第2話
■二話■
ただ待っているというのも暇である。スイはウェザリアを彼の部屋へ放り投げるとここまで案内してくれた騎士を捕まえて話を聞くことにした。今にも泣きそうで気弱そうだが、ずっとスイを警戒していたし、忠誠心も愛国心もありそうだった。彼の名はハロルドと言うらしい。
適当な部屋で向かい合わせに座ると騎士数名が持っていたフオルうさぎの宝石を見せた。ハロルドは目を見開いてがたりと立ち上がる。
「これって」
「これは全て、あなたたちから押収したものです」
「……」
心当たりのありそうな間だな、とスイは思う。用意された紅茶を飲みながらハロルドが話し出すのを待つ。彼はスイの目を怯えたように見つめた後、大きく息を吐いて、深く頭を下げる。
「誠に、恥ずかしい限りで」
彼はザフオル騎士団では珍しい、武闘派ではない騎士だそうだ。団内で誰もやりたがらない仕事をこなしているにも関わらず、団に馴染めず、城ではなく、原生生物の研究所や、商人の集まるような場所へ行くのが好きなのだそうだ。数か月前までは騎士など自分以外は居なかったのに、近頃街のはずれや商人の集まる広場などで同僚を見かけることが増えたと話した。
「騎士団内にも密売に関わっている人間がいるという噂は、昨年の冬頃からずっとありました。研究者からフオルうさぎの減少が顕著で、このままでは上位捕食者が山を降りて来る。やがてさらにその上の、討伐対を組まなければ倒せないような、大型の生物も現れるのではという話も聞いていて」
「ここへ来てすぐ、ハイイロカラスが子供の持っている食べ物を狙うのを見ました」
「ええ。幸い大きな事件は起きていませんが、山に入った研究者の中には怪我をした者も、密猟者に襲われた者もいます」
「騎士団は動かせない?」
「僕ははぐれ者ですし、ウェザリア様も僕の名前を知らないと思いますよ。目立たない奴、くらいの認識でしょうか」
スイはじっとハロルドを見つめる。それでも、とスイが問う前に、スイの考えを見透かすようにハロルドが言った。
「それでも、申告はしたんです。フオルうさぎの密猟者を捕える為に専用の隊を発足できないかと」
「返事は?」
「許可は得ました」
許可は得た、が、彼を手伝ってくれる騎士はいなかったと、そういう訳らしい。騎士団内にも密猟者、もしくは密売に関わる人間がいたのだとしたら当然だ。
「一人で見回りもしましたけれど、僕の顔は知られているからか、尻尾を掴めず、この人は怪しいと思っても、その、証拠を掴むに至らなくて」
ハロルドは恥じ入るように体を縮めた。スイはひとまず、騎士団全てを解体する必要はなさそうだと安堵する。彼に声をかけられたのはラッキーだった。最悪騎士団からの協力が得られなかったとしても、彼の知恵は借りることができるだろう。
スイは改めてハロルドに問う。
「他にも知っていることがあれば教えて貰えませんか」
「いえ僕は、取引に使われそうな場所を張ってみたりもしましたが、核心に触れるような情報は何も掴めなくて」
「で、あなたの仲間も関わってるんだからなんともなりませんね」
「面目ない」
「ウェザリア殿はどうです?」
「あの人は……、どうでしょうか。知っていて黙認しているのかもしれないし、知らないのかもしれません」
「部下に舐められてるんじゃ?」
「それはありません。見たでしょう」
あなたが砕いてしまう前。スイは視線を斜め上に向けて思い出す。ウェザリアが現れた瞬間の熱量。騎士達は高揚していて、騎士たちがウェザリアに向ける期待の大きさが伺えた。軽んじられているわけでないなら、密売、密猟をする騎士達はちょっとしたイタズラのつもりなのかもしれない。騎士団に恥じる大事だとは思っておらず、うさぎが消えても、困る者はいないと考えている可能性がある。であればより、ハロルドの存在は大きい。スイは姿勢を正して別の質問をした。
「研究者は嘆願書を書いたはず。それがどこに消えたのかは?」
「えっ、消えたんですか?」
「少なくとも、王都には届いていません。この件について心当たりは?」
「……僕は、嘆願書を書くように進めましたけれど、受け取ったのは別の者で」
「それが誰かは?」
「門番、だったのでは」
「ふむ」
もし、スイが先ほど会った門番が受け取ったのだとしたら、そのまま処分していてもおかしくない。指の先に残っていた血の塊を爪で剥がしてため息をついた。確かめる手段はない。
「あの」
「ん?」
「これは、騎士も、もしかしたら領事館の人間、商人、山賊なんかも関わっている大変な問題です。それを、貴女ひとりで解決するつもりですか?」
「アルデインはそれができると思っているみたいです」
だが、応援を呼ぶことを禁じられている訳ではない。必要であれば王都から人を呼んで、国の為に出来る限りのことをする。
「やれるだけやってみます。いつも通りに」
「いつも通り?」
「……いつも、城主を殴り飛ばす訳ではありませんが」
スイはやや気まずそうにそう言った。やることが派手である、とはよくよく言われるので気をつけるようにしているのだが、どうにもアルデインはスイのそういう報告を楽しみにしている風であった。
ふ、とハロルドの体から力が抜けるのがわかった。「それはもう」ハロルドも紅茶に口をつけて改めてスイを見る。その視線には、もう恐怖は含まれていない。
「来て早々に宝石を回収してしまうんですから、とんでもなく凄腕には違いありませんね」
騎士と揉めるつもりはなかった、はずだが。このほうが手っ取り早いと思ったのはその通りだし、力を借りられるのであればああしておくと後々人選びが楽だとも思った。下手をしたら国を追い出されかねない狼藉だな、と思い至り「とんでもなく軽率、の間違いかも」スイがハロルドから視線を逸らすと、ハロルドは声をあげて笑った。
「これからウェザリア様とどういう話をするおつもりで?」
「どうしよう。なにか良い案ありませんか」
「ふふ、そうですね――」
けど、もしかしたら、悩む必要はないかもしれない。ハロルドが言うと、同時に部屋の扉が勢いよく開け放たれた。バン、と。スイは音を合図にスイッチでも切り変わったかのように落ち着いて出入口を見る。ハロルドは立ち上がって背筋を伸ばし、上司の進む道を開けた。椅子に座っているスイの正面に立って言う。「お前」顔は腫れているが、腫れのせいだけでなく上気している。歪んだ目元はギラギラしていて、スイを捉えるとより輝く。
「お前、名前は? 年、出身は?」
ウェザリアはスイが答える前に質問を重ねる。「仕事はなにしてる? どこに滞在予定だ?」怪我の手当もそこそこに、ここへ走ってきたようだ。息が荒くて汗をかいている。今にもスイに飛び掛かりそうな危うさが常にあるが、スイは静かにカップに口をつけて紅茶を飲んだ。スイはあくまでスイのペースで返事をする。
