第21話
〔奏夢side〕
アイツが、俺の前からいなくなった。
別々に帰った次の日、アイツは学校に来なかった。寮にもいない。
そして気づいた。
俺は、アイツの事を、何も知らない。
何かある奴だとは思った。
初めて会った日、あの目を見て、何故か胸がザワついて、気づいたらアイツを引き止めて、抱いていた。
欲しいものなんて、何でも与えられた。ものも女も金も。親の愛情以外は。
だから、今更欲しいものは何もなくて。そんな時に見つけた、俺のものにならない女。
奴隷のくせに、諦めたような、全てを他人事のように見る女。
小さい体を揺さぶる度に、体だけじゃなくて、どんどんこいつの全部が欲しくなって、俺だけのものにしたいと思うようになった。
他の女に反応しなくなり、勃たなくなって、抱けなくなったのは、この時からだった。
アイツが笑う顔が見たい。他にも色んな表情が見たい。言葉が聞きたい。
名前を呼ばれると、心臓が痛いくらいに反応する。
この感情がなんなのか、さっぱり分からなくて、機械に聞いて分かる。
好きなんだと。
最初は興味だけだった。初めて見る自分の周りにはいない女。
ただ、それだけだったのに。
今はどうだ。数分一緒にいれないだけで、この腕の中にいないだけで、気が狂いそうになる。
頭を撫でた時の、あの恥ずかしそうにニヤける顔が見たい。
蕩けるような顔で気持ちよさそうに感じる、可愛い顔が見たい。
名前を呼ぶ高くて細くて、透き通るみたいな可愛い声が聞きたい。
「抱きてぇ……」
呟いて、自分の手の平を見つめる。
スマホを操作する。
「稲瀬美颯を調べろ。大至急。1日しか待たねぇ」
それだけ言って切る。
次に姉にかける。姉は旦那と2人で調べると言って電話を切った。
嫌な予感がして、人生で少ない回数の不安というものを経験する。
ガキの頃に感じた時以来だ。
それから数日して、やっと美颯の場所が発覚した。
思ったより時間がかかった。
苛立ちが物凄くて、明らかに怒りが膨らむのが自分でも分かる。
「美颯……」
俺は支度をして、部屋を出た。
アイツは、俺だけのものだ。
誰にも、渡さない。
用意された車に乗り込む。
「じゃ、ちょっと飛ばすから、しっかりシートベルトしてね」
運転席でいつもの胡散臭い笑顔を貼り付ける義兄を一瞥し、シートベルトをつける。助手席にはもちろん姉貴。
いつもの柔らかい顔ではなく、厳しい顔をしている。
だいたいの情報を聞きながら、俺は怒りのゲージが自分の許容範囲を超える感覚を覚える。
こんなに怒りが膨らむのが初めてで、拳が自然と握られる。
あんな小さくて弱い体が、自分より遥かに力の強い男の暴力に耐えている。
頭がおかしくなりそうだ。
見知らぬ場所を走る車が、やっと停まる。
なかなかに大きな家。まぁ、俺の実家からしたら、大きいとは言い難いが。
車を飛び出ると、後ろから二人が走ってくる音が聞こえる。
はやる気持ちと怒りを抑える。
義兄がインターホンを押す姿をただ見つめる。
女の声がし、扉が開かれた。
年配の女と、二十代くらいの女が現れる。
義兄が話をする間、俺は若い方の女の視線に気づく。
明らかな好意を含んだ顔。
気持ち悪い。自分がいい女で、価値があると思っている馬鹿な女。
ふっと笑いが出る。
それを良い風に取ったのか、頬を赤くして微笑む。
虫唾が走る。
美颯を玩具にしていた女。
ただ殺すだけじゃ、つまらない。
殺してくれと言いたくなるくらいになればいい。
まぁ、それを言わせるのは俺じゃないけど。
俺より怖い人間は、今、胡散臭い笑顔を浮かべる男の方、だから。
俺が唯一信用する男。姉貴の旦那で、義兄。この男の怖さは、俺ですら計り知れないから。
部屋へ招かれ、俺は周りを確認する。
怒りを抑え、擦り寄る馬鹿な女をチラリと見る。相変わらず頬を赤くして、上目遣いで見上げる。
武器にもならない誘い方。こんな誘い方なんて、馬鹿でも出来る。
振り払って走り出したい衝動を抑える。
早く。美颯。美颯。美颯。美颯。美颯。
義兄の指示を待つ間、俺は美颯の兄の姿を探すが、ここにはいない。
自分でもここまで忍耐があるとは思わなかった。美颯の為だと思えば、俺は何でも出来る気がしていた。
