最強の女神の噂は千里を駆ける

アサリ

第1話

■一話■

 今にも雪が降り出しそうな暗い空だった。

 スイが空を見上げると、ザフオルを囲い守る壁と、北側に広がる山脈が見える。ザフオルの街の北側には二千五百メートルを超す山々が連なり、山を境に北東と北西に別々の国が存在していた。建国時代から小さな諍いが絶えないが、流通や、旅人にとって貴重な中継地点でもある為、普段の出入りは自由にできる。余程目立つことがなければ門番に声をかけられることもない。特にこの時期はザフオルで祭が開かれることもあり、様々な地方から人が集まる。土地の神様であるサラ・グリズリーへの感謝の意を示し、特産物や発展した文化、剣技、舞などを捧げる祭であった。特にザフオル騎士団による見世物は人気が高く、国内外からも人が集まる。その集まった人を相手に商売をしようと商人も集まる。スイが壁から町へ入ると、道にはずらりと屋台が並んでいた。

 その内一つの屋台の男がスイに声をかける。

「旅人さん、うちのフオルうさぎ饅頭食べていかない?」

 フオルうさぎは、ザフオルの山々に生息する、額に赤い鉱石が生成されるうさぎである。夏でも白い毛のままで、成獣で体長は七十から八十センチほどになる。赤い目と額の鉱石で三つの赤い目のように見える為、同じく赤い三つ目の土地の神、サラ・グリズリーの眷属であると信じられていた。

「うさぎが入ってるんですか」

「まさか! うさぎを狩って食べてたのなんてもう何年も前だよ。今ではアルデイン様が保護指定して下さっているから、勝手に狩るのは犯罪だしね」

「つまり?」

「つまりこれはフオルうさぎの形を真似た普通の饅頭ってこと」

 りんごの餡とみかんの餡のニ種類あるそうだ。スイは一つずつ買うと他の往来の人がそうしているようにすぐに食べ始めた。蒸しあげた白い生地はふわふわしていて、湯気が立っている。「いい商売だな」貰った紙袋を持ち上げて眺めていると、カア、とカラスの鳴く声がした。頭上を見るが、鳥の姿はない。

 スイは立ち止まり、広く空を確認する。――いた。太陽が出ていないのでわかりにくいが、空の一部が高速で動く。注意深く観察していると、町を広く旋回している。ハイイロカラスだ。高山地帯にのみ生息している珍しいカラスのはずだ。現在の空と同じ色をしたカラスが急降下する。狙いは、スイからはややずれている。カラスが向かっている方向をちらりと見ると、子供がザフオル饅頭を食べている姿が見えた。風を切る音がして、他のひともカラスに気付く。「えっ?」スイはカラスと子供の間に走り込み、カラスの胸あたりに手を当て再び空へ向かうよう軌道を逸らした。

「ええ?」

「今のって、ハイイロカラス? こんなところに?」

 子供はぽかんとスイの顔を見上げていた。怪我はなさそうだ、と確認するとすぐに歩き出すけれど、子供がスイの腕を掴むと言った。

「お姉さん、うさぎさんみたい」

 スイが、短い赤い髪に、赤色の目をしているからだろう。背筋が伸びていて、深い赤色の髪と同色の目に意思の強さが滲んでいた。他の旅人に比べたらかなり軽装で、赤色に染めた麻袋を提げているのみだ。武器も携えず、手の指まで隠れるオーバーサイズのコートを羽織っている。シルエットでいくらか盛っても、コートから覗く指先や足から華奢な印象を受けた。

「あっ」

「コラ、失礼でしょう」

 子供の母親が急いで駆け寄って来て、子供の手をスイから離させた。丁度買い物をしていたところのようで、大きな紙袋を抱えている。彼女は慌てて頭を下げた。

「すみません」

「いいえ。怪我がなくてよかった」

 母親は改めてスイの顔を見る。後ろ姿だけだと男に見えていたのかもしれない。声を聞いて女だとわかると安心したようだった。子供は何事もなかったみたいにフオルうさぎ饅頭をかじりはじめた。その姿を見て彼女は改めて息を吐く。

