第3話
■三話■
木剣同士がぶつかり合う乾いた音がする。
町の外れの雑木林で、そこへ至る道と、二人が木剣を打ち合うスペースの雪が退けられている。その真ん中で、スイとフウがぶつかりあっていた。早朝、近所の(近頃は噂を聞きつけてザフオル中の民家の)雪かき、雪下ろしをしたあとにスイがフウの剣術修行に付き合うのが日課になっていた。スイがザフオルに滞在して二週間程度が経過した。
「よし、そろそろいつものやるよ」
「はい!」
スイが構えると、フウが走って打ち込みに行った。正面、右左、下から、上から。フウが繰り出す一撃を、スイはひたすら受け流し、反撃に転じ、決定打を寸止めする。いくつかのパターンをやると攻守が入れ替わる。構えるフウにスイが打ち込む。はじめの一発、二発はどうにか受け流すが、攻めに転じるよりはやくスイに攻められ、手が追い付かなくなり、軸がぶれ、スイによって剣を跳ね上げられる。フウはそのまま素手でスイに向かうが、動きが直線的すぎて頭を叩かれていた。「いたっ」スイが本気であれば地面に叩きつけられている。フウは先ほどまでの動きを思い返すように黙り込んで、思い返せば思い返すほど自分の粗がよく見つかる。両腕を上げて叫んだ。
「もうっ! スイちゃんすごすぎ!」
「けど、素手で向かってきたのはよかったね」
「ありがと! 今のスイちゃんだったらどうするか見せて!」
フウは飛んで行った木剣を拾って構えながら言うが、二人の立会を眺めていたウェザリアはイライラしながらフウに声をかける。
「お前いつまでやってんだ。そろそろ俺と交替だろうが」
「もうちょっと休憩しててくださいよ!」
「うるせえな、お前が休憩してろ」
ウェザリアに言われて、唇を尖らせながら場所を譲る。動きを再確認したい気持ちもあった。ウェザリアは金色の髪を雑に結んで素手でスイに向かう。スイが一番得意な武器を聞かれて「素手」と言ったからである。素手は武器ではない、とウェザリアもフウも思ったが、スイが真剣な顔だったので何も言えなかった。実際スイはどんな武器でもある程度使うが、自分で言った通り、何も持っていない時が一番動きやすそうだった。
ウェザリアとスイの立ち合いは、フウにするような指導ではない。ウェザリアはいつも本気で向かう。スイはそれに対して、自由に避けたり、反撃したりする。一撃で意識を飛ばすような攻撃はしないが、攻撃は当てる。スイはスイで調整していることがあるのかも知れない。
「あ」
流石に騎士団長なだけあって、フウほど簡単には崩れないが、その内焦って大きな隙ができる。スイはその隙に強めの一撃を叩きこむと構えを解いた。特に言葉はない。「なるほどな」とウェザリアが腹を押さえているのを見下ろしている。
「水、汲んで来ます」
スイが水筒を持ってここを離れると、フウは伸びているウェザリアをつつきに行った。
「……強いな」
満面の笑顔だ。スイと立ち会えることが嬉しくて仕方がない。フウにも伝わっているようで、フウは首を傾げながらウェザリアに言う。
「ウェザリア様って、もっと怖い人かと思ってました。人間にあんまり興味がない感じで」
ウェザリアは起き上がって、修道会に通う騎士見習いのフウを見る。立ち合いを見る、というより、スイと立ち合って心が折れないところを評価している。試しに、スイを招いて技術指導と称してザフオル騎士団で演習をしてみたが、ほとんどの部下は震えあがって話にならなかった。それでも向かって行ったものを、スイはある程度信用して、フオルうさぎの密猟、密売を暴く仕事を手伝わせている。最も、スイはそんなことをする前、スイがザフオル城に乗り込んで来た時に既に、気骨のある人間に目星をつけていたようだが。
「それはたぶん、間違ってねえよ」
騎士達は、スイに悪事を暴かれたり、自ら危険を感じて夜逃げしたりと日に日に減っていくが、団の雰囲気は前よりもいい。はじめはスイを怖がっていたやつらも、スイが城に来ると剣術を見てくれと声をかけたり、フオルうさぎの調査に関わらせてもらえないかと頼んだりしているらしい。その辺りの細かいことはハロルドの方が詳しく、研究者との間に立って、あいつも忙しくしているようだ。「ウェザリア様は」フウが真面目な顔で問う。
「喧嘩が強いから、スイちゃんが好きなの?」
「それもあるな」
「それだけじゃないんですか? 他にはどこが好き?」
「……存在?」
「激重」
「舐めるな。スイはそんなもんものともしねえよ」
スイはとんでもなく強く冷静で、感情なんてないように見えるが、割合に感情重視で行動を決める。指摘してみると「あまり頭が良くなくて」と居心地が悪そうだった。「自分が心から良いと思ったことをやるようにしている。やれると思った最大のことをやりたい」それでいい結果になっても悪い結果になっても自分のせいだから、とスイは語った。「いや、考えることを放棄しているわけではなくて」単純に、選択する時に感情のまま行くせいで、考えるのが後回しになっているのだと言う。「どうしたらいいんだろう」直情傾向型であることを、よく責められるのだとも言っていた。ウェザリアとフウが一緒になって笑うと、困った顔をしていた。