好きすぎだろ。自分でも呆れるくらい、好きで好きで、仕方ない。
隣で何か話している馬鹿女に適当に返事をしていると、義兄が立ち上がり、ある部屋の壁に手を当てて、俺の方を向いた。
女達の顔が明らかに青くなるのが分かった。
「奏夢君。さぁ、ひと暴れしておいで」
壁が少し開く。そこから階段が現れた。
俺は立ち上がると、馬鹿女が俺の腕にしがみついてきた。が、そんなもんはどうでもよかった。
女の首を片手で締める。苦しさに醜い顔が歪む。
「いつまでも俺に触ってんじゃねぇよブス。気色悪ぃんだよ、離れろ。殺すぞ」
涙を流して崩れ落ちる女を見ることなく、俺は階段へと向かう。
「この下にいるはずだ。もしかしたら、彼もね。殺しちゃ駄目だよ? 俺にも楽しみは取って置いてね」
胡散臭い笑顔が、嫌な笑顔になる。
敵に回すのは厄介な相手だとつくづく思う。
俺は走って階段を駆け下りる。
暗い廊下を早足で歩く。
何か、音がする。
呻き声と、何かが当たる音。
その音が一段と大きくなる部屋を、勢いよく開ける。
目を疑った。
ありえない光景に、一瞬言葉を失い、体が固まる。
「な、んだ……これ……」
「っ、お前、誰だよっ……」
男になんて目がいかない。
ぐったりと床に横たわる裸の女。細くて小さい体は、より細く、小さくてなっていた。
体中に痛々しい痣と傷。床に散らばる注射器や、暴行に使われたであろう器具が散らばっていた。
目の前が真っ赤になる。自分で自分が止められないくらいの衝動が、体をつき動かした。
鉄の棒を振り上げて襲いかかる男の腹を、足で蹴りあげる。後ろに倒れた男に間髪入れずに蹴りを下ろす。
何度も体中に蹴りを入れて、腕を捻りあげてうつ伏せにする。
「ぅ……ぁ……」
「なぁ、どっちの腕の方が多く美颯を痛めつけた? 腕一本くらいじゃ、足りねぇけど、まぁ、いっか」
「ゃ……やめっ、やめてくれっ! た、たすけっ」
泣きながら言う男に笑いすら込み上げてくる。
「お前は、美颯の言葉を聞いたか? 助けてって、やめてって、言わなかった? 思わなかったとでも? 何で俺がお前なんかの頼み、聞かなきゃいけないわけ?」
「やめっ……」
耳を塞ぎたくなるくらいの音が部屋に響き、男の叫び声がした。
「うるせぇな。腕の一本くらいで騒ぐなよ。まだ一本あんだから、俺はまだまだ足りねぇんだけど、これで終わってやるんだから、ありがたく思えよ。まぁ、こんなもんじゃ済まさねぇけどな」
のたうち回る男から離れ、俺は美颯の元に歩み寄る。
焦点の合わない虚ろな目。
上着を掛けてやり、上半身を起こしてやる。
何も分からないという顔をして、天井を見ている美颯のだらしなく開いた唇が、動くのが分かる。
「美颯……俺が、分かる? みはっ……」
「か、なめ……かな、め……かなっ……たすけ……助けてっ……奏夢……奏夢……」
涙が流れ、目はまだ虚ろに宙を見ていて、意識も朦朧としている。なのに、俺の名前を呼び続け、助けてと願う。
目ではない、どこかで俺を見て、感じて、求めてる。
愛おしくて、美颯を抱きしめる。
体がビクリとするのを、構わずに抱きしめ続ける。
背後でカランと音がする。
見なくても、何が起こるのかが分かる。
振り返ると、鉄の棒を片手で振り下ろす男の姿が見え、咄嗟に美颯を抱きすくめる。
背中と頭に衝撃が走る。
こめかみに血が垂れる感触。意識はまたある。美颯には当たらなかった事にホットして、振り返ると、男と目が合い、青くなって震える男が棒をまた振りかぶる。
しかし、その棒が俺に当たることは無かった。
「ちょっと、遅くなったけど、大丈夫?」
「まぁ、生きてるから、大丈夫だ」
「美颯ちゃんっ! 奏夢っ!」
スーツの男達を引き連れた姉貴が見え、俺は美颯をもう一度見た。
眠ってしまったのか、静かな寝息を立てている。
その額にキスをした。
やっと美颯が戻ってきた感触。安心する。
美颯が俺に色んな感情をくれる。
早く目を覚まして、俺を抱きしめて。
俺も頭を撫でるから。
早く、名前を呼んで、キスをして。
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