第4話

■四話■


 眠れなかった。スイは嫌がらなかったし、もしかして満更でもなかったのでは。と、都合のいいことを考える。細いし薄い。余計なものは何も持っていないスイの体を思い出す。あの体から繰り出される拳はそれはもう重く、鋭く、動きも俊敏で、かと思えば、どっしりと構えて相手を威圧することもある。フウへ指導しているのは力がなくとも相手の攻撃をいなして利用する戦い方だが、ウェザリアと相対した時には真正面からぶつかってくる。勝ち筋へと真っすぐに向かう姿は柔軟で、こうでなければという固定観念がなにもない。使えるものは全て使うし、使ってみるし、自分の中に取り込んでいく。二週間。スイは住民の頼みを聞いたりもしていいた。雪かきから、ちょっとしたおつかい。礼を貰うことがほとんどだったようだが、フウは「そんな良い人ばかりじゃないよ」と吐き捨てていたので、理不尽なことを言われたりもしたはずだ。それでも、スイはそんなことは気にもせずに日々を過ごしていた。人はそこまで潔くなれるものなのだと驚くばかりだ。きっとその源泉は、アルデインの言葉だろう。スケールの大きさに影響されて、アルデインの言葉を本当にするには、自分はどうあるべきかと常に考えている。話を聞くに、元々の戦闘センスに加え、努力や、人への助力も惜しまない。プライドなんて地面に捨てて頭を下げることもできる。冗談じゃなく、自分が傷を負うことに躊躇がない。

 ウェザリアは、その内眠気が訪れないかと腕立て伏せをしながら夜を明かした。途中腹筋運動も挟んで、懸垂に移行して、と、結局目がさえるばかりであったが、朝食後、流石に少しだけ眠った。

 朝から灰色の雲が空にかかっていて、早ければ昼過ぎから雪が降り出すだろうと思われた。アルデインは雪が珍しいようで、また外に出たいと言い出すかもしれない。スイはそれに付き合って城を出て行くだろう。

 毎日、それを見る度に胸が締め付けられるような心地がするのだけれど、今日は特別、スイとアルデインが城から出て行く瞬間、寒気が走って心臓がざわつきはじめた。

「……なんだ?」

 急いで着替えて城に異常がないか確認する。城を駆け回り隅から隅まで確認する。城に異常はない。城壁から外を見るが、街は静かで、変わったことは特にない。「少し出て来る」適当に擦れ違った部下に告げて街へ下る。街のことであればフウの方が詳しいのではと食堂へ行くが、フウは密猟の警戒の為に見回り中だそうで、アヤが出てきた。

「どうかしたんですか。まさかスイちゃんになにかあったとか?」

「いや」

「でも、ウェザリア様、顔色がお悪いですよ」

「それは、わかってる。俺はいいんだ。そちらのほうで何か変わったことはなかったか」

「こっちは特に。ちょっと食材の入荷が遅れてるくらいでしょうかねえ?」

「そうか」

 研究所の傍に、フオルうさぎ他密猟への対策チームの小屋ができている。ハロルドに声をかけるが、やはり、なにもないようだ。昨日は密猟者は見当たらなかったそうである。

「なら、変わりはないか」

「密猟者はいなかったんですが」

「なんだ」

「誰かが山に入ったような跡がありました。今は、猟師でも入山の許可を得るように周知していますから、地元の猟師ということはないでしょうが。引き調査します」

「ああ」

 街を見て回って、南の門のあたりへ行くと、門番が落ち着きなくそわそわとしているのを見つけた。「おい」声をかけると「ウェザリア様」と姿勢を正す。なにかかわったことはなかったか。心がざわつくままにそう聞くと、門番の男は「おかしなことではないのかもしれませんが」と前置きをして言った。

「王都騎士団の制服を着た男が数人通りました」

「目的は?」

「ザフオル城へ行くと。なにかお約束だったのでは?」

「……馬を借りる」

 は、と門番が短く返事をする。伝令用の馬に乗り、城まで走らせる。嫌な予感がずっとしている。何を聞いても収まらない。スイは、こういう時どうしているのだろうか。まず、スイを引き留めて「何も感じないか」と聞いておけばよかったと後悔しながら最速で駆けた。

 到着すると一番近くにい居た部下に馬を預けて、エントランスホールに入る。

「――このッ!」

 響く、知らない男の声だ。

「この大バカ者が!」

 見れば、王都の騎士団の、これは結構な地位の人間にのみ許されていたと思われる、白い制服を着た男が、スイとアルデインを正座させて説教をしていた。なんだこれは。遠巻きに見ている部下に「これはなんだ」と声をかける。

「いや、なんでも、第一王子の側近で、スイさんのお兄さんだとか」

「ああ」

 ということは、彼が迎えか。ウェザリアはそう納得するが、しかし納得していいものかどうか。

「お前はいきなりいなくなったかと思えば、こんなところに何をしに来ている!? スイに任せたんだから黙っていきさつを見守っておけ! 行くなら行くでそれだけの公務を終わらせてから行け! そして行先を言え! 誘拐かと思ってひどい騒ぎだったんだからな! 第一王子としての自覚が足らなすぎる! 迷惑をかけた奴らとこの城の皆々様に百回謝れ大うつけが!」

 スイの兄であるという男はスイをも睨み付ける。

「お前もお前だ! こんな阿呆は馬に縛り付けて送り返すか荷物の箱に詰めて送り返せばよろしい! そうやって相応に扱おうとするからこの男はつけ上がって脱走を繰り返すんだ!」

「すみませんでした」

 スイは諦めたように目を閉じて兄に頭を下げている。アルデインはと言えば話を聞いているのかいないのかわからない顔で余所見をしており、ウェザリアを見つけると手を振った。

「おお、ウェザリア」

 ぐるん、とスイの兄と、付き添いの騎士二名がウェザリアを見る。スイの兄はアルデインよりもやや身長が低く、スイの言った通り武術が得意そうには見えなかった。眼鏡の奥の瞳は丸いが、今は怒りに燃えていて、元々の顔立ちがよくわからなくなっている。スイとはあまり似ていない。髪色も目も黒色だし、唯一、髪型だけは少し近い。

「ウェザリア・レイランス殿ですね」

「は」

 王都の、王子の側近であれば立場は彼のほうが上だ。咄嗟に頭を下げたが、彼はそれよりも深く頭を下げた。

「大変申し訳ない! この阿呆王子は私が即刻連れ帰りますので、これからもスイを助けてやってください。なにか必要な物資などはございませんか。もしあれば届けさせるようにいたします」

「い、いいえ。こちらこそ、スイ、殿には騎士団の技術指導なんかもしてもらって」

「その話、スイの妄言じゃなかったのか! ありがたい、社会性のない妹ですが、受け入れて貰えて感謝しかない」

「いや、俺というより、スイの力です」

 目を見開いて謝罪や礼に忙しくしていた彼であったが、ウェザリアの言葉を聞いて「なるほど」と呟いた。立ち上がるとホコリを払って、連れの二人にアルデインを拘束するように指示を出す。彼らも彼らで慣れているようで「失礼します」と声をかけるのみでアルデインの両腕を押さえた。

「よし。先にロープで縛って馬車に押し込んでおけ。――では、ウェザリア殿。兄妹揃って騒々しくして誠に申し訳ございませんでした。我々は王都へ帰ります。ご要望があればなんなりと、スイを通してでもおっしゃってください。迷惑料は惜しみません」

「ああ、いえ、お義兄さん」

「誰がお義兄さんだこの野郎頭湧いてんのか」

 口が悪い。スイの兄はハッとして、一つ咳払いをする。

「失礼、グースと申します」

「お、お義兄さん」

「殺すぞボケが」

 幻聴ではなかった。今にも唾を吐かれそうな歪んだ顔が見上げて来る。丸くて童顔なのだが、信じられないくらいに柄の悪い声を出していた。今度はウェザリアが咳払いをする。冗談のつもりではなかったが、それはさておき。

「グース殿。ここへ来る途中、変わったことはありませんでしたか。なにか、気付いたことでも」

「ん? いや、特には。強いて言えば、例年よりも雪が多そうで。なにか気になることでも?」

 方々を駆けまわってみたが、誰かを納得させられるようななにかは掴めなかった。ウェザリアは緩く首を振る。なにもなかった。町は平和そのものだ。

「具体的になにというわけでは、ただ、先ほどからどうにも、嫌な感じが」

「ふむ……」

 グースは顎に手を当てて、スイと目を合わせた。

「そういう予感は大事にされたほうがいい。――スイ、聞いていたな。ひとっ走り行って国境あたりを調べて来い」

 スイは助かったとばかりに立ち上がる。

「わかった」

「わかりましただろォが公務中だぞ」

「わかりました兄上。――それとは別に頼んでいたものは」

「あと数刻で来るはずだ。後はいいか?」

「はい。なにかあればウェザリア殿へお伝えください」

 ウェザリアは「悪いな」とスイへ声をかける。スイが様子を見てくれるのならば、いくらか安心だ。スイが見まわって、それでもなにもないとなれば、なにもないのだろう。スイが外へ行こうと扉へ手を伸ばす。心拍数があがる。何故。考えるより先に、ぞく、と寒気がした。足場がひどく不安定なような。足場など存在していないかのような。

 突如、城の入口のドアが開け放たれる。スイはうまく避けて、今にも倒れそうな騎士を支える。

「――ウェザリア様!」

 スイに支えられていることなど関係ないとばかりに、真っ直ぐにウェザリアの方を見ている。それどころではないのだろう。ああ、きっとこれだ。すぐに騎士の傍へ駆け寄って、しっかりと立たせる。

「なにがあった」

 開け放たれた扉の向こう、馬車に押し込まれながらアルデインもこちらを注目しているのがわかる。スイもまた報告を待っている。これ次第で次に自分が取るべき行動が変わると思っているのだろう。

「ほ、北東の国『ヴルカ』と、北西の国『ラブラド』の軍隊が山を越えて攻めてきます!」

 全員が微かに目を見開く。ザフオルの騎士達は動揺している。現在の自分たちの状況を一番よく知っているのは彼らだからだ。ウェザリアは努めて冷静に問う。

「……現在の位置は?」

「国境を越えたあたりで、修道会の者が見回りをしていたところ敵兵を発見しました」

「修道会の連中は無事か」

「うまく退いたようで今のところ負傷者の報告はありません。現在、東側をフウという修道会代表者が一定の距離を保って警戒中とのこと」

「フウか」

 騎士としては満点だが、見習い騎士の仕事ではない。別の騎士が叫ぶ。

「ウェザリア様!」

 城壁の上からだ。ウェザリアは外にでて、望遠鏡を覗く部下を見上げた。

「どうした」

「敵国の軍隊が目視できました! 北東約二百、北西も同じく約二百!」

 舌打ちをする。平時であってもギリギリだ。現存のザフオル騎士団の数は、スイが宣言した通り捕まったもの逃げた者を合わせて半数がいなくなっている。数としては半数だが、戦力としては三分の一に満たないだろう。それでも、とウェザリアは声を張る。

「全団員に通達! 修道会の連中も使って市民の避難誘導! 平行して迎撃準備! 密猟を取り締まっているチームにも声をかけて来い!」

 慌ただしく動き始める騎士団員には、等しく焦りと不安の色が浮かんでいる。戦力が落ちている。「なんだってこんな時に」「バカ、なんとかするんだよ」「なんとかっつったって」二国から同時に攻められたことなどいまだかつてない。

 グースが眼鏡を押し上げながら言う。

「……黒幕は、騎士団に居たのでしょうね」

「なに?」

「報復でしょう。商売の邪魔をされて、もしかして脱走した騎士の中にいたとしたら、居場所もなくなった。腹いせに、東西隣国に騎士団が大きく崩れていて戦力が落ちていると噂を流して襲わせる。いや、元々敵国のスパイが紛れこんでいたのかもしれない」

 ここまでの事態になるまで放っておいた、自業自得だ。団員はそれに付き合わされていい迷惑である。「クソ」ウェザリアが拳を握って俯くと、スイがウェザリアの肩を叩いた。グースとアルデインがそれを見て目を丸くする。スイはウェザリアを励ますようにしたが、ウェザリアに声をかけることはない。ただ、前だけを見てこれからのことの話をする。

「フウさんがいるなら、私は東側に行こうと思う」

「それがいいでしょう。ザフオルの騎士団は西側へ。そう通達してください」

「バカな、スイを一人で」

「二百程度ならものの数ではない」

 グースがすぱりと言い切った。スイもあまり問題視していないようだ。冷静を装っている、というわけではなく、なんとかなるという確信がある、という風である。

「しかし、ザフオルの騎士を総動員させたとしても、できて時間稼ぎ」

「充分。数刻耐えて貰えれば、王都の増援が来ます」

 敵襲の知らせが届いたのはたった今だ。グースが馬車へ合図を送ると、馬車の中から鷹が飛び出してくる。グースはローブの中から紙とペンを取り出し、さらさらと書きつける。紙を鷹の足の筒に入れる。

「……何故」

 鷹を飛ばすと「何故?」グースはニヤリと笑う。その手はスイの頭をぐりぐりと撫でる。

「うちの鉄砲玉を舐めてもらっては困りますね。そのくらいの頭は働く。ここは我が国の要の地ですよ。――今、急ぐように伝えました。上手くすれば接敵前に間に合うでしょう」

 スイは頷いて、北東の方角を見る。

「もし早く片付けばそっちにも」

「ええ。犠牲は少ない方が良い」

「派手にやれ。サラ王国のやばいヤツとして暴れて来い」

 アルデインはロープから抜け出して、スイの横にひょこりと立った。

「お前いつの間に、まあいいか。それなら制服で行きなさい」

「動きにくいから」

「スイ」

「旗だけならどうだ? 邪魔になったら地面に刺して行けるぞ」

「それくらいなら」

 スイは馬車に刺さっていた、ザフオル王国の赤色の旗を持たされた。ずっしりとしていて重たいが、所属を示すにはこれ以上のものはない。走り出そうとしたスイを、ウェザリアは引き留める。まだ、胸の奥がざわついている。

「俺も行く」

「なに? 邪魔になるからやめておけ。騎士団長がいなくなってどうする」

「あの子は一人で充分ですよ」

「それでも、俺も行く」

 正論だとわかっている。騎士団長が騎士を率いる必要はあるだろう。しかし、東側と西側の平地であればお互いを目視できるだろう。スイにだけ東側を丸投げするというのもおかしな話だ。

「指揮は、ハロルドに執らせる。あいつならば上手くやるだろう」

 スイとの鍛錬のおかげでハロルドの株も騎士団内であがっている。誰よりも慎重に事を運ぶはずだ。ウェザリアはスイを見る。スイもまた、ウェザリアを見上げた。

「いいか」

 邪魔だから来るな、とは言われないだろうと確信があった。思った通りに、スイは頷く。

「構いません」

「よし」

 ウェザリアはスイについて走った。「ここから、騎士団の指揮はハロルドに執らせる。総員西門へ向かうように。以上、伝えておけ」「は!」横目でちらりと見えたアルデインとグースは敵襲と聞いても眉一つ動かさなかったが、スイがウェザリアの同行を許可したことに驚いているようだった。

 ――それは、お前らが、隣に立とうとしなかっただけだろ。もしくは、諦めちまっただろだろうが。


 ザフオルの街を囲む塀から外に出る。東北の門からたった二人だ。丁度東の軍は山から下りたところで、陣形を整えて並ぶ。農村地を含む平地が続いた後、山道へ至る。相手の旗色は金色だ。鎧の色も黄色と派手で、あしらわれているモチーフは彼らの霊山に住むと言われる不死鳥である。山の多い国の割にはなにもかも派手で、貴族は特に宝石に目がないそうだ。さぞ、ザフオルの宝石は高く売れたことだろう。

 スイが、じっと敵陣を見つめて言う。

「あれ、フウさんですね」

「見えるのか? どこに?」

「あの、木で組まれたやぐらの上。柱に縛り付けられているの、フウさんです」

「生きてる、か?」

「外傷はあまりなさそうに見えますが、ああ、動いた、今、意識が戻ったのかも」

 スイの声にはあまり抑揚がない。体力を温存しているのか、神経を他の箇所に使っているのか、視線をくるくると動かして相手を観察している。「対話」これは独り言だろう。「いいや、速攻か。西のこともある」スイは旗を早速地面に突き刺した。

「ウェザリア殿」

「……こんな時になんだが、ウェザーでいいぜ」

 向こうは陣形が整い切っていないし、宣戦布告もまだであるが、たった二人を相手に宣戦布告もなにもない。スイはまず、フウを助けるつもりでいるようだ。

「――ウェザリア殿」

 スイは言う。

「死ぬ気で付いて来て下さい」

「おう」

 作戦会議もなにもなし。注意することも言われはしない。が、二週間毎日ぶつかっていた。話もした。わからないことはまだあるが、真っすぐに走り出すスイに、ウェザリアが必死についてく。スイは、ウェザリアがギリギリついていけるスピードを保つ。敵兵がわかりやすくざわつくのが見えた。盾と槍が構えられる。ついてこい、と言われた通り、ウェザリアはスイの数歩後ろを続く。「まさか」声がする。そのまさかだ。スイはそのスピードのまま走り込む。体を滑らせ槍の柄を掴んで、腕力で左の盾兵もろともなぎ倒す。槍の持ち主と、盾を構える人間二人を倒す。二人であるのは、後ろからウェザリアがついてきているからだろう。「正気かこいつら!」残念ながら、スイも、ウェザリアも正気である。剣撃を避けて正面の大男に掌を打ち込む。衝撃で真っすぐ後ろに吹き飛んでいく。何人かを巻き込みながら、段になった兵を乗り越えて飛ぶ。ウェザリアも同じように動く。スイが空中で体を左に逸らすので、ウェザリアが右に身体を捻じ込み剣を抜いた。阿呆みたいに上に向けられていた切っ先を払い着地する。

「そこのやべえ二人組ー」

 気の抜けた声が聞こえている。スイは一瞬だけ声のした方を見た。やぐらの上の男がフウに剣を向けている。台の上には指揮官らしい男とフウのみ。確認したのはそれだけだ。止まることはせず、そのままのスピードで敵の群れを割って行く。「聞こえてるー? これそっちの市民でしょー?」フウを示して言っているようだが、スイが返事をすることはない。いや、返事はずっとしている。すなわち、フウを解放して今すぐ引くなら止まってやる、と。

「止まらねえとこいつ殺すけどいいわけ?」

 ウェザリアもちらりとやぐらの上を見る。木を組んで、高さを出しただけのやぐらだ。落下を防止するようなものはないし、屋根もない。ただの高台、とも言えるかもしれない。

「スイ」

「うん」

 ウェザリアは自身の剣をスイに渡す。スイは息を合わせて斬りかかって来た四人の剣を回転しながら避け、避けながら腕を切りつけた。その内一人が取り落した剣を、もう一周、更に回転しながら拾って、やぐらの男の方へ投げた。男が剣を持つ右腕を刺し貫き、剣に引っ張られる形で男は台から落ちる。「おわああああッ!?」慌てて近くの兵がクッションになる。

 スイはウェザリアに剣を返し更に前へ進む。

「クソッ! 人質を降ろせ! 助けたってことは人質として成立する!」

 スイがぐっと足に力を入れる。ちらりとウェザリアを見るので、ウェザリアは「ああ」と短く頷いた。大丈夫。これだけ崩せば、簡単にはやられないし、スイのやり方を見てもいた。スイは加速し、敵兵の腰に無防備にささっているままの剣を抜き去り、未だにやぐらの上をぼんやりみている兵士の頭を踏み、高く飛ぶ。兵士たちの混乱が手に取るようにわかる。ウェザリアも、スイが作った隙を容赦なく突いていく。スイと同じくらいのスピードで、目の前の兵をなぎ倒し前へ進む。――スイは、やぐらの上に着地した。

「スイちゃん、ごめんね、私」

「フウさん、動ける?」

 指揮官の指示で周囲の兵が弓矢を構えるが、スイは奪った剣でロープを切断し、フウを左腕で抱え、矢が放たれた瞬間にウェザリアの戦っている位置に戻った。

「こんな時になんだけど、フウでいいよ」

「――頼むよ、フウ」

「俺は呼んで貰えなかったのに!?」

 雪が降り出していた。

 頬に落ちてきた雪が、じわりと解けて汗と混ざる。スイは持っていた剣をフウに渡して、ウェザリアに任せると、先ほどやぐらから落とした指揮官の元へ向かう。スイの狙いは明白。兵士は必死に自らの指揮官を守ろうとするが、剣はスイにかすりもしない。すり抜けるように伸びて来た手に捕まれ放り投げられる。宙に浮かされ、壁として使用され、ある時は、そのまま突進してくる。何人かをなぎ倒して、ついにスイは、後方へ下がり切った指揮官へと到達する。

 指揮官の胸ぐらを掴んで持ち上げる。

「退いて下さい」

 髭を蓄えた中年の男だ。軽薄そうな目をしているが、スイを睨み返している。

「……化け物だな。あんたは騎士なのか」

「サラ王国騎士団、第一王子直下、第一部隊のスイと申します」

「後ろのは?」

「ザフオル騎士団団長、ウェザリア・レイランスと、同騎士修道会の首席、フウ・トツカ」

「こりゃとんでもないことに巻き込まれたなあ」

 指揮官の男は「お前ら攻撃やめろ!」と叫ぶ。攻撃がピタリと止むと、ウェザリアもフウも背中合わせになりながら動きを止める。

「……誰かにそそのかされたんですか」

「そうなんだろうけどな。俺みたいな下っ端にはどこからの情報か、なんてわからねえよ。けどま、あんたらたった二人で止めに来たってことは、情報自体は本当だったわけだ」

「そうですね」

「で、情報流した奴は、あんたの存在を軽く見てたってわけだ」

「そうかもしれません」

「ちょっと勝てるイメージが湧かん」

「すみません。なんとかできると思って出てきている」

「やべえ~」

 指揮官の男は一瞬ぽかんと口を開けたあと、大きく口を開けて、愉快そうに笑った。

「俺は『ヴルカ』国境守備隊のタキと言う。もし『ヴルカ』に来ることがあれば、国境付近の軍の詰所を尋ねてくれや」

 スイはタキを地面に降ろす。ウェザリアとフウがスイの傍に立つ。

「ここで躍起になってあんたを引き留めて、西の奴らにだけ良い思いをさせるのは癪だしな」

「……助かります」

「いやいやこちらこそ。つーか俺らはあんたらの国に攻めて来たんだけどな。なんでもいいけど後ろ怖えんだが」

「うん?」

 スイが振り返ると、ウェザリアとフウがひどい形相でタキを睨んでいた。

「やめなさい」

 スイが言うと、二人は揃って視線を逸らして左右の敵兵を睨む。依然として威嚇しているので、タキは苦笑し、スイはやれやれと息を吐いた。

「早く西に行きたいけど」

「ん? 信用できねえかい?」

「そうでもないんですが」

 口約束だけでこの場を離れていいものか。脅し文句くらいは言っておくべきである気がした。スイは静かに息を吸い込み、タキを見据える。他の兵士にはスイの背中しか見えていなかったはずだが、突如、外気が急激に冷えたような気がした。

「もし、約束が破られることがあれば」

 スイが言い切る前に、大地が大きく音を立てた。

 地面がぐらりと揺れて、一気に場が騒然とする。タキも周りの兵士も驚いている。

「伏兵か!?」

 どちらの? タキとスイが目を合わせる。どちらもなにも仕込んではいない。原因を探っている間にまた揺れる。さっきよりも大きな揺れだ。「なんだ?」「地震か?」地震にしては妙な揺れ方だ。揺れが短く、まるで巨大なものが一歩ずつ近付いてくるような。どおん、どおんと繰り返し、繰り返し。そして聞いたことがない、バリバリという、なにかが裂けるような音。

「ス、」

 フウが真っ青になって剣を捨て、スイの腕を掴む。

「スイちゃん、スイちゃん!」

「どうした」

「スイちゃん、これ、これね!」

 周りの兵士は言い知れぬ嫌な予感を感じて固まり始める。スイやウェザリア、ヴルカの兵士。お互いに敵として認識できなくなっていた。それよりも、もっと大きくて、とんでもないものが近寄って来ている。揺れがどんどん大きく、感覚が狭くなり。一瞬、全ての音が無くなって。フウの両目から涙が溢れる。「どうしよう、どうしようスイちゃん」スイはフウの肩を掴む。「大丈夫、なにを知ってるの?」雪が強くなる。ウェザリアが近付くと、フウはウェザリアの腕も掴む。

「あの時と同じなの、あの時、山で迷子になった時!」

 フウの、ここにいる全ての人間の恐怖心を煽る、乾いた大気に轟く声は獣の鳴き声だ。声は西側から聞こえた。西側の軍隊が、ある一定の方向を見て固まっている。かと思えば次の瞬間、ぽーん、と人が宙に投げ出されていた。「地震じゃない」「あれは」空中でくるくると回り、オモチャの人形のように地面に落ちる。跳ね上げたのは赤色の影。

「サラ・グリズリー……!」

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