そういう姿と、はじめてあったあの日、城で暴れていた姿。今となってはどちらがいいということもない。
「なにか圧倒的なものを感じてな」
「スイちゃんって」
フウはスイが水を汲みに行った方向を見ながら言う。
「サラ・グリズリーみたい」
「……見たことあるのか? 幻の獣だぜ」
「うん。スイちゃんの髪と同じ赤色の毛で、赤い目が三つ。すっごい雪の日、迷子になった時に一回だけ」
「へえ」それは果たして本当だろうか。なにかを見間違えたとか、幻覚だとか、そういうものではないのだろうか。思うが、フウが言いたいことはおそらく、その出来事の真偽ではなく。
「だから私びっくりしたの。最初スイちゃんを見た時、神様かと思って」
城のエントランス・ホールで真っすぐに立つ赤毛の女。灰色の城の中放たれる存在感たるや。時間が止まって、世界が生まれ変わったような衝撃。咄嗟に欲しいと思って挑んだが、たった一撃で沈められた。ウェザリア・レイランスは粉々に砕け散った。
「それは、わかる」
ウェザリアは深く頷いた。
フウはその横顔をじっと見る。なにか、親近感のようなものを感じたようだ。ニコリと笑う。
「……スイちゃんの好きな食べ物教えてあげようか? 情報料貰うけど」
「……言い値で買おう」
ウェザリアとフウは二人になると大抵スイの話をしている。ウェザリアがスイから聞いた話であったり、フウがスイから聞いた話であったりする。そのせいで、スイの知らないところで情報交換されていて、彼女は時々「その話したっけ」と首を傾げていた。最近は、仕事が終わったらスイとデートをする約束をしたという話をした。「本当に?」とフウが何度も聞いてくるのでムキになって「本当に」と胸を張った。飯を奢る約束だ。「それでも貰いすぎかもしれねえんだが」フウは茶化してくるかと思ったが「いいじゃん」と笑っていた。だから、アヤに何度か「よければ食事を」と誘われても断っている。
「スイちゃんはね、結構甘いものが好きだよ」
「甘いモンって言ったって色々あるだろ」
「今のところ一番はお母さんが作ったレモンのケーキ」
「……酸っぱいものが好きなんじゃないのか」
「いやあれはどっちかっていうと甘いだよ、それに、屋台でよくフオルうさぎまんじゅう買ってるし」
「俺はそれ見たことねえけど?」
「あ、けど、お肉もよく食べてるな。なにが一番なんだろう?」
フウは自信満々に情報提供すると言った癖に、腕を組んで考え込んでいる。「お前な」ウェザリアが情報料を値切ろうとした瞬間だった。
「スイが甘いものが食べられるようになったのは最近だからな。甘ければ大抵のものは喜んで食うぞ」
ウェザリアはフウを後ろに突き飛ばして声のした方へ構えた。そこにいるのは黒い旅装束の男だった。フードを目深にかぶっていて顔の半分が隠れているが、口元だけを見ると笑っているように見える。フウも遅れて木剣を構える。
「悪いな。驚かせたか」
「誰だ、お前。こんなところに一体なんの用で来た?」
「スイに会いに来たんだ。アヤからここだと聞いてな。どこへ行った?」
「ああ?」
「柄が悪いな。スイからの手紙には粗野に振舞っていても育ちが良いのが滲んでいて品性がある、と書かれていたが?」
手紙。スイのことも良く知っている様子だ。声や体格からして男であろうが、突如として現れたせいで警戒を解くことができない。にやついているのも不気味である。
「喜んでいいのか悪いのかわかんねえこと言うなよ」
「そっちはフウか。スイは間違いなくこの国で一番強い人間だ。吸収できるものは全て吸収しておくといい。筋がいいと褒めていた」
「スイちゃんの知り合いなの」
「スイに友達が二人も出来るとは。あいつはあの通りだからな、人から慕われることはあっても、対等な関係でいてくれる人間となるとなかなか」
先ほどから一度も質問に答えていない。男は意図的に警戒を解かせないようにしている風だ。「ああ」男が顔を上げる。その視線の先には、水を汲んで戻って来たスイがいた。「なんで」スイは心の底から驚いたという顔で目を丸くしている。
「テン……」
「スイ。元気そうだな」
男はウェザリアとフウの間を通ってスイに近付く。スイはハッとしてかけるべき言葉を探しはじめる。
「いや、元気そうだなじゃなくて、なにしに、なん、あーもう。兄さんがまた怒るよ」
「大丈夫だ。あいつは優秀だ」
「ですけど」
スイは大きく溜息を吐いた。ウェザリアもフウもなにを見せられているのかわからない。「スイちゃん」フウがどうにかスイに声をかける。
「その人、誰?」