「ええ、それはもう。貴方は、ええと、旅を? それとも観光へ?」

「仕事で。――それより、さっきみたいなことはよく起こるんですか。ハイイロカラスは山の高いところにしかいないものと思ってました」

「ああ、近頃、山の生き物がよく町の近くまで降りて来るんです」

「へえ。山で餌が減ってるのかな」

「カラスならば例え狙われても大怪我をすることはないでしょうけど、ちょっと外に出て熊に出くわす、なんてことがあったらと思うと」

 母親は深刻な様子だが、子供は呑気なもので「あのね」とまたスイの袖を引っ張った。喋り足りない様子の子供の前にしゃがんで視線を合わせる。しゃがみこんで相槌を打った。子供はそれが嬉しいのか、声が大きくなっていく。

「さっきね、見せて貰ったんだ。うさぎさんの宝石」

「……お饅頭?」

「ううん、宝石!」

「宝石? 本物の?」

「そう。この街の近くにしか住んでないうさぎさん」

「誰に?」

 スイが問うと「あのね、お城の」と子供はただ目を輝かせている。フオルうさぎを狩ることは禁止されているが、宝石が出回ることはある。理由は様々だ。山で拾うこともあるだろう。狐などの上位捕食者が誤って飲み込んでいることもある。昔、自由に狩猟できていた頃に出回ったものを所持しているのかもしれない。もしくは、許可を得ずにフオルうさぎを狩った場合。

「門番のき――」

「やめなさい!」

 母親が子供の口を塞いで叫んだ。子供は驚いた顔で母親を見上げ、やがて泣き出した。何故怒られたのかわからない、と言う風だ。母親もまた我に返り子供を抱きしめる。「ごめんね。ビックリしたわね」そのまま抱き上げスイに頭を下げる。

「取り乱して、申し訳ありません」

「いいえ」

 スイは立ち止まって、母子の後ろ姿を暫し見つめた。

「お城の門番の騎士さん、かな」

 母親はのあの過剰な反応は、事情を全て知っているのか、関わらない方が良いと考えているのか。どちらにしても、『門番の騎士さん』に話を聞く必要はあるだろう。ため息をついて、肩に掛けている荷物を反対の肩に移動させた。

「思ったよりも根深そうだ」

 街の中心、ザフオル城を見上げて歩き始めた。


 スイは、サラ王国の心臓部、王城にほど近い酒場の二階に住んでいる。ベッドと机、あとは本棚が壁中にあり、入りきらなかった本が床に積んであった。服は数着、ベッドの上に放置されているもので全てだ。ほとんどここに帰ってくることはないが、いつも酒場の女主人、この家の家主がホコリを払ってくれている。

 ザフオルへ到着する三日前のことだ。酒場の女主人トトはスイに赤色の封筒を手渡した。その顔は険しく「つい一週間前帰ってきたところだってのに」と呆れていた。

「きっと、国にとって必要なことなんですよ」

 スイは苦笑しながら封筒を開ける。次の仕事の内容を記した手紙と、路銀や旅券など、旅に必要なものが同封されていた。手紙には、ただ簡潔にフオルうさぎの密売者、密猟者について調べて、見つけた違法者は狩れるだけ狩って来い、とだけ書かれていた。後は現在のザフオルについての調書だ。主に、ザフオルの山々を研究している研究者や、動物について調べている学者からの嘆きの声であった。

