第20話

家に着いた後、私を見た二人の顔が何だか懐かしかった。



まるで幽霊でも見たかのような、驚きと困惑が入り交じった顔。その後すぐに憎悪の顔へと変わる。



他人の母親と他人の姉。そして他人の兄。



私の本当の家族である父は、もういない。



「どうしてあんたが、ここにいるのよっ!?」



「当たり前みたいな顔で帰ってくるなんて、ほんとにどこまでも図々しい」



兄が私を歪んだ気持