「スイと言います」
「スイ」
ハロルドは心配そうにスイとウェザリアを見ている。ウェザリアはあれこれスイに聞いたが、スイから返事がないことが気にならないらしい。スイの一挙手一投足を焼き付けるように見つめている。
「ファミリーネームは」
「座ったらどうですか」
余りに距離が近いのが鬱陶しくてそう提案した。ウェザリアは「ああ」と素直に椅子に座るが、視線をスイから外さないせいで、テーブルの脚と椅子に引っかかっていた。二度足をぶつけてから腰を降ろす。
「フオルうさぎの密売は、黙認しているんですか?」
「うさぎ?」
「赤色の宝石ですよ」
「ああ、あれか」
スイがウェザリアをじっと見据える。不審な反応をしないか見極める為の視線だったのだが、ウェザリアは一層顔を赤くして「いや、そんなに見つめられると照れるが」とズレたことを言っている。ふざけているのか真剣なのか計りかねた。
「あなたの部下の何人かが密売に関わっているようですが」
「ん? なんの話だ?」
そんなうさぎがそう言えばいた。本当になんの話かわからない。そういう言葉と反応で、発言と行動に乖離は見られない。スイは改めて第一王子からの手紙と、ウェザリアの部下から奪った宝石を見せた。ウェザリアは片方の眉をあげて手紙を読む。
「……私は調査に来たんですよ。ウェザリア殿」
「硬いな。俺のことはウェザーでいい」
ウェザリアがフオルうさぎの問題に関心がないことはわかった。
しかし、先ほど部下を好き勝手ぶん殴って、ウェザリアをも初対面で殴って気絶させた女に対して、友好的すぎる理由がわからない。気持ち悪さを感じてちらりとハロルドを見る。ハロルドは首を横に振った。彼でもわからないらしい。彼も大概友好的であったが、それは、スイの目指すものと彼のやっていることが近しいものであったからで、ウェザリアのこれは友好的ともまた違う。
手紙を読み終えると鋭い目を見開いてスイを見る。声が一段階大きくなる。
「つまり、俺に協力してほしいってことか!」
そうして貰えるのならば話は早いし動きやすい。
「いいだろう、その代わり、これが片付いたら俺に付き合え!」
スイは溜息を吐く。
「その代わり、ですか」
協力を得ることはできそうだ。騎士団全てが黒というわけでもない。何より、スイという存在を印象付けることもできた。
「ああ、お前のことを教えてくれ」
これがザフオルの騎士団長か。
「いや、結構。引き続き勝手にやります」
荷物を持って立ち上がる。「紅茶ご馳走様でした」ウェザリアに手を掴まれそうになったのでそれを避ける。ウェザリアは若干嬉しそうに、慌てて進行方向へ立ち塞がる。
「待て待て。わざわざ俺と話をする為に待っていたんだろう」
「そうですが。結果、必要ないと判断しました」
「何故、怒っているんだ」
スイは手を前に出す。ウェザリアは咄嗟に身構えるが、身構えた時にはスイはウェザリアの背後に回っている。すたすたと歩き去る足取りに迷いはなく、力づくで止めることはできない。ハロルドの肩を叩いて労うと、どんどん離れていく。スイの姿が見えている内にとウェザリアが叫ぶ。
「待て、一ついいか」
足を止めて振り返る。
「もう一度、名前を呼んでくれないか」
顔を赤くしてそう言った。スイは無視をして城を出た。
ザフオル騎士団長、ウェザリア・レイランスが賊にやられたらしい。
一晩経過しただけだと言うのに、街はその噂で持ち切りであった。騎士団の半数以上がスイにやられて怪我を負っている。熊のような体格の赤毛の女がやったらしい。いや、男だった。フオルうさぎに祟られただのと好き勝手に脚色されて広まって行く。
「あのウェザリア・レイランスもやられたらしい」
一晩中しんしんと雪が降り、朝には晴れたが、一メートル程積もった雪が残っていた。雪かきに駆り出された騎士の顔が腫れている。鎧が破損している。住民がこそこそと囁き合う。たった一人の人間にやられた、というのは重く、団員はしかし、ウェザリアに報復を請うこともできない。団員は漏れなく全て、ウェザリアがスイにやられる瞬間を見ている。万が一、街中で同じことが起これば騎士団の威信にかかわる。ザフオル騎士団は王都の騎士団よりも屈強であると噂されているのに。それが。
「ウェザリア様、なにをしていらっしゃるんで……?」
「なにもしていないが」
「いや、そのカップ」
「昨日スイが口をつけたものだな」
ハロルドは「はあ」と曖昧に返事をした。一番悔しがったり、報復に燃えたりしなければならない男がこの有様である。王都からきた女の狼藉を許している、と不満を抱えている者もいるのに、ウェザリアはと言えばスイが使用したカップの持ち手に鼻を近付けて、残り香を嗅ごうとしている。
「お前、スイと何を話していたんだ」
「フオルうさぎの話ですよ。なにか知っていることはないかと」
「……俺のことは何か言っていなかったか」
「特になにも」
ウェザリアは唇を尖らせて「そうか」と言った。「それが聞きたくて呼んだんだが」カップから手を放さず、ずっと触っている。ハロルドは朝からウェザリアの私室へ呼ばれ、まず「お前、名前はなんだったか」と聞かれた。「ハロルド・テールです」「そうだったな」以降、話題は全てスイのことだ。
「強かったな」
「はい」
「とんでもなく強かった」
「はい」
強い人間、と聞けば挑まずにはいられない。ウェザリアはそのようにして強くなって、周りにも認められている。頼りになる団長だ。ただ、最近はすっかり退屈していて、今にも国を捨ててどこかへ出て行ってしまいそうな雰囲気であった。
「あの様子だと、もうここには来ないだろうな」
「でしょうね」
スイは去り際、ハロルドの鎧に自身の滞在場所を書いた紙を渡した。「……なにか情報があればここへ」とぼそりと言い残し、雪の降る中を真っすぐ歩いて城を出て行った。自室のベットでカップを片手にごろごろとするウェザリアは、どう動くべきか考えているようだ。諦めた、という風ではない。どう切り崩すか、ということを考えている。
「……楽しそうですね」
「ああ。攻撃が見えなかった。きっとあれも全力じゃないだろうな。底が知れねえ。第一王子はとんでもない懐刀を持っているんだな」
「懐刀というには、遠くにやりすぎなような」
「それとも、王都の騎士団というのはあんなのばかりなのか?」
ウェザリアは天井を見ながら考え込む「王都へ呼ばれて行ったこともあるが、あんな女はいなかった。他の奴らにしたって、あそこまで明確に差が出ることはねえはずだ」個々で戦えば負けることはない、とウェザリアは言い切った。
「ウェザリア様の暇つぶしに付き合わされていますからね」
「修行つけてやってるんだろうが。あと思い上がるな。お前達が暇つぶしになるわけねえだろ」