 ザフオルの街から山を超えたら別の国だ。北東の『ヴルカ』と北西の『ラブラド』。建国時代からザフオルはサラ王国にとっては要の土地であり、レイランス家が代々国境の守護者として君臨している。領主も兼ねるこの一家は、現在家長が領主、長男がザフオル騎士団を束ねている。調書によると、ザフオルの騎士団長はかなり好戦的な男のようで、通りかかっただけの他国の騎士に喧嘩を売っただとか、半殺しにして故国に送り返しただとか、騎士団内での決闘は日常茶飯事であるとか、それだけで飽き足らず街に有名な武闘家や傭兵などが来ると因縁をつけてわざわざ争っているそうだ。全てが本当かどうかはわからないが、とにかくトラブルが目立つ。それでもその立場から下ろされないのは、ザフオル内では人気があるからなのか、あるいは、レイランス家の手腕によるのかもしれない。

 別の調書には、学者一同でフオルうさぎが減っていること、他の動物が凶暴化していることなどを調査して欲しいと嘆願書を提出したとあると書かれていた。だが、嘆願書は王都には届いていない。紛失の線もないではないが、どこかで握りつぶされたとするのが自然である。嘆願書を受け取った人間か、その上か、更に上か。スイはザフオル城を見上げて溜息を吐いた。大変な仕事になる気配しかない。

 城は古いが、しっかりと下に重心があり厚く重い印象を受ける。ほとんど真四角に灰色の石が積まれていて、窓は小さく、数が少ない。人間がギリギリ出入りできるかできないかというサイズの窓しか見当たらない。城というより監獄のようだ。代々この土地を守り続けて来たレイランス家の邸宅を兼ねるこの城は、美しさというよりは、戦いやすさ、守りやすさを重視しているらしかった。サラ王国の赤い旗が寒々しく揺れるのを見上げた。雪はまだ降って来ないけれど、きっと今夜は大雪になるだろう。

 ザフオル城の灰色の城壁の角でもう一度息を吐く。今度のは、気合を入れるための一呼吸である。あの子供の言葉が『お城の門番の騎士』であるのなら、同じ騎士が門番をしてくれていたら話が早い。スイは真っすぐに門の前に立つ騎士の方へ向かう。門番は一人。腰に剣を佩いて、鎧は城よりも濃いグレーである。門番はスイに気付くと、じっとスイを観察する。スイもまた門番を見た。門番の男は目や眉は小さく細いのに、顔や体は大きく、スペースを持て余したような顔をしている。門番は呑気に顎をしゃくってスイに問う。

「なんだお前? 城になにか用か」

 スイは門番の前で立ち止まって努めて丁寧に答える。

「ザフオルの騎士団長、ウェザリア・レイランス殿はいらっしゃいますか」

 言葉こそ丁寧だが、表情にはあまり変化がない。兵士はスイの態度が気に入らなかったようで「チッ」と舌打ちをする。

「俺は用件を聞いたんだ」

「お伝えしました。ウェザリア殿に会いたいと」

「何故」

 スイは兵士のやたらと広い眉間を見つめた。逡巡。あとは直感だ。もしかしたら、ここで早速尻尾を掴むことができるかもしれない。

「……いやまあ、あなたでもいい。これくらいの子供に、宝石を見せませんでしたか?」

「なんの話だ?」

 こちらを小馬鹿にするような、歪んだ笑い顔だ。全く心当たりがなければその顔にはならないとスイは判断した。――予備動作無しで拳を男の腹に叩き込む。男は勢いよく後ろに吹き飛び尻もちをついた。「ふぐっ」スイはもう一度質問する。

「子供に、フオルうさぎの宝石を見せた?」

「貴様っ!」

 剣を抜いた。はずだ。しかし、構えた剣先は半分ほどがなくなっている。折れた。いつ? 結論が出るより先にスイの三発目の拳が兵士の顔に突き刺さる。なんとか受け身を取っていたが、起き上がったところ、顔の前に折れた切っ先が落ちてきて「ひ」と尻もちをついていた。スイに折られた剣先に気を取られている間に、スイは距離を詰めて、兵士の側頭部を蹴った。振り子のように横へ倒れ、地面にぶつかった衝撃で少し体が浮いて、その後動かなくなった。

