第9話
震える体を何とか動かして立ち上がる。
「大丈夫か?」
「うん、もう大丈夫だよ」
無理矢理笑顔を作るけれど、上手く笑えているか分からない。
心配そうに私を見る律樹から目を離し、去っていく憎らしい背中を見つめる。
予想外な事に心臓がいまだにバクバクと波打っている。
嫌悪感で鳥肌が立つ。
律樹に促され、ベンチに腰掛ける。
「何された?」
少し怒っている気がする。多分、あの男に。
私は少し気が引けるけれど、軽く説明をした。
この人には、隠し事をしたくなかったから。
「美都。俺さ、お前に話さないといけない事がある」
真剣な顔でこちらを見つめる律樹。
少し予想している事がある。
多分、これは彼女の事だろう。
先程の男、鳳月奏夢の奴隷との事。
彼にとってこの話はある意味トラウマなのではないかと、密かに思っていたりする。
「もし、話しにくいなら、別に話さなくても……」
「いや、話さないと前に進めないから」
決意した顔。
そこまで覚悟が決まっているなら、私もちゃんと聞かなきゃいけない。
「と言いながら、ここで話すような事でもねぇよな。よしっ!」
勢いよく立ち上がる律樹を見上げると、律樹が明るく笑って私に手を差し出す。
「今日だけ悪い子になろうか」
律樹が差し出した手を、ゆっくり握ると立ち上がった。
律樹の家に来たのは初めてで、あまりの大きさに開いた口が塞がらない。
「そっちじゃなくて、こっち。そっちはまた今度な」
大きな家を通り過ぎ、少し行った場所に小さな建物。
「今ちょっとこの部屋イジってるから、まだ未完成だけど……ここで、俺は奏夢の奴隷に……」
その先を話す時の、律樹の表情は痛々しくて、苦しそうで、辛い事なんだと分かった。
「自分のせいなのも分かってるし、謝って済む問題でもない。いくらそういう事が許される状況であったとしても、男として、好意があるなら尚更ちゃんと誠実に接するべきだったし、女の子相手にあんな事、するべきじゃなかったんだ……」
どんな状況だったのか、状態がどれほど酷かったのかなんて、私には分からないし、彼がどんなに辛い思いをしていたとしても、私には計り知れない。
普通に女の子は辛かったのかな。それとも、諦めてたのかな。
少しだけれど、私が覚えている彼女は、何処か冷めていて、何に対しても他人事のように状況を見ている目が、誰も写していないようなそんな印象があった気がする。
奴隷制度に絶望してるとか、そういうのではなかったように思う。
もっと、深い何かがあるような印象。
「謝った? その人に」
「いや……まだ。会えてもないな。怖かったのかも、しれない……拒絶されるのが……」
「まだ、好き?」
「いや、それはない。一目惚れしたのは事実だし、欲望だけで抱き狂ったのも事実だ。でも今は……」
部屋を見上げていた律樹がこちらを見た。
その真剣な表情に、体がビクリと跳ねる。
「他に気にしなきゃいけない奴が、出来たから」
真っ直ぐで突き刺さるような視線に、まるで自分に向けられた感情なのかと思うくらい、背中がゾクリと粟立つ。
彼をここまでさせる人は、一体どんな人なのだろうか。
狂う程好きだった彼女を超えてまで、こんな事を言わせる人。
何だろう。胸がチクリとした。
胸が、痛い。
「ちょっ、美都っ……どうしたっ!?」
律樹は何をそんなに驚いているんだろう。
「ごめんっ、変な話してっ! そうだよな、こんな話、気持ち悪いよな……泣く程嫌な事、話したんだな……ほんと、ごめんっ……」
泣くとは、誰の事なのか。誰が泣いてるんだろう。
そう不思議に思ってた時だった。
私の頬に、律樹の指が滑る。
「ごめん、俺なんかに触られるのは、嫌だよな……ちょっとだけ、だから……だから、我慢して……」
話が進みすぎてついていけない。
泣いているのは私で、彼はその理由を誤解している。
そして私は、気づいた。
嫌なんだ。
彼が私以外を見るのが、考えるのが。
彼の頭を支配する人が、自分じゃないのが。
そう考えると、また涙が流れた。
ダメだ。頭がぐちゃぐちゃで、訳が分からない。
「違うっ……律樹が、嫌とかじゃ、ないっ、からっ……」
これだけは言いたかった。
言わなきゃ、いけない。誤解なんだと。
落ち着ける場所を探して、律樹は大きな方の家へ私の手を引きながら入って行く。
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