「彼女にとっては、ウェザリア様も大差ないようでしたけど」
「嫌なことを言うんじゃねえや」
鮮烈な赤。本でしか見たことが無い、赤毛の熊とよく似た色だ。血液よりも暗く深い赤。葡萄酒を光に透かしたような赤。戦いや喧嘩には無縁という下がった目尻と、小ぶりの口元からは想像もつかない強さ。やや低めの聞きやすい声から放たれる。「なんだこのゴミ」ウェザリアは体をぶるりと震わせた。
「なににやついてるんです」
「わかりきったことを聞くな」
「めちゃくちゃ軽蔑されてましたけどね」
「ふむ」
ウェザリアは軽やかに体を起こして考え込む。カップを胡坐の真ん中に持ってきて見下ろす。カップの縁を今にも舐めはじめそうで、ハロルドは気が気ではない。
「どうしたら、スイはこちらを見るだろうか」
「やはり、彼女を手伝っては? 団員からの反発はあるでしょうけれど」
市民からの信頼は得られるはずだし、街に無関心であることもいい加減にしたほうがいい、と思う。領主は別にいるとは言え、レイランス家であれば自由にできることも多い。スイに軽蔑されたのも、今までサボって来ていた分のツケである、と言えなくもない。ウェザリア自身は何故スイに突き放されたのかわかっていない様子だが、ベッドから立ち上がり体を伸ばした。
「そうするか」
「滞在場所を聞いていますから」
「は?」
「キレられる覚えはないですけど……」
「なんでお前がそんなことを知ってる」
「教えられたからですが」
「一発殴らせろ」
「構いませんが、貴方に殴られたのだと言いますよ」
「……」
ウェザリアは黙り込んで自分の拳とハロルドの顔を交互に見た。ハロルドは、きっと起こったことをそのまま、喋ると言ったら必ず喋るに違いない。
「お前、そんなキャラだったか」
「遠慮してたら、何も掴めないんです。あの人を見習ってみました」
ハロルドはスイが自分を真っすぐに見た、その瞳の色を思い出す。信頼されている、というのがすぐにわかった。敬意を払われている。スイは「必要ない」と言ったが、助けはあった方がいいに違いない。
「早く案内しろ」
「もちろんです」
ハロルドは軽く頭をさげた。「いた」さげた頭を軽く小突かれて、顔を上げるとウェザリアの顔が目の前にあった。「こういう、やる気のなさそうな顔が好きなのか?」顔の話ではないと思うが、下手に口を出すとまた殴られそうだったので、やめておいた。
スイは大きなスコップを肩に担いで体を伸ばした。これはなかなかいい運動になる。昨日から滞在している食堂の屋根から雪を降ろし、店の周辺の雪かきをした。気温は低いが、太陽が雪に反射してスイには暑いくらいだった。腕に巻いた布で汗を拭って一息をつく。雪かきをする様子を買われて、向かいとはす向かい、隣からも雪下ろしの依頼を受けた。
コツを掴めば作業は早く、瞬く間に雪が積まれていく。最終的に見世物のようになっていた。近隣の住民からお礼にとあれこれ貰って、雪とは別のものがスイの横に積みあげっていった。いもを干したものや、果物の乾物、水や朝食にと貰ったパン。本が好きだと話をしたら本を数冊と、この街で人気の焼き菓子他。
「えっ、ウソ! あんなに降ったのに!」
食堂から騎士修道会の制服を来た女の子が出て来る。食堂を切り盛りする夫婦の一人娘で、快活な丸い目がよりまんまるに見開かれている。繊細な、細く長い髪の毛が美しく、頭の高い位置でひとつに結ばれている。名前はフウだ。
「スイちゃんすごい!」
「雪は動かないから」
「どういうこと? もしかして人間片付けるより簡単って話した?」
将来は騎士になりたいのだと言う。昨日の夜、かなり遅くまでその話をしていた。招かれた彼女の部屋には修道会で得たのだろう、賞状や盾が置いてあり、優秀な成績を収めているようだった。「王都に行きたくて」年はスイの十個下で十四だ。若いのに随分謙虚で、素直な性格。伸びるのも納得だと思いながら昨夜は同じベッドで一緒に寝た。
「そんなことよりスイちゃん、今日街を案内するから遊びに行こうよ」
「修道会は?」
「なんか今日、騎士団が大変みたいで先生達駆り出されてるんだって」
「へえ」
それは間違いなく自分のせいだ。やはり少し派手にやりすぎただろうか。「でも、舐められたらいけないしな」「なんて?」フウはスイを歓迎してくれており、同年代の友達のように扱い、どこか面白がってもいる。ここへ来て早々にこういう存在ができるのは有難い。けれど、あまり目をつけられると彼女達に迷惑がかかる可能性はあった。それだけは気を付けなければいけない。
フウはスイの周りを回って腕を掴む。
「ねえねえ、終わったんなら私、街を案内したい!」
「それは」
ありがたい、のだけれど。騎士修道会を卒業したら騎士団に入る。スイと一緒に歩いていたことが、その時にマイナスに働いたらと思うと厚意を受け取るべきか悩ましかった。
「コラ! スイちゃんは遊びに来てるんじゃないんだよ!」
フウの頭を彼女の母親、つまりこの食堂の店主が小突く。
「痛いんだけど!」
「スイちゃんお疲れ様、もっとゆっくりしてても良かったのに」
スイは軽く笑って地面に積んであるお礼の品を指さした。「あら大漁」いくつかを持ち上げてアヤへと差し出す。
「これよかったら」
「あんたが貰って来たもんでしょう」
「けど、タダで滞在させて貰ってますから」
「タダじゃなくて謝礼は出てるし、姉さんがいつも世話になってんだから」
「お世話になってるのは私ですよ。空いてる部屋に住まわせてもらって」
「スイちゃん、このお菓子ほしい!」
「いいよ」
「コラ!」
フウは焼き菓子の箱だけ持ってアヤから逃げ回っている。スイはそれをぼんやりと眺めた後、貰ったものを店内へ運ぶ。年季の入った木のテーブルは、窓から入り込む朝日を受けて輝いていた。一階部分が大衆食堂、二階が居住スペースだ。スイは与えられた部屋へ全て運び込んで、再び外へ出る。
フウがアヤに捕まったところであった。「スイちゃんからも何か言ってよ!」直前まで何を話していたか知れないが、スイはフウの頭を撫でる。騎士団と顔を合わせないようするか、もしくは、自分が顔を隠せばいいかと緩く笑った。
「案内が欲しいとは思っていました。アヤさんさえよければ、フウさんを借りても?」
「まあ、娘で役にたつならねえ」
「あとねスイちゃん! 私剣術の稽古つけてほしくて、それから修道会から出されてる宿題手伝ってほしくて」
「コラ!」
「いいよ。全部やろう」
「やったー!」
フウはアヤの腕から抜け出ると、スイの周りをくるくると回った。「まったく」アヤは言いながらも、娘が楽しそうにしていることは嬉しいようだ。微かにあがった口角と細められた目に全てが現れていた。
「くれぐれも迷惑になんないようにね」
「はーい!じゃあスイちゃん! どこから回る?」
「原生生物の研究所」
「全然観光じゃない!」
フウは腹を押さえてけらけらと笑っている。
「行く前に朝ごはん食べて行きな、フウはともかく、スイちゃんはお腹すいてるでしょう」
「ありがとうございます、手伝います」
「もう充分やって貰ってるよ」
「そうだよ!」フウが同意すると「あんたはもっと家の手伝いをしな」とまた小突かれていた。スイはその様子があたたかくて、綻ぶように笑っていた。
スイはザフオルの北西に位置する食堂に身を寄せているらしい。ザフオル城を中心として段々に階層がさがっていくが、だいたい真ん中辺りに位置する場所だ。引くほどの金持ちも貧乏人もいない。あまり足を踏み入れない場所だな、とウェザリアは思う。
食堂の前でとんでもない手際で雪かきをする姿を見ていたが、早速住民から好かれているらしかった。民家の影に隠れて、話しかけるタイミングを図っているとぽたりと鼻から血が落ちた。
「あんな風に笑うのか」
「ウェザリア様、早く声かけてください。なんで僕まで隠れなきゃいけないんです」
「いや、今声をかけたら、あんな風に笑うところが見られなくなるだろうが。俺は印象最悪だし、見てみろこの顔を」
「あ、自覚が」
ハロルドはハンカチを取りだしウェザリアへ渡した。彼は自分のハンカチで血を拭う。同じタイミングでハンカチをポケットにねじ込んだ
騎士団だとわかるものは全て取り払い、私服でやってきたわけだが、ハロルドと同じような皮のコートを着ているせいで統一感が出てしまっていた。特にウェザリアは体が大きく体格も良い上、派手な金髪であるから目立っている。こそこそと「あれってウェザリア様では」なんて声も聞こえてきた。
食堂の娘と仲が良いようで、笑い会う姿は朗らかだ。
「それはどういう顔なんですか」
「いや、嬉しいというか、悔しいというか、誇らしいというか。俺の女があんなにも人民に好かれている、と思うと」
「まあ僕はなにも言いませんが」
ウェザリアの女でもなければ、部下ですらない。かなり広い意味で同僚と言えなくもないが、下手をしたらただ同じ国に住んでいるだけの国民だ。
しばらく待っていると、スイと娘が出てくる。スイはフードをかぶって顔を隠していた。流石に暴れ過ぎたと思っているのかもしれない。ウェザリアは、一定の距離を保ってついていく。
石造りの家々が立ち並ぶ、道はゆるやかにカーブしており、町の中心から外側へと続く。山の麓に作られた街の為高低差はあまりない。南側には農村地もあり、街からはずれたところには原生生物の研究所があった。ザフオルの町の壁の外である。
彼女たちはまさしく、原生生物の研究所に向かっていた。白い石造りの、ドーム状の建物が三つ程存在し、今にも壊れそうな木の柵の中は広く、放牧場のようになっている。人に慣れているせいか、人を餌をくれるものと思っているのか、好奇心旺盛な動物たちが寄って来る。
研究所内に入って行ったスイを追うことはせず、ウェザリアは彼女達が出て来るのを待つことにした。柵に沿ってふらふらと歩く。
「この、青い鶏ってなんて言うんでしたっけ」
「知らん。あっちの小さい羊はあれだろ。肉が美味い」
「僕はあれ骨が多くて苦手です」
研究員は、よく、飼育している生き物が逃げ出したと騎士団に泣きついてくる。逃がすな、と毎度注意するが、彼らはいつも満足そうに「必要な事だったのです」と言う。それから身内だけで新しく観測できた事実を語り合う。白い建物の内一つは自由に出入りできる展示室だ。国からの予算では苦しいようで寄付を求めている。一番人気のエリアはやはりフオルうさぎ他鉱石を体に纏う動物のエリアだ。爪が紫色の鉱石になっている鷹や、尾の先に黄色と黒の鉱石が生成される虎、海の色をした鉱石が体表に現れるウツボ。ザフオルのうさぎは残念なことに攻撃手段を持たず乱獲されやすい。フオルうさぎの赤い鉱石がこの地方の山に住むとされる三つ目の熊を彷彿とさせることから外敵から襲われにくいとされているが、人間には関係がない。
「あれは、サラノノウサギか」
サラ王国に多く分布するうさぎに近付く。フオルうさぎより一回り小さく耳も短いが、警戒心が高く他の種のうさぎと同様に危険が迫っていると後ろ足を強く地面に打ちつけ音を出す。ウェザリアが近付くと、数匹のうさぎが足を鳴らした。
「狐に見えているのかもしません」
髪の色が黄色だから、とハロルドは言った。ハロルドは備え付けられている餌箱から餌を取り出し、うさぎにやっていた。その横についている募金箱に硬貨を入れることも忘れない。しかしハロルドはうさぎに警戒されていない。やはり、食事をくれるものには警戒が解かれるのだろうか。スイがいるのも食堂だ。
しばらく外を見た後に、展示室になっている建物に入った。受付の研究者はウェザリアの顔を見てぎょっとしたが、ハロルドも一緒だとわかると何も言わなかった。確かに、騎士団よりもこういうところのほうが、ハロルドに合っているように思えた。
展示室は混沌を極めている。
研究者たちがそれぞれの専門分野の生き物をそれぞれに研究、展示しているから展示がかぶっていたりするのである。神話生物、伝承にしか出てこない獣の研究をしている者もいた。目撃証言や、歴史書を紐解いて作られた三つ目の熊のレプリカを見上げる。作られたのは最近で、ハロルドも作成を手伝った。この地方ではもっとも有名な幻の生き物だ。偉大なるものとしてこの時期祭も執り行われる。動物というより、土地の神と思っている人間の方が多いだろう。体毛は赤だが、肩にやや白い毛が混ざっている。五メートル以上はあって、しかし、本当はもっと大きく作りたかったのかもしれない。天井に頭をぶつけていた。頭の毛も少し白いようだ。
「こんなんがいたら、すぐにわかりそうなもんだけどな」
「いると思いますか?」
「いたら面白いから、いてくれた方がいいな。大層強いんだろうぜ」
「そればかりですね」
「なにせ、スイと同じ色だ」
「そうですか?」
ハロルドは、ウェザリアに言われて改めて熊のレプリカを見る。赤色の体毛に、赤色の目。巨大な体で、腕を広げており爪は鋭い。彼女は小柄な方であったと思うが、その一撃の鋭さたるや、とても同じ人間から放たれるものとは思えなかった。屈強な騎士に囲まれて、心は、驚くほどに凪いでいた。どれだけの経験を積めばあの境地へ至れるのか、想像すらできない。隣に立つウェザリアのように、戦いを楽しんでいる猟奇的な様子もなかった。それがやや不気味にも見えてしまう。第一王子からの命令、などという言葉だけでうまく納得ができない。
「彼女は、何者なんでしょうね」
三つ目の熊と、スイという女が重なる。すると、途端に目の前の熊が恐ろしく感じられた。ぞわり、と恐怖が肌を包む音がした。
「俺は、それが知りたくてここにいる」
ウェザリアも同じ恐怖の中に立たされながら、熊を真っすぐに見上げていた。
この熊は、王国の名前を取ってサラ・グリズリーと名付けられている。建国に大きく貢献した生物に与えられる特別な名前だ。サラ王国の名前を冠する生物は全部で五体。いずれも明確な情報のない幻の生き物だ。土地の神として祭られていて、いずれも、サラ王国の五大祭として有名である。レプリカの横に、サラ・グリズリーの有名な神話が記載されている。その獣は。
「雪を引き連れて現れる」
争いと飢餓の連続で滅びかけたザフオルの地に番のうさぎを放った。うさぎは人間を活かし、発展させる命を受けた。その耳で神の嘆きを聞く。その身は食物として、額の鉱石は土地の宝として、ザフオルの地に安定と繁栄をもたらした。
ザフオルの民の為に生まれたうさぎである。故に、人間を危機とみなすことができず、他のうさぎが当たり前のように行う警戒行動がとれないそうだ。無論天敵からは逃げるし、足も速いが、人間からは決して逃げない。神から賜ったこの生き物を糧として、私たちはこれだけ発展した、成長した、というのを示すのが、ザフオルの祭であった。サラ・グリズリーとフオルうさぎに感謝を捧げる祭である。だからこそ、乱獲し売りさばくというのは、ザフオルの民として許せることではない。ハロルドはぐっと拳を握る。
神話の形はいくつか存在する。ここに記載されているものはこれだけだが、もう一つ、ザフオルの民が広く信じている話がある。その話によると、繁栄をもたらしたサラ・グリズリーを裏切るようなことがあれば、サラ・グリズリーが俗世へ下りて来て暴れ、破壊の限りを尽くすのだ、という。雪を引き連れ現れて、咎人の足を止め、全てを白く塗り替える。サラ・グリズリーの象徴は破壊と繁栄。
ハロルドはふと窓から外を見る。灰色の雲が流れて行く。今夜はまた雪が降るだろう。
「例えばこういった神話生物、一部で神とも崇められるものは、一体何を行動基準にしているんだろうな」
この時代まで残っている話の全ては、人間が後から付け足したものだ。都合の良いように捏造されてもいるだろう。熊に会えても真意を聞けるはずもなく、本当のところは一つもわからない。ただ、フオルうさぎは存在する。
「もし、ここに書いてある通り、こいつがフオルうさぎをこの世へ生み出したのだとしたら」
ウェザリアは言う。
「神からの賜りものを無碍にする人間は、一体どうなると思う」
スイが現れた時、雪が降っていた。ハロルドはぞっとして言葉を失う。天罰。同時に「まさか」とも思う。
「天罰が下る、なんてことがあるんでしょうかね」
「どうだか」
「楽しそうですね……」
昨日からずっと、ウェザリアは楽しくてたまらない様子だ。子供のようにはしゃいでいるし、スイの一挙手一投足に目を輝かせている。今も、時折研究棟の方を見て、スイが出てこないか注意を払っている。ウェザリアも、灰色の雲を確認して、ふ、と笑う。
「天罰というものを考えた時、俺は昨日、スイが騎士団を滅ぼさんばかりに暴れていた、あの姿を思い出す」
もしかしたら天罰とは、ああいうものかもしれない。突然現れ、なすすべもなく。後悔する頃にはすでに遅く。全て壊された後は、また一つずつ積み上げていくしかない。今度は前作ったものよりも、良いものができるようにと注意を払いながら。
「確かに、災害みたいでしたけど」
「次はない、と言われたような気がしなかったか」
「珍しいことを言うんですね」
「昨日からずっと、俺は考えている」
流石に、スイが使用したカップは城に置いて来たが、ウェザリアはまるで手の中になにか握っているかのように手のひらを見つめる。
「スイはあの時、俺になにを期待していて、俺はどうしてスイを失望させたのか」
スイならば、本当に一人でなにもかもやってしまいそうだった。たった一晩で住民を味方につけているし、多少の無茶ならば押し通してしまう運も力もある。ウェザリアがスイを気に入らなければ、騎士団総出で追い出されていたっておかしくはない。ハロルドはそう考えて、もし、そうしていたら、滅んでいたのは騎士団の方かもしれず、そうなると、運がいいのはウェザリアの方かもしれないと思い直す。立て直しの機会を与えられたのは、ウェザリア、ザフオルの方なのでは。ここまで考えて、こうして神話はできたのだろうと小さく笑った。全て起こってしまった後に、人間がそれでも生きていくために無理矢理前向きにしたものが、神話なのかもしれなかった。天罰と理由をつけなければ、先に進めなかったから。
「このままスイを見ていたら、わかる、ような気がするんだが」
「そうですか」
「ところで、お前はなんでここにいるんだ」
「いえ、僕も、あの人に協力したいと思っているんです」
「お前まさか」
「僕のはそういうのじゃないので睨んで来ないで下さい。応援してますから」
「ならいい」
研究室からスイと食堂の娘が出て来るのが見えて、ウェザリアとハロルドも展示室を抜けた。ウェザリアがスイに話かける様子は、まだない。
昼を過ぎるとスイは一度食堂へ戻り、雪かき用のシャベルと研究所で預かった荷物を背負って山の方へ向かった。スイと一緒にいた娘は食堂で、店主と思われる女に押さえ付けられていた。ここからスイは一人で行動するようだ。ウェザリアとハロルドは当然のように後を追い、彼女の行動を観察する。北東の出口から街を出て北東の国『ヴルカ』に抜ける山道へ入った。けれど、ある程度登ると山道を逸れて山に分け入っていく。整えられた道ではないにも関わらず彼女は、まるでそこに道があるかのように山を登って行く。周囲を注意深く観察して、木が少なくなり、背の低い高山植物が広がるあたりまできた。体を伸ばして、スイはくるりと振り返る。
「いつまで、後ろでこそこそしてるんですか」
スイが振り返ったタイミングで茂みに隠れたが、スイには二人がどこに隠れているのかもわかっているようだ。ウェザリアはスイの前に出る。スイは坂を登り切ったところにいるので、見下ろされる形になる。彼女の肩には、枝から落ちて来たらしい雪が少量乗っていた。
「い、いや、その、だな」
「なんです」
感情がどこにあるのかわからない、冷たい目に思えた。だというのにウェザリアはスイを見つめてぼうっとした顔で言った。
「好きだ……」
「この人どうしたんですか」
「すみません。病気になったみたいで」
このやりとりだけで、大した目的なくついてきていることもわかったようで、スイは再び歩き出す。見つかってしまったので、急いで追いついて後ろを歩く。
「帰るか、雪に穴掘って埋まってるかどれかにしてもらえますか」
「それはできないな」
「そうですか」
スイはウェザリアと話をするのが面倒なようで、荷物を降ろし、大きな布を引っ張り出す。テントを張るつもりのようだ。
「こんなところでキャンプか?」
「捕まえた人間を一晩雪晒しにしておいたら死ぬでしょう」
「なにかできることは?」
ウェザリアが自信満々にスイに聞いた。スイはテントを張りながら言う。
「罠を探してきて貰えますか」
「罠?」
「私は昨日、あなたの部下数名から宝石を押収しましたけど、宝石の数は一つとか二つじゃありませんでした。数日に渡って溜めていた可能性もあるんでしょうが、バレたら一発アウトですから。普通、すぐに横流ししませんか。流れが早いものだとして、すると、大量に持っているってことは、大量に捕獲できるってことだと思います。大量に採ったものを、複数人に分散して流していく。システム化されているものなんじゃないかと」
だから、罠があるはずだ。そうでなくてもうさぎを一匹ずつ狩るのは現実的ではない。スイはふとウェザリアの方を見る。ウェザリアはスイと目があうとハッとして、顔を赤くして頬を掻く。
「いや、良い声だなと……、昨日はこんなに話せなかっただろう?」
「一生、聞いていたい」スイはハロルドを見た。ハロルドにはどうにもできない。首を横に振り、頼むからこちらに振るのはやめてくれと意思表示をした。
「そういう理由で、罠を探して来て貰えませんか。で、場所を教えて下さい。回収しに来るのを待って、一人残らず捕まえる」
「とは言っても」
どうやって。スイはすぐに荷物を漁って数枚の紙を取り出した。
「これは?」
「フオルうさぎの足跡のスケッチです。それから、これはフオルうさぎが好む植物のスケッチ。このあたりだと足跡は難しいかもしれませんが、もう少し登れば雪に足跡が残っているかも。テントが張れたら私も探します」
まさか、一晩中山の中を見張るつもりなのだろうか。「けど」そんなことが。本当に。下手をすれば命を落とす。ハロルドは渋っていたが、ウェザリアがハロルドの背を叩く。こんなところまでついてきて「やれることはないか」と聞いた。そして彼女が仕事を任せてくれたのだから、引くことはできない。ウェザリアは、彼女が勝負をかけようとしている気配を強く感じ取ったのかもしれなかった。
少し離れると、スイの方を振り返って呟いた。
「一体何を行動基準にしているんだろうな」
「わかりません」
ハロルドはそう答えた。が、ハロルドには。どうにも彼女が、理論的なことも言ってはいたが、それでも、結局、感情のまま動いているようにしか見えなかった。
雪が降り始めた。
昨夜と同じように細かい雪が静かに降り続けている。
暗くなるまでテントで待つと、スイは、明かりも持たずに外へ出た。当然のように「見えるから大丈夫です」と言い放ち、宣言通りに暗闇に消えていく。スイは暗くなる前に「帰ったほうがいいんじゃないですか」と二人に言った。それはつまり、もう二人にできることはないが本当にここにいるのか、と念を押した言葉だったのだが「俺はここにいる」とウェザリアが言ったので、ハロルドもまた覚悟を決めた顔で「僕も残ります」と続いた。
「じゃあそこに居て、逃げ出さないように見張っておいてください」
それがスイから与えられた仕事だったのだが、ハロルドとウェザリアはしばらく顔を見合わせてなんのことかと考えた。逃げ出さないように。
「スイはおそらく、昼間に罠を確認した場所を見に行ったんだろうな」
「でしょうね」
「……まあ、そこで密猟者を見つけられれば現行犯だが」
「そんなまさか」
と、ウェザリアは言ったが、自分の中の常識を信じ切れないようだった。スイは、スイの中の常識に基づいて行動している。テントは、スイ一人が入るには広いし、三人でもまだ余裕がある。立ち上がることも、歩きまわることもできる広さだ。
「スイが言った通り、一度に大量のうさぎを狩っているなら、密猟者だって一人じゃないだろう」
「相手の数は」
「そうだな。スイにはきっと関係が無い」
相手がなにかも関係がないだろう。どんな武器で、なにをしてくるのかも。ウェザリアがテントから顔を出そうとすると、突如、人の叫び声が聞こえた。大体の位置はわかるが、テントから顔を出した程度ではなにも見えない。人と人とが争うような声がして、数発、破裂音が響いた。スイは丸腰だ。だから、スイが出した音ではない。ウェザリアは外へ出ようとしたが、ハロルドがそれを止めた。
「明かりも持たずに行ったら秒で遭難しますよ!」
「なら明かりを」
「あの人の邪魔になりたいんですか」
ウェザリアは複雑そうな顔をしてテントから出て、音のするほうを睨み付ける。何も見えない。夜目が利く、という言葉だけで説明できるのだろうか。まるで特別な機能でも備わっているようだ。まるで、どんな状況でも戦えるように作られたみたいだ。
「ハロルド」
「駄目ですよ、絶対に」
「わかってる」
ウェザリア一人であれば、踏みとどまれずに走り出していた。心配しているわけではない。スイには傷一つないだろう。けれど。
叫び声が転がり落ちて来る。スイから逃げて来たのか、足を滑らせただけなのかわからないが、ウェザリアは咄嗟に声のする方へ手を伸ばす。なにかが触れた瞬間掴み、テントの中へ放り投げる。人間の男だ。顔は恐怖で歪んでいる。二人にとっては、見知った顔だった。
「お前、こんなところでなにしてた」
ウェザリアの声に、男はハッとし、ウェザリアの足に縋りつく。出てきた言葉は恐怖心に震えていた。
「助けてください! あの化け物がまた出たんです、昨日城に来たあいつです! 団長、なんとか、あいつを追い出しましょう、ザフオルから、あの化け物を!」
ウェザリアはぎり、と歯を鳴らし、男の顔を蹴り上げる。
「質問してるのは俺だぜ。お前、こんなところでなにしてた」
「俺はうさぎを取りに来ただけだ! それなのに、それだけなのにこんな」
うさぎを入れるにしては小さな袋を握りしめている。その場で殺して、宝石だけを取り出すつもりだったのだろう。肉や骨は、他の野生動物が食うか、やがて地に還る。
「フオルうさぎの密売は違法だと知らなかったか?」
問いかけながら、冷静な自分が自分を責める。なにを開き直っている、ウェザリア・レイランス。いつかこんな日が来ることを予想しなかったか。この事態を招いたのは他でもない。――ウェザリアの部下である男は叫んだ。
「あんた、ずっと黙認してきたじゃないか!」
例えばもしもウェザリアが、品行方正、誠実な日々を送っていれば、スイが騎士団を蹂躙する光景を見て『天罰』と思うことはなかったのではないか。サラ・グリズリーとスイが重なったのは、自分の怠惰を、そこに見たからではないか。
「黙れ!」
男の顔を踏みつけるようにして黙らせた。「なんで」「どうして」と繰り返す男の顔からはとめどなく血が流れている。二、三発入れたあたりでハロルドが止めに入る。
「退け!」
「これ以上は死んでしまいます」
「構わん、こいつは殺す!」
「今ここにスイさんがいたとして、同じことができるのならどうぞ」
依然、外からは銃声と人間の叫び声が聞こえている。テントの中は静かなものだ。自分の息と心臓の音がうるさい。足元で転がっている部下は気絶したようである。ウェザリアは片手で自分の顔を覆った。
「お前がいてよかった」
「そう、思って貰えてよかったです」
ウェザリアはそう言ったきり、テントの中で眼を閉じて黙り込む。ハロルドも何も言わず、ただ、声がひとつずつ減っていくのを聞いていた。だんだん静かになって。やがて、銃を乱射する音がして、それを最後に、何の音も聞こえてこなくなった。しばらく待っていると、小さな足音が、こちらへ近づいてくる。ウェザリアとハロルドは目を開けた。
「たぶん、とりあえずは片付きました」
スイはテントの奥に転がっている男を一瞥すると、同じ位置に抱えていた三人を放り込んだ。いずれも気絶しているだけで、死んではいない。
「今から残りを運んでくるので、武器とか持っていそうなら取り上げておいて貰えますか」
「わかりました」
ハロルドは頷いたが、ウェザリアはスイが投げた男が持っていたカンテラを腰につけて外へ出る。
「音は聞こえていた。俺が行っても一気に運ぶことはできねえだろうが、いくらか楽になるだろ」
「助かります」
スイは素直に軽く頭を下げると、ウェザリアを伴って外へ出た。雪が降っていて、山道は厳しい。しかしスイはまるで、そんなところにはいないみたいに進んで行く。彼女だけ、別の地面を、別の世界を進んでいるようだ。
「スイ」
「なんですか」
「俺の部下も居たか」
「何人かいました」
「そうか」
そうか、ともう一度呟く。噂があることは知っていた。だが、聞こえないフリすらしていなかった。動かない自分に言い訳をすることもなく、ただ、面白いことが起こりはしないかと過ごしていた。父親にもそれを咎められたことはないし、部下達はのびのびやっているように見えた。
スイの背中を見る。
スイはあの瞬間、思ったのだ。
「戦力にならない」
と。いるだけ無駄だし、話もズレている。「代わりに」なにかを要求するなんて、あってはならないことだった。
「スイ」
「なんです」
「お前、一人も殺してないんだな」
スイは振り返る。そして、ウェザリアには見えないなにかを見ながら言った。
「民は、宝ものだそうです」
まるで一国の王のようなことを言う。そう思ってすぐに、その言葉は第一王子のものなのではないかと予想した。スイ自身がどう思っているのかはわからないが、スイは、その言葉を自分のものにしたいと思っているのかもしれない。「……思いっきり殴ったりしてましたけど」やや気まずそうに言った後、スイはウェザリアと目を合わせる。
「民だけでなく、この国に住む全てのものが、宝ものなんだそうです」
住んでいる動物も。騎士も、研究員も、役人も全て。「だから殺すことはしない。再起不能になるようなことだけはないようにしているんです」スイを通して、その言葉を放った何者かへ向かって言う。
「きれいごとだ」
スイは揺らがない。真正面からウェザリアの言葉を受けて「そうかもしれない」と頷いた。スイの行動基準はそこにありそうだ。誰だか知らないそいつがスイに魔法をかけたのだ。とウェザリアは思う。痛いくらいに手を握り込む。
「だけどあなたは、同じことが言えますか。――例え自分のどこかで綺麗ごとだと、叶えられないと思っていても、ハッタリでも。同じことが言えますか」
スイは再び歩きはじめた。見失ったらここがどこだかわからなくなる。慌てて後ろを追いかけた。密猟者が転がっている。雪を退けて中央に集めると、スイはそこから適当に三人ほど担ぎあげる。ウェザリアもスイに倣って運んだ。十人いて、内四人は見た顔だった。
「これでとりあえず全部です」
すべてテントに放り込んで武器を取り上げる。
今のところ、およそ半数に満たない程度の密猟者がウェザリアの部下であった。こいつらも退屈していたのかもしれない、とウェザリアは思う。ウェザリアが戦いに飢えて女遊びをしていたように。血の気の多い連中だから、危ないことがしたくなったのかもしれない。トップが暇そうにしているものだから、退屈そうにしているものだから、それを見て、密猟に手を出したのかもしれない。部下の不始末は上司の責任でもある。
スイは、雪が降り続く真っ暗な山に再度繰り出そうとしている。軽く振り返って、自分が今からなにをするのか宣誓した。
「次に行きます。上手く行けばそろそろ次が来る頃でしょうから」
それもまとめて捕まえて、得られる情報は全て得たい。身に着けているものからもわかることはあるはず。ハロルドに引き続き見張りを頼むと、テントから出て行った。数歩歩いたところで、ピタリと彼女の脚が止まった。よく耳を澄ませると、荒々しいうめき声が聞こえて来た。
「お前はそこにいろ」
ハロルドに残るように指示して、密猟者から奪った銃を持つ。ウェザリアがスイの横に立つと、スイは一言「シトウイノシシですね」と言った。テントから漏れ出る明かりを頼りに見れば、周りを四つ足の動物に囲まれている。頭が平たく、硬い頭蓋骨を持ち、かつ、平らな面には歯のような突起が並ぶ。突進し肉を抉り確実に獲物を弱らせる。また、血の臭いに敏感で、どこまでも獲物を追いかける。雪山に一家単位で生活している、極めて厄介な獣だ。ウェザリアが銃を構えると、スイはウェザリアの前に立つ。
「銃を持って来た、これで」
「殺す必要はありません」
スイが守っているのは、ウェザリアであり、イノシシだった。防寒具の内側から布につつまれた球を取り出すと、勢いよく近くの木にぶつける。球は弾けて、周囲に独特のにおいが広がる。人間にとっては嫌なにおいではない、清涼感のある香りが鼻を抜ける。粘り気のない、ミントに近いすっきりとした匂いだった。イノシシたちはその匂いを感じ取ると明らかにぎょっとした様子で慌てはじめ、群れ同士でぶつかりながら逃げ去った。
「今のは」
「ミントと、なんだったか。ここに来る前に研究所に寄って貰ってきたんですが。最近山は、うさぎの死体が放置されるからでしょうね。肉食の動物との遭遇率が異常に高いそうで、たぶんあったほうがいいと言われて。あの人たちの特別調合品です」
守るようにウェザリアの前に立つ彼女は、戦うこと、守ることにあまりにも慣れている。視線だけでテントへ戻る様に指示を出す。コートの内側から袋を取り出しウェザリアに持たせた。
「猪避けの香です。危なくなったらこれを焚火に放り込んで下さい」
ウェザリアはハッとして今まで運んで来た密猟者を見る。派手に血を流している人間はいない。血が出ているのは、ウェザリアが顔を踏んだあの騎士だけだ。シトウイノシシだけでなく、血の臭いを嗅ぎ取って寄って来る獣はいる。
「スイ、」
「この中に充満させておけば血のにおいも誤魔化せるはずですよ」
スイはまた一人で外に出て、この後も何度か戻って来て、様子を見に来たと思われる密猟者グループをテントへ運んで来た。流石に明け方近くなると新たに登ってくる密猟者はいない。スイは最後に見つけた限りの罠を回収して戻って来た。
疲れている様子はないし、やれと言われればもう一晩二晩くらい平気で同じことをやりそうだ。意識を取り戻した密猟者はスイの姿をみると「ひ」と短く悲鳴を上げている。スイはそういう反応にも慣れているようで、一人で淡々と仕事をこなす。一人で出て行って、一人で帰ってきて、一人で考えている。ハロルドの体が震えていた。寒いからではない。
「いつも、こんなことを?」
ハロルドは下山の準備するスイに聞いた。「いつも山に登ってるわけじゃないです」恐らく、場所は関係がないのだ。
「必要だと思ったので」
必要だと思ったことを、ただやるだけ。ハロルドは「そうですか」とだけ返して、スイを見られなくなっている。こんな人間が近くにいたら、自分のずるいところばかりが目についてしまう。それよりは、スイを遠ざけて怖がっていた方が簡単だ。だから、たった一人でザフオルに来たのかもしれなかった。
スイは登って来た太陽を見つめて一人、悔しそうにしている。
「やっぱり人が足らない。これじゃあ全部は押さえられない」
ウェザリアは今日、ずっとそうしてきたように、スイの姿をじっと見ていた。スイが振り返り、ハロルドを見て、ウェザリアを見る。
「しかたない」
スイが、なにかを投げ捨てる音がした。赤色の目から光が消える。それはおそらく、彼女が唯一ハロルドとウェザリアに見せた彼女の感情であったのに。他のなにかを優先して、それを捨てた。ハロルドは一気に呼吸が浅くなり、今にもここから逃げ出しそうな顔をしている。ウェザリアは、体温が下がっているのか上がっているのかわからないまま、導かれるようにスイの正面に立つ。
スイは姿勢を正して、真っ直ぐにウェザリアを見上げた。
「ウェザリア殿」
「待て」
スイが頭をさげる、その瞬間、肩を掴んで止めた。
ウェザリアの靴には血がついている。スイの頬は朝日に照らされて、雪に照らされて一層白い。髪は赤く輝いていた。
「それ以上言われたら、俺は二度とお前の前に立つことができなくなる」
スイの肩から手を離して、ウェザリアは、雪の上に頭をついてスイに言う。
「非礼を詫びる。ザフオルの為、ひいてはサラ王国の為に役立てるのならなんだってやらせてほしい。今までの思い上がった態度を許して、どうか、俺と、俺の騎士団を使ってやってくれないか」
生まれた家に、たまたま得た大きな体に、運よくそこそこ戦闘能力があったことに、同質の部下が集まったことに、今まで他の誰かの努力で保たれていた平和に。全てに胡坐をかいて遊んでいた。ザフオルはこれでいいのだと適当にしていた。これ以上はどうする必要もないと思っていた。――どうにかする度胸などなかった。
「ザフオルは、俺の故郷で、宝だ」
本当か? ――わからない。声は震えている。土地を背負って立とうなんて、思ったこともない。だが、この言葉は誓いだ。スイに向かって、自分に向かって。山を含めたザフオルの全てに向かって。本当に? 誰かの声がする。いざとなったら逃げ出すのでは。今だって動機はひどく不純だ。ここでこう言わなければ、自分は一生、スイには届かず。
「あ……?」
スイが、ウェザリアの頭を撫でる。食堂の娘にしていたのと同じように、宥めるような、励ますような。ウェザリアが顔を上げると、スイが膝をついてウェザリアの顔を真っすぐに見る。スイの目には光が戻っていた。
「ご助力感謝致します。ウェザリア殿。こちらこそ、突然城へ押し入って狼藉を働き、誠に申し訳ありませんでした」
果たして、貰った機会を活かすことはできるだろうか。スイがウェザリアの言葉を待っている。自分の中の何ものかが自分を罵倒する声がする。「調子が良すぎる」「きれいごとを」「今更そんなことを言ったって」その通りだ。間違っていない。調子の良いことを言っているし、きれいごとを言っているし、今更遅い可能性もある。しかし。――俺は、俺の発した言葉を本当にしたい。
「俺の部下を好き勝手ぶん殴ってくれた借りについては、いつか俺がお前よりも強くなったら返すことにする」
「うん。そうでなくては」
スイが楽しそうに笑うので、たぶん正解だ。
これは多少信頼されたからだろうか、スイが体を伸ばして大きく息を吐いていた。どんな生きものでも一昼夜働いて疲れないということはない。彼女はとんでもない意地っ張りなのかもしれない。
「よし! じゃあ俺はなにをしたらいい!?」
「見つけた密猟者は王都に送ります。騎士団員であっても同様に。だから、その許可を貰えたら助かりますね。あと、何人か私に貸して欲しい」
「まず俺と」
「既に借りたい人材の目星はつけてあります」
「とりあえず俺と」
「ザフオル騎士団は下手をしたら半分くらいになる可能性があります。ご承知おきを」
「半分!? それは言いすぎだろう」
「どうですかね。言いすぎだといいですが」
「で、俺は?」
「ここにいる全員拷問して密猟、密売の情報を搾り取っておいて貰えますか」
「よし。ハロルドも手伝わせよう」
スイに呼ばれてハロルドは恐々顔を上げる。スイが予想を飛び越えすぎて怖がっているが、きっとなんとかなるだろう。元々ウェザリアよりも愛国心も騎士としての志も高い。そういうところを見込んで、スイはハロルドに自分の居場所を教えていたのだ。ハロルドがウェザリアを連れて来るのなら、それはそれで仕方がないと思っていたのかもしれない。ウェザリアはスイに触れられた頭に、自らの手を置いて咳払いをする。
「その、だな、スイ」
「はい」
「……あー」
見上げて来る赤い目が朝日を取り込んで光っている。胸が痛いくらいに高鳴っていて、防寒具の上から胸を押さえる。「スイ」「はい」スイ、と心の中でもう一度呼ぶ。
「片付いたら、一緒に、飯を、食ってくれるか。もちろん、俺の奢りだ」
山に吹く風ではこの熱を冷ませず、冬の冷気では追いつかない。眼下に広がる街にも朝日が届き始める。
「片付いたら」
「よし!」
スイはテントの周囲を見た。結構行き来したはずなのに、雪が足跡を隠してしまって綺麗なものだ。それを残念そうに見つめて呟く。
「……雪が降っていなければ、足跡をたどってアジトまでいけたかもしれないのに」
どうやったら、彼女と同じものが見られるだろうか。
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