 意識を手放している男の鎧を脱がし、所持品を調べる。胸当ての裏側にいかにもという麻袋が括りつけてあった。袋の中身は赤い宝石だ。フオルうさぎの宝石は、光を透かすと石の中を血液のように光が走り、ほんの少しの明かりでも反射する。一つ二つではない。麻袋の底が見えないくらいの量であった。

「黒か。やっぱりまずは、ウェザリア殿と話さなきゃいけないな」

 スイはそのまま城の中へと入る。扉を開けて、堂々と正面から。エントランスホールで談笑していた騎士がぎょっとする。

「お前、勝手に!? 門番はなにをしてた!?」

 門番であれば外で寝ている。状況の説明が面倒で、門番から奪った麻袋を見せる。左の男はぎょっとしたが、右の男は怪訝な顔をした。スイは麻袋の紐を指にひっかけて言う。

「城主殿を呼んでくるか、城主殿のところまで案内するかして貰えませんか」

 二人は同時にハッと我に返り、剣を抜く。動揺しているようで、濁った抜刀音がした。スイはポケットに両手を突っ込み、その後麻袋だけを残して手を抜いた。武器を出すのでは、と身構えていた男二人の顔の前で手のひらを振る。

「ふざけやがって……!」

 相手が踏み込んで来たのスイも踏み込む。左の男が二歩目を踏み込もうとした時には既に、スイの膝が左の男にめり込んでいる。「は……?」ここまでやったらウェザリアが出て来るまで暴れるくらいしかやることはない。対話の必要がなくなった。彼らの意識を残すことは考えなくてもいい。殺さないようにだけ気を付けよう。スイはゆらりと右の男を睨み上げる。こっちはたぶん、宝石を持っていないのだろうけれど。

「ふざけてんのはどっちだ」

 向かってくるなら、殴っておこう。


 雪が降り始めた。

 隣国は静かで、強いやつの噂も聞かない。雪まで降って来ると一層静かで、面白いことは一つもない。そうなると、こんなことくらいしかやることがなかった。ちらりとベッドの上で意識を失っている女を見る。名前は忘れた。暇つぶしには丁度よかったけれど、それ以上でも以下でもない。レイランス家の男であるというだけで好んでここへ来る女は後を絶たない。

 ウェザリアは冷え切ったガラス窓に触れた。外が暗いせいで、退屈そうな顔をした半裸の男が写り込む。鋭い目は常に何かを探しているようで、手入れが後回しになった髪はこの堕落した生活を物語っていた。髭は剃っているが、必要最低限の身支度をする以外は、団員の相手をするか、女を抱くか、鍛錬をするかのどれかであった。そのどれもが、精彩を欠く。

「騎士なんて、やはり、何も面白くなかったな」

 長く続く騎士の家系だから。長男だからと説き伏せられてここにいる。部下のことも街のことも嫌いでは無いが、ここでは無いという気持ちが常にある。もしくは、対峙した人間に対して、こいつではない。といつも思う。

「お前に勝てる奴なんかいない」

 その言葉は、剣術の師に、父母に、兄弟に、親戚に、修道会時代の同期や教師に言われた言葉だ。そんなことはないはずだ、と思う。それは恐らく、ザフオルの騎士団長という立場に留めさせるための方弁で、誰も本気で言っていない。「ウェザリア様には敵いません」部下に。街のゴロツキに。その辺で出会った傭兵に。同じことを言われた。――否、と思う。そんなはずはない。居ないわけが無い。この程度では無いはずだ。真っ暗闇に向かって叫ぶ。この先にいるはず。そいつはきっと、自分と同じ苦しみを抱えて、自分の力を試したくて堪らなくて。いつか、ウェザリア・レイランスに出会う日を待っているはず。

 目の前の人間を切り捨てては違うと叫ぶ。鍛錬を積みながら違うと叫ぶ。ずっと聞いてきた言葉は呪いのように頭にこびりついていて「お前に勝てる奴なんかいない」それは果たして、誰の言葉か。振り払うように壁を殴った。部屋全体を衝撃波が走り抜け、眠っていた女は飛び起きた。