スイは一瞬考えて、視線だけで男にフードを取る様に示す。男はスイの指示に従ってフードを外す。今度はウェザリアとフウがスイと同じ顔をする番だった。「そっくりさん、じゃないよね」「違うだろ」慌てて剣を捨てて膝をついて頭を下げる。
「そう畏まるな」
スイはまた溜息を吐いた。
「俺は確かに、第一王子アルデイン・ダン・サラだが、まあそれだけだ」
目鼻立ちのくっきりとした短髪の男は、まるでただの市民のように笑うと、薄く目を開いた。「よろしく」何もかもを量られている。そんな気がして、正体が知れても尚、体の中がざわついている。
無論、第一王子が訪れたことは市民には伏せられたが、騎士団の一部には明かされた。「この忙しい時に」とスイは文句を言って「なら俺は勝手にやるから気にするな」と無茶苦茶を言ってのける。ザフオル城の一室を慌てて清掃させ、城中の調度品をかき集めさせてどうにか用意を整えた。ハロルドは泡を吹いて倒れた。
時間稼ぎにザフオルの街を観光させた後、ザフオル城に向かう。フウは疲れ切って先に家に帰った。スイはある程度慣れているものの、アルデインの人の気を逸らす技は一級品で、気を抜くとスイでさえも姿を見失う。この特技を駆使し、よく城下のスイのところへ遊びに来たり、街を好き勝手に闊歩してたりする。酒場で酔いつぶれたところを発見された時、彼の側近をしているスイの兄は、ストレスで吐いた。スイはどちらかというと兄のことを心配しながらアルデインの数歩後ろを歩く。
ザフオル城の用意させた部屋までの道すがら、すれ違う騎士の様子を見て、アルデインは言う。
「あいつら、なんでどこかしら怪我してるんだ?」
「私が殴ったからです」
「ははははッ! 最初から一緒に来るんだったな!」
大声で笑うとそこに居合わせた騎士がビクリと震える。
用意された部屋の前でウェザリアが待っていた。いつものラフな格好ではなく、騎士の制服をきっちりと着込んでいる。
「悪いな」
悪いと思うなら来るな、という表情を隠せていない。部屋に入ってあれこれ調度品を眺めるアルデインをウェザリアとスイが並んで眺める。ウェザリアは小声で「なんか、仲がいいじゃねえか」と言う。
「幼馴染なんです。武術の師匠が同じで」
「なら、アルデイン様も相当強いのか」
「いや、あの人は別に」
「俺はちょっと気配を消すのが上手いだけで、喧嘩となればその辺の見習いにも勝てん。フウあたりには難なく捻られるだろうな」
アルデインがニコリと笑う。ウェザリアは反射で出かかった手を引っ込めた。スイは頷く。それで驚かされて何度か殴っているから気持ちはわかる。アルデインはゆったりとした動きで椅子に座る。「スイ」呼ばれたのはスイだが、ウェザリアもぴくりと反応する。
「腹が減ったから適当に何か持ってきてくれるか」
「いや、さっき散々」
「スイ」
「わかりました」
「なにか作って持って来い」
「それを私に」
「スイ?」
「やります」
スイはウェザリアと目を合わせると「申し訳ない」と謝った。
謝られるようなことはされていない。ウェザリアはスイが部屋から出て行く音を聞きながら、何がおもしろいのかずっとにやついているアルデインへ数歩近付いた。
「大体のことはスイに聞いている。随分無茶をしたようだが、水に流してくれたとか?」
許されているのはスイではなく自分の方だ。スイは自らその立場を勝ち取ったが、ウェザリアの立ち位置はスイにより与えられたものである。
「いいえ。水に流したのはスイの方で」
「あの女が得意なことだ」
あの女。一々気に障る言い方をする。スイは自分の所有物であると主張するような言動が目立ち、あまりいい印象を持てない。スイが仕えているからそれなりの人間ではあるのだと思うが、人を食ったような態度が気に入らない。
「それで、スイに勝つつもりらしいが」
「いつか、必ず」
「勝てると思うか?」
「勝つ」
ふ、とアルデインは可笑しそうに笑う。
「質問を変えよう。――スイに勝つ必要があるか?」
「ある」
「即答!」
挑発するような笑顔はそのまま、両手をぱっと広げておどけたようなポーズで止まる。ウェザリアの視線を受けたままテーブルに肘をつき、指を絡める。ばらばらと絡まる細い指が蜘蛛の足を思わせる。
「スイに惚れたんだろう。違うか」
「違いません」
出会った瞬間から。迷わず言い放つと、アルデインは深く頷いた。
「その気持ちはよくわかる」
「わかってたまるか」
ですよ、と無理矢理敬語にしてみたが、してもしなくてもおそらくアルデインは気にしなかっただろう。何をしても、余程の事でなければアルデインは笑って許すに違いない。そういう器の大きさを感じるのに、なぜか、その器の縁に立たされているような。そんな気がしてならない。器の中には国が一つ入っていそうなのに、ウェザリアは端に追いやられ、追いつめられている。
「これはここだけの話だが」
