さんっ!?」


 慌てて駆け寄りその肩を支える。


(……っ、これは)


 触れた肩から感じたもの。


「姫上さん、ちょっと悪い」


 そう言って、彼女の額に手を当てると。


「……やはり、か」


 高熱だ。先ほどまでより、明らかに悪化している。


「……姫上さん、これはよくない。救急車を呼ぼう」


 そう声をかけるも、彼女は首を振る。


「……それは、だめ」

「だが!」

「……私の鞄」


 そう言って、姫上さんは力なく、床に落とした鞄を指差した。


「薬、もらったから。取ってもらえる……?」

「……っ」


 歯噛みする。そんな市販薬ではなく、病院で検査を受けるべきだ。

 そう思うも、彼女の表情に阻まれる。


 ――病院に、行きたくない事情があるのか。


 やむを得ず鞄を開け、薬を取り出す。

 そして冷蔵庫にあった水と共に、ベッドに腰掛ける彼女に手渡した。


「……っ、ありがと」


 一息で飲み干すと、彼女はふぅ、と息を吐いた。

 そんな彼女に、僕は、どうしても消えない疑問を問いかけた。


「……聞いても、いいだろうか」

「……なに」

「姫上さんの、ご両親は……」


 その問いに、彼女はしばし沈黙して、手元のペットボトルを握り締めた。

 その表情は、先ほどと同じ。

 彼女らしくない、迷子の子供のような表情で。


「……それ、言わなきゃダメ?」

「もちろん、無理にとは言わない」


 他人の、ましてや病人から、無理やり聞き出す気はない。

 彼女が話したくないというなら、僕はそれを尊重するつもりだった。


 だが、彼女は一つため息をつくと。


「……私の両親、5年前に離婚してるの」


 やがて、ぽつぽつ、と語り始めた。


 離婚。その言葉に、僕の体が一瞬固まる。

 今の時代、珍しくもないことだ。

 だがそれが子供に与える影響は、決して小さくはない。


「母親に引き取られたんだけど、あの人は、子供に興味がなくて」

「……」

「生活費は入れてくれるけど、今どこで何をしてるのかは、分からない」


 ……その言葉に、僕は絶句した。

 なんだ、それは。

 それでは、まるで。


「……ネグレクト、というやつか?」

「さあ、どうなんだろう。私ももう子供じゃないし、一応養ってはもらってるから、違うのかもしれないけど」


 そういう家庭があると、知識では知っていた。

 でもまさか、彼女が。


「ならキミは、ずっと一人で……?」

「そ。中学に上がってからは、ずっと一人暮らし。母親と最後に会ったのは……もう、三年くらい前かな」

「な……っ」


 ……三年前? そんなのもう、他人も同然じゃないか。

 

 僕は思わず、彼女の暮らす部屋を見渡す。

 狭く古い家。こんな部屋で、たった一人。

 誰に頼ることもできず。

 彼女はずっと、一人きりで生きてきたというのか。


「……っ」


 思わず、唇を噛み締める。


 姫上さつき。


 僕の知る彼女は、美しく、気高く、強い女性だった。

 きっと裕福な家庭に生まれ、愛情を注がれて育てられたのだろうと。

 勝手にそう思っていた。


 なのに、これは……


「……なんで、あんたがそんな顔してるのよ」


 顔を上げると、熱で辛そうにしながらも、苦笑する彼女の顔。

 彼女の目に、今の僕はどう映っていたのだろうか。


 それに僕は、自責の念を振り払うように首を振る。


「……いや、すまない。少し自分を恥じていただけだ」

「恥じる?」

「好きな女の子の事情一つ、何も知らなかった自分に、だ」


 そう言うと、彼女はなぜかジトッとした目でこちらを見る。


「……前から思ってたけど、好きとか、あんま軽々しく言わない方がいいわよ。薄く感じるから」

「バカな。軽くなど言うものか。いつも本気だ」

「……そこだけは信じられちゃうのが、また、ね」


 嫌だなぁ、とばかりに、彼女は小さく笑う。

 その笑みはどこか儚く、普段の彼女の凛々しさはなかった。

 

 それがまた、僕には痛々しく思えて。


「……何か、僕にできることはないか?」

「え?」

「なんでもいい。キミがしてほしいと思うことを言ってくれ」


 彼女の前に座り込み、懇願するようにそう口にする。

 変なことを言っている、と思われるかもしれない。

 でも今は、彼女のために、何かをさせてほしかった。


「……それ、同情?」


 すっと、目を細める彼女。

 その冷たい瞳に、僕は首を振る。


「そうじゃない。ただ、少しでもキミの役に立ちたいだけだ」


 そう言うと、彼女はしばらくじっとこちらを見降ろし。

 

「……はぁ……なら、コンビニでフルーツゼリーとご飯パック買ってきて。おかゆにして食べるから」

「承知した。鍵は借りてもいいか?」

「ん。そこにあるから」


 それを聞いて、僕はすぐさま鍵を拝借して出口に向かった。

 そして、部屋を出る直前。


「……変なやつ」


 彼女が何かを呟いた気がしたが、それは僕の耳には届かなかった。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【あとがき】


ここまでお読みくださり、ありがとうございました!


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