「な、なにかあったのですか」

「なにもねえよ」

 なにもない。この国には今日も何も起こらないし、きっと明日もなにもない。一人でじっとしていると訳もなく焦る。

「けれど」

「なんだよ、もう一回か?」

 言うと、女は顔を赤くして俯いた。それもいいか。ベッドに戻って女に顔を近づける。噛み付くように口を開けると、怯えたような、期待するような目がこちらを見ている。もっと。挑むような目をしたらいいのに。興が失せて、そのままベッドに倒れ込んだ。押し潰してしまった女は慌てている。ウェザリアは顔を上げて、じっと、自室の扉を見つめる。

 面白い事が起こらないだろうか。例えばザフオルが今すぐ攻め込まれるだとか、見たことない怪物が現れるだとか、城がめちゃめちゃに壊されるとか。

 今に、部下が部屋に走り込んで来て「大変です」などと叫んで――。

「――ウェザリア様!」

 一人の騎士が血相を変えて部屋に飛び込んできた。不敬。最低の礼儀もない。入って来たのは騎士団一真面目な団員だ。気が弱そうな下がった眉を仲間内でよくからかわれている。顔の通り、腕っぷしは強くないがその分事務仕事や雑用が得意で、街の人間にも慕われていた。そんな男が今、払うべき礼を放り投げて叫んでいる。

「ノックもなしか」

「それどころではございません!」

「それどころじゃあない」

 それどころではない。ウェザリアはゆらりと立ち上がり落ちている服を拾う。ザフオル騎士団の証である灰色の鎧は身につけず、街に繰り出すような格好だ。薄手のシャツに腰巻、そして、ゆったりとしたズボン。余った裾はブーツの中に押し込んで留めている。「なにがあった」解いていた髪を縛って腰布に剣を刺す。どく、どく、と心臓が大きく鳴っている。

「賊です! たった一人で城に乗り込んできて、もう地獄絵図で……!」

「地獄絵図!」

 女はぽかんとしてベッドの中から動けないでいる。放っておけば勝手に帰るだろう。ウェザリアは目を爛々と輝かせて廊下の先を見た。確かに、少し騒がしい。顔がにやけていくのを止められない。

「嬉しそうにしてる場合じゃあないんです! あの女、武器も持たずに、未だに誰一人として一太刀も浴びせることもできず……」

「女で、しかも、まだ無傷!」

「急いでください、あまりの強さに逃げ出す輩まで」

「はははは! 異常だなあそりゃあ!」

 部下の顔は一層青白い、普段から顔色はよくないが今にも死にそうな顔をしていた。

 部下に促されるまま歩いていく。逸る気持ちを抑えようとは思うのだが、歩幅は広くなっていくし、足はどんどん前に出る。ほとんど走っているような速度で、部下はウェザリアについていけなくなって、横を走っていた。

 騎士団の、部下達の声が聞き取れるようになってきた。「なんだ、何故だれも」「一体どんな手品を」「目的は」「なんでもいいから取り抑えろ」「止めろ」「よせ、ひとりで行くな」「行け、早く行けよ」「いやだ、あいつは」「あれはきっと」「早く、早く何とか」「ああああああっ!」まさに異常事態だ。

 エントランスホールだった。部下たちに道を空けさせて中心へ向かうと、報告通り一人の女が立っている。白い肌に返り血が散っていた。顔に飛び散ったものを拭いもせずに、今まさに一人を投げ飛ばして、騎士達の真ん中に立っている。疲れた様子も無ければ、苦戦している様子もない。次は誰が来るのかと、無表情で視線だけを動かす。目が合った者はビクリと震えて、視線を受けることすら恐れた者は目を逸らして体を小さくする。彼女の方が、ずっと小さく非力そうなのに。――君臨している、そう思った。

「ば、化け物だ」

 誰かが言った。その通りだ。目の前で震えている騎士の肩を掴んで「お前」と言う。ウェザリアの声に、騎士団一同は一瞬で静まり返ると、すぐに道を作る。ウェザリアは倒れている騎士は飛び越えて、動けなくなっている騎士は右か左に押しやって進む。

「お前、お前お前お前! ははははっ! なんてことしてくれてんだ!」

 女は構えない。無言でウェザリアと視線を合わせる。燃えるような赤色は、冬の夜に見る焚き火に似ていた。近付けば近づくほどに、胸の奥が熱くなる。とっくに彼女の間合いだろう。体温が上がり続けて、発散したくてたまらない。なのに、叫んでしまうは勿体なくて、身体の中に熱を閉じ込めたまま女を見下ろす。ああこいつのこれは一体どんな感情なのだろうか。表情だけではわからない。

 ざわつく声は期待と不安が混ざっていた。「ウェザリア様だ」「ウェザリア様が来てくれた」「あの女を倒してくれ」「あの化け物を」「ウェザリア様」「ウェザリア様」「俺たちの団長」ウェザリアが通った道、その近くのものから熱が伝播していく。全ての騎士が同じ熱量になると、女は、迷惑そうに眉をひそめた。

 ウェザリアは部以下の期待に応えるように、堂々とした足取りで女へ向かう。予感があった。これはきっと自分の求めていたものだ。対等な戦いが、ギリギリの戦いがきっとできる。はやく、はやくこれと一線交えて、この女のことを。

「俺が勝ったら! 俺の女になれ!」

 ウェザリアが戦意を向けた瞬間だった。

「なんだこのゴミ」

 今まで見せていたものより、数段鋭い拳がウェザリアの右頬を撃った。空中で四回回転して地面に落ちる。

 女は全く同じように中央に立って周囲を見る、面倒くさそうに首を傾げて、音が消えたホールを見回した。

「いい加減ウェザリア殿が出てきてもいいのでは」

 周りの騎士は全員、今、女が転がして、ピクリとも動かなくなった男を見る。

「ん? ああ、これが?」

 女は、ウェザリアを呼びに行って、今ようやくウェザリアの傍へ辿りついた騎士を捕まえて「彼がウェザリア殿ですか」と聞いた。騎士は泣きそうな顔で頷く。女は、はあ、とため息をつく。なにか、彼女の機嫌を損ねてしまったのかもしれない。そういう重さの吐息であった。これからどうなるのか。一体何を言い出すのか。固唾を飲んで見ていることしか出来ない。彼女は自分の頭をばし、と叩いた。

「しまった。話をしようと思ったのに。起きるまで待ってなきゃいけなくなった」

 彼女の一番近くにいた騎士が震える声で彼女に問う。

「こ、この街を、占拠しに来たのでは」

「違うよ。えーっと、ああこれだ。ほら、改めて下さい」

 コートの内側から、重厚感のある赤色の封筒が出てきてざわついた。押されている蝋印には、王家の紋章が入っている。「開けて」意図せずして騎士団の代表になってしまった騎士は女と手紙とを交互に見る。

「第一王子、アルデイン・ダン・サラ様からの手紙……?」

「私は王都騎士団第一部隊の団員で、スイと言います」

 意識のあったザフオルの騎士達は全員ぽかんと口を開ける。同国の騎士。立場としては仲間同士である。それが何故。

「そういうわけで、ウェザリア殿とちょっと話をしたいんだけれど、まだやる?」

 返事はない。スイは手紙を預けた騎士の方を見る。彼は涙を堪えてどうにか首を横に振る。

「いいえ……」

「そうですか。じゃあ、部屋で待たせてもらっても? あと彼、どこに寝かせておけばいいですか?」

「あ、では、案内、致します」

「ありがとうございます」

「何故、それを、先に言わなかったんですか」とは誰も言えなかった。

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