フウは許されているが、ウェザリアは許されていない。喉元に剣を当てられているような。冷たい汗が顔から落ちる。引くことはないが、こちらから押すこともできない。嫌な予感がする。その話は聞きたくない。
「俺は、スイのことが世界一大切だ」
その話は聞いてはいけない。
「世界よりも、大切だ」
アルデインはニコリと笑みを深めたが、微かに開いた目と視線が交わりゾッとする。第一王子が、いずれ王国を背負って立つかもしれない人間が。スイが心から信頼して仕える人間が。今、なにを言った? スイの言葉を思い出す。「民は、宝ものだそうです」スイは確かにそう言って、その言葉言ったのはほぼ間違いなくこの男で、その男からスイが「世界よりも大切」なんて言われたら、スイは。ウェザリアは慌ててスイの気配を探る。この話はスイに聞かせられない。聞かせてはいけない。
「いや待て、ですよ。あんた、あんたスイに」
「ああ。国にある全てのものは宝だと言った」
「スイはそれを、生きてく、指針にしてるってわかって」
「わかっている。だからこれはここだけの話だ。そう言っただろう」
アルデインは笑う。
「民は宝だ。しかし、スイのことは特別大切だ。だからこうして、うっかり顔を見に来てしまったわけだ」
誇らしげに「王国の全てのものが宝もの」と言った彼女を、それは、裏切ってることになりはしないか。「しかもあんた、婚約者」「何度も言うが、ここだけの話だ」スイには言うつもりはないようで、ウェザリアがスイに告げ口することもないと、奇妙な信頼を寄せられている。目を合わせると、アルデインは言う。
「スイに世界を変えられた人間が、自分だけだと思うなよ」
スイは慌てて王都へ手紙を出して、すぐに迎えを寄越すようにと依頼したようだ。それでも数日はかかるだろう。その数日間、スイはアルデインの隣の部屋に泊まることとなった。護衛と身の回りの世話を一手に引き受けていた。一時的に、フオルうさぎの調査と、その指揮は全てハロルドに任せている。
フウが一度城に忍び込んでウェザリアとスイの様子を見に来た。「大丈夫?」と聞かれてしまったが、本当のことをべらべら喋るわけにはいかず。「いけすかねえ」とだけ言っておいた。「わかる」とフウが言ったので、いくらか気分が楽になった。はじめはスイと二人きりの時間を邪魔されているように感じたが、フウがいるおかげで円滑になっていることが多いように思う。きっと将来出世するだろう。
アルデインは「放っておいてくれれば勝手にやる」などと言った癖に、ことあるごとにスイを呼びつける。
「スイ、身支度を手伝ってくれ」
「そんなもの私じゃなくても」
「スイ」
「はいはい」
スイの手際は良いとは言えないが、どうにかこうにかやっている、という感じであった。一通りの教育を受けたが実践したことは然程ないのだろう。たどたどしく準備を進めるスイと、アルデインはにやつきながら眺めている。そして終わると、ウェザリアに勝ち誇ったような顔を見せ、スイを伴ってどこかへ行く。
「スイ」
「はいはいはい」
ウェザリアが居る時を狙ってスイを呼びつけ、渋るスイに無理矢理仕事をさせている。スイは渋るだけでやれと言われれば大人しく仕事をこなすし、料理を作ることもある。大抵が大味な一品もので「王城では絶対に食べられない味がする」と面白がられていた。
「スイ」
「……」
「四回返事をしてもいいぞ」
そしてスイを買い物に行かせると、気まぐれにウェザリアに絡んでくる。やることがなくて暇なのだろう。「今日はどうだった? スイに勝てそうか」とニヤニヤしているのである。――かと思えば、スイやハロルド、その他フオルうさぎ密売の調査隊との会議に混ざって真面目な話をしていることもあった。ハロルドに一度印象を聞いたところ「え、すごくいい人だと思いますけど」と言われた。「スイさんに近しいから、いい印象を持てないだけでは?」絶対にそうではない、と思ったが、話はそれで切り上げた。
密猟の現行犯で騎士団員が捕まることはなくなり、山に密猟者が現れることもなくなりつつあった。時々捕まるのはその辺で適当に雇われたと思われる、何の情報も持っていない者ばかりである。浮浪者が多く、そのほとんどが街道や山で声をかけられたという。スイには黙って、フオルうさぎが殺されるのを見逃し、山から出てきた密猟者の後を追ったこともある。が、それぞれがぞれぞれの家に帰って行き、アジトらしい場所は突き止められなかった。それぞれを尋問したが、毎回指示が届くので、その通りにやっているだけだと供述した。下っ端をいくら捕まえても大本にはなかなかたどり着かない。
山に住み着いている山賊か、ザフオルに出入りする商人、もしかしたらその両方が黒幕なのでは、と議論が交わされていた。流通経路について調べたところ、北東、北西どちらにも宝石が流れているようだった。南、国内で売ったという話は聞かなかった。
「もしかしたら、隣国の人間が指示しているのかもしれません」
話は、ザフオルだけでは収まらず、事態はもっと深刻かもしれない、とハロルドは報告した。
「ふむ、どう見る?」
「……徹底して、重要な情報を持っている人間は捕まっていません。今なお捨て駒みたいな人間を送りこんで来る。こうなってくるとただの執念って感じですね。意味があるのかないのか」
「炙り出す手立ては?」
フオルうさぎの密売は、当然だが、うさぎが狩れなければ成り立たない。いくら高額とは言え、一匹二匹では然程の収入にはならないはずだ。敵も苦しいはずである。戦闘と同じだ。叩き続けて、我慢ができなくなって隙を見せたところを叩く。もしくは、相手が戦意を失ったら勝ちでいい。
「私の見立てではそろそろかと」
「そろそろ、大本に動きがあるだろうと睨んでるわけか」
「ええ。まったく動かなくなるか、攻勢に出るかどちらかかと。今となっては昼夜問わずうさぎの生息地を見張らせてますし、捕まえた密猟者から、流通経路になってる質屋や運び屋もいくつか押さえている」
「それにしても、かなりしぶといですね」
「祭で人の出入りが多い。手駒には事欠かんのだろうな」
密猟者を見張る部隊を発足し、ハロルドが指揮を執っている。今、絶賛暇を持て余している修道会の連中にも手伝わせているそうだ。修道会の代表はフウで、円滑にやっていると報告を受けている。なんでも、文句が出たら実力で黙らせているらしい。
「どちらにしても今まで作り上げて来たシステムは破壊したはずだ。今はとにかく、フオルうさぎに手を出すとやばい、ということが印象付けられればいいだろう」
引き続き警戒するように。第一王子がそう、会議を引き締めた。各員、やらなければならないこと、やったほうがいいかもしれないこと、ザフオルの為、国の為、民の為にと動いている。会議が終わるとアルデインは早々にスイを呼びつけて、ウェザリアに見せつけるように外へ出かける。
スイが要請した迎えが来て、アルデインが王都へ帰ればまたゆっくり話もできるのかもしれないが、彼が帰る時というのは、スイも一緒に王都へ帰る時ではないか、という気がしている。既に、スイの力がなくとも密猟を取り締まることができている。彼女の性格上、見届けずにザフオルを去ることはないだろうが、アルデインに「もういい」と言われればその通りにするような気もした。
気付くと、ウェザリアはアルデインの部屋の前でスイが出て来るのを待っていた。
夜、就寝の準備を整えると、スイはアルデインの部屋から出て来て隣の部屋で眠っている。「同じ部屋でもいいが」と笑うアルデインに「立場を考えて下さい」とスイが溜息を吐いていた。スイは良いように振り回されている、という気がする。
夜が更けて、城の他の箇所からも人の気配が感じられなくなっていく。本当にこの部屋にスイはいるだろうか。やや不安になってきた時、スイが静かに扉を開けて、扉の横に座り込んでいるウェザリアを見つけた。ぎょっとしていたが、ウェザリアであることがわかると、音を立てないように扉を閉める。
「ウェザリア殿。部屋の前でなにしてるんです」
「いや、なにっつーこともねえけど」
「用があったのでは」
「……いつだって用はあんだわ」
ウェザリアは立ち上がってスイを見下ろす。スイは隣りの部屋を示して「お茶くらいならいれますよ。あなたの城のお茶ですけど」と言った。スイはきっと、連日気を張っているだろう、とは思ったが、結局「頼む」とスイの部屋に入れて貰った。ここは、はじめてスイに会った日、はじめてスイと話らしい話をした部屋だ。
スイはここ数日でいくらか手際よくお茶の用意をするようになっていた。テーブルに向かい合わせで座ると、ウェザリアが話しはじめるのを待っている。ウェザリアは、なにを話したものかわからず、じっとスイを見つめ返した。どこか不安そうに眉根が寄せられ、唇の上下をさみしげに合わせている。
「フウさんは怒っていましたか。ここに居る間は、毎日鍛錬を見ると言ったのに。約束が守れなくて」
「怒ってはねえよ。心配してたぜ」
「じゃああれを送り返したら挨拶に行かないといけませんね」
あれ、と第一王子を表現するスイは気安く、やはり、主従関係だけではないなにかを感じずにはいられない。
「私は、フウさんとウェザリア殿と戦う時間が、結構好きで、楽しかったんです」
「戦うことは、あまり好きじゃないものと思ってたが」
「どうでしょうね。それが特別得意ではあるみたいですが。二人みたいに楽しくて仕方ない、という感じとも違うような気がします」
「はは、俺とフウが似てるってか」
スイの前では同じに見えるのだろうか。確かに、種類は違えど手放しに好意を寄せていて、スイの指南を喜んで受けている、という点では同じだ。スイは、肩から力が抜けているように見えた。はじめてこの部屋でちゃんと話をした時のスイには隙がなく、ひりついた空気を纏っていた。
「あの人が、スイの仕えている人か」
「はい」
「あの人が、民は宝だと?」
「そうです」
知っていたが、改めて聞いた。そう、スイにはそう言ったその口で、ウェザリアにはスイのことが「世界よりも大切だ」と牽制した。だから手を出すな、と言っているようにも聞こえたし、なにをしても無駄だ、と言っているような気もした。どちらにしても勝ち誇ったような顔は、スイがアルデイン以外の誰かの為に動くことはあり得ない、と言っているようにも思えた。自分以外がスイの特別になることはないのだと、そういう自信があるようだった。しかし。と思う。「なあ」スイはウェザリアと目を合わせる。ウェザリアは、スイの赤色の目がどう動くか、一つも見逃さないように視線を固定する。
「アルデイン、様は、確か婚約者がいただろ」
確かもなにもないが。スイは「ああ」と頷いて、ふ、と笑った。おそらく、婚約者とも顔見知りなのだろう。
「名家の子息には大抵いますよ。あなただっているでしょう」
「はあ?」
こんなに好意を現わしているのに。断定されたことにやや苛ついて「俺はいねえよ。何言ってんだ」と強い言葉になった。スイは首を傾げる。
「? では、あの日部屋にいた女性は?」
「あの日?」
「私がこの城に殴り込みをかけた日、あなたを自室に運んだ時に」
「あ」
確かにいた。固定していた視線が外れて冷や汗が止まらない。別にスイは責めているわけではない。スイはなんとも思っていない。だが、しかし。これを説明しようと思うと、スイにはまた失望されることになるのかもしれない。それが恐ろしくて言葉に詰まる。
「あれは」
遊んでいただけだ。退屈だったから。ちらりとスイを見上げると、スイはまだ首を傾げている。
「あれは」
「婚約者でなくとも、懇意にしている女性では?」
「違う!」
違ったらなんなんだ、と言われれば、クズみたいな返答しかできない。そういう男だと思われるのが堪らなく嫌だ。が、嘘をつくのも嫌である。
「違う。とにかく、そんなもんじゃなくて。ああクソ。こんなことになるってわかっていれば俺は。婚約者もいないし。あの女もそんなんじゃない。名前も知らない」
「名前も知らない女性と?」
「遊んでただけだ、たぶん、女の方だって本気じゃない」
「へえ」
スイは紅茶を飲みながら「そういうものですか」と、感情がどこにあるのかわからない顔をしている。ただの世間話として聞いている可能性もあるが、心の内はわからない為、やはり冷や汗が止まらない。フウがいれば「女の敵~」とか「日頃の行いって大事ですね~」とか言って茶化すだろう。そうしてくれたほうがまだ救われる。腹の中を、頭の中を開いて全部ぶちまけたい。どうしたら伝わるだろうか。どうしたら。
「……あの時はまだ、スイと出会ってなかった」
この言葉に尽きる。スイはじっと黙って考え込んでいる。言葉の意味がわからなかったのかもしれない。
「お前の言う通り、名前も知らない女と遊んでいたが。俺は、お前と出会ったんだ」
言い訳だ。言い訳だが、今言えることはこれしかない。ウェザリアは頭を左右に振って微かに笑った。
「わからなくてもいい」
持ち上げていたカップをソーサーに置く。かちゃ、という音が灰色の石壁の部屋に反響する。もう紅茶から湯気は立っていないが、スイはしばらく紅茶の表面が揺れるのを見て、何かを思い出している風だった。
「いえ、誰かと出会って世界が変わってしまう感覚は、わかります」
ウェザリアは立ち上がって、スイと距離を詰める。テーブルも椅子も大きく音をたてて、危うく床へ落ちるところだった。水滴が散って、その上にウェザリアが手をつく。ウェザリアをぽかんと見上げるスイの顔に手を添えて、唇に。キスを――、しようとして殴られた。スイの鋭い一撃により、壁の近くまで吹き飛んだ。ごろごろと転がり、床に頭を打つ。「あ」意識があるのは、ここ二週間の鍛錬のおかげだろう。もし先週とかであればまた意識を断ち切られていた。スイは慌てて駆け寄ってきた。
「すみません、反射で」
「いや、今のは俺が悪い」
つい、カッとなって。それはスイに想いが伝わっていないことの焦りかもしれないし、スイの中になんとか自分を刻もうとしてのことだったかもしれない。自棄になったかもしれない。スイによく思われたいだけのはずが、格好悪いところばかり見せている。ここまで来ると、もう、開き直るべきかもしれない。なにもかもぶつけたらいいのかもしれない。スイは、きっとちゃんと考えてくれるだろう。スイを見上げて二ッ、と笑う。
「そうだ。俺は、お前に会って世界が変わった」
「そうだとするなら、それは」
「ああ、わかってる。わかってるから、それ以上は言葉にしないでくれ」
スイは無言でウェザリアに手を差し出した。「ありがとう」ウェザリアは手を取り起き上がる。このまま部屋を出ようかとも考えたが、手を離してしまうのが、ここから出て行くのが惜しくて縋ってみる。「スイ」
「お前が今許せるだけ、お前の時間をくれ」
「決闘ですか」
「いや、ああ、それも、そりゃあもうそれでもいいんだが」
握っている手にもう片方の手も重ねて包み込む。自分のことはもういい。自分が痛くて苦しいのも構わない。そんなことよりも。
「スイのことが聞きたい。なんでも、どんなことでもいい」
スイは「どんなことでも」と考え込んだ後に、ウェザリアを椅子に座らせた。自分は布巾で紅茶が零れた箇所を拭く。スイがこれなら話せると思ったことを、話したいと思ったことを聞きたいと思っていた。ウェザリアが待っていると、スイはぽつぽつと話しはじめる。
「私と、私の兄と、それからあの、アルデインは幼馴染なんです」
「師匠が一緒なんだろ」
「ええ。それで、私は一番腕っぷしが強くて」
スイは困ったように黙り込む。自分のこと話すのが苦手なのかもしれない。スイはここまでで何か質問はないか、というようにウェザリアを見る。ウェザリアはそのまま自由に話してくれ、とカップに口をつけて紅茶を飲んだ。
「兄と、アルデインは同じくらいで。……細かいところは忘れたんですけど、確か私は、はじめて会ったアルデインを殴り飛ばして、泣かせて。兄は慌ててて、師匠は爆笑していて。そんな風に始まったと記憶、していて」
「ん」
「アルデインはたまに師匠のところに剣術修行に来て、そのうち剣術修行じゃなくても顔を見に来るようになって。私と兄も、王城に忍び込むようになって。自然な流れで、兄と揃って王都の騎士修道会に入って」
「そうか」
「……私は、修道会でうまくやれなくて。私と兄の世代、私と兄が通っていた騎士修道会では、私と兄しか、騎士になった人間がいなかったんです」
だから、同じ修道会の同期はたった二人。
大事なところがごっそりと抜けている。「そんな馬鹿な」とウェザリアは思うが、抜けているのは、スイ自身も何が起きていたのか全容を理解していないからかもしれない。ただ、その要因を作ったのが。
「私のせいで」
自分である、ということ以外はわからないのかもしれない。スイはそれでも騎士をやめず、スイはだからこそ騎士であることを選び、任務をこなしてきたがやはりどうにもうまくいかず。兄にも迷惑がかかっていて、ここにいるべきではないのでは、と思っていた時に。
「アルデインが、私を上手く使ってくれると、そう言ったんです。国の、人々の役に立つように使ってくれると。私の力なら必ずできると、そう」
その時からスイはほとんど単独で仕事をこなしている。下手な人間と組ませると、その人間がつぶれてしまうから。特別強い人間は、特別扱いして一人にしておく。他と距離を取ることで、あれとは違うから、と言い訳を挟む余地を与える。
「だから私は、私にできることを全力でやれている」
「それはつまり」
アルデインの為に、とも言える。ただ、アルデインがスイにしたことは、本当にスイの為だったのだろうか。体よくスイを一人にして、孤立させて、スイの強さに甘えて、アルデインという人間に依存させるように仕向けてはいないか。アルデインのおかげで国で働けていると、そう思わせるように誘導しているのでは。
「そうか」
ウェザリアは、ぎゅ、と自分の足を押さえるように、膝の上で拳を握る。
「……そうか」
第一王子、アルデインは責務を果たしている。他の部下には好かれているし、何年もスイに虚勢を張り続け、夢を見せ続けている手腕は伊達ではない。国内外でも次期王になるのは彼であると信じられているし、不満はない。王族としての自分と、スイに執着する自分を分けて、常に冷静で、嫌な相手だ。ウェザリアは自らの胸が痛むのを感じながらもスイに問う。
「本当は、常に、アルデイン様の傍にいたいんじゃねえの」
スイの目から感情が消える。
「万が一にも不利になりそうなことはしないほうがいいと思う」
修道会から、正式に騎士団員になり、そこから隔離され、一人で任務をこなしている。二週間前ザフオルに来たように、方々へ行って揉め事の仲裁だの、国境線の平定だの。野盗を狩ったり、暴れている獣を狩ったり、捕獲したり。時には、外国へ行くこともあるのだと聞いた。フウが「それって騎士の仕事?」と首を傾げていた。騎士どころか、個人ができる仕事の範疇を越えている。
スイにも親しい人間がいないわけではないだろう。兄や、アルデイン、王都の家は、アヤの姉であるトトが経営している酒場の一室を使わせて貰っているそうだ。そこにもフウと同じくらいの子供がいるらしい。それ以外にも、フウや、ウェザリアのように、スイと友人関係を結んだ人間はいたはずだ。だけれど。スイは一人でここへ来て。一体、一体なにをしているのだと思う。
「……どうして、泣いてるんですか」
テーブルに、涙が数滴落ちる。これは、これはスイに対して無礼である。スイはそれでいいと思っているのだし、実際あちこち行くのは性分にあっている風でもある。勝手に、寂しいだろうと決めつけて、彼女が本当に心の底から幸せなのかと疑問に思って、独りよがりに心配している。
「もしかして、さっき殴ったところが」
「違えよ」
スイは立ち上がって、子供にするようにウェザリアの頭を撫でる。フウにもよくやっている。これは、彼女の師匠か、兄が彼女によくやっていたのかもしれない。落ち込んだ時や、泣いている時。怪我をした時なんかにこうされて、彼女は嬉しかったのかもしれない。だから、その記憶をなぞるように、同じようにしている。ウェザリアは震える声でスイの手を頭から退かして立ち上がる。
「こういう時はな、そうじゃねえよ」
「そうじゃないとは」
「実践してやる。怒るなよ」
「はい」
驚かさないように、ゆっくりと肩に手を触れ、自分の方へ寄せる、スイは一瞬ためらったが、ウェザリアが力を入れたからその力のままウェザリアの腕の中に納まる。戦って、戦って、きっとこれからも戦い続けるスイの体を支えるように。ほんのわずかでも彼女の力になれればと祈るように。柔らかく抱きしめて背中を叩く。
スイは徐々に体の力を抜いて、だらん、と腕を体の横に垂らしている。
「愛してる」
はじめて使う言葉だが、おそらく、使い方は間違っていない。ウェザリアはほんの少し抱きしめる力を強くする。スイの体がしなやかに自分の体と腕に吸い付き、馴染んでいく。
「いつか必ず、お前を世界一愛しているのは俺だと証明してみせる」
「……どうやって?」
「まずは俺がスイに勝つことだな。それでも同じことが言えたらこの上ない証明になるだろ。だから俺は、一生かかっても、いつか必ずスイに勝つ」
思えば出会った瞬間から、そのくらいのことは必要だと理解していたのだ。勢いだけで言った言葉でスイには「ゴミ」と言われてしまったけれど。スイは、ウェザリアの言葉を上手く理解できないようで、どう答えたらいいのか探っている。
「その時、何も思えなかったら?」
強い人間に勝つ為に戦って、勝ってしまったらもうなにもないのでは。スイはそう言っているのだろうが、ウェザリアの気持ちは既にそんなところにはない。必要なことなのだ。スイを負かして、そうしてようやく何かがはじまる。どう転ぶかはスイにもウェザリアにもわからないが、ウェザリアにとっては通過点である。
「ねえよ」
「私が戦えなくなったら?」
「もし両腕なくしてもスイはスイだよ」
「両腕なくしたくらいじゃ、負けないけど」
「いやそれは嘘だろうが」
言ってから、もしかしたら負けるかもしれない、とは思う。いやしかし。そんなまさか。黙っていると、スイが静かに笑っていた。今のは、冗談を言ったのかもしれない。
「今度試してみますか」
「うおおい、やってやんよ……」
これで負けたらどうしようか。いやどうするもこうするも。どちらにしても笑うしかないし、強くなる以外にできることがない。
スイはしばらくウェザリアに抱き締められていて、抱きしめ返すことはなかったけれど、力を抜いて笑っていた。ウェザリアにはそれが嬉しくて、今はそれだけで充分であった。
思い出せる最初の記憶は、師匠と兄に手を引かれて歩いている映像だ。五歳くらいの頃だった。森の中に小屋があって、三人で暮らしていた。兄はよくスイの世話をして、無茶ばかりするスイを叱っていた。その後必ず頭を撫でてくれて、それが嬉しかったことをずっと覚えている。だから、兄に倣って、大丈夫だと伝えたい時にはそうするようにしているのだけれど。それで、上手くいったり、怒られたり、色々だった。昔に比べたらいくらか人と仲良くできるようになったものの、まだ怖がられることの方が多い。
ベッドに入ると、まだ、ウェザリアに抱き締められた感触が残っているように思えた。アルデインにも昔、ああして抱き締められたことがある。
「大丈夫だ」
アルデインは言った。
「必ずいい国にしてみせる」
「それって、戦争のない?」
「ああ」
「それはいいな」
「俺と来い、スイ。お前がいれば、俺はきっとなんでもできる」
その時から考えている。良い国とは一体なにか。自分はどう振舞うべきか。国のためになることはどんなことか。人の為になることはどんなことか。そうして今日まで生きて来た。
「愛してる」
……それって、どういう意味だろうか。アルデインが言った「大丈夫」と似ているような気もしたが、決定的に違っているようにも思う。
「はじめて言われたから、よく、わからないな」
けど、一生かけてわからせてくれると、証明してくれると、ウェザリアは言った。
スイは眼を閉じて、自分の胸に手を当てた。
「ちょっと、楽しみだな」
負けてみたいような。勝ち続けていたいような、そんな気持ちを感じながら、眠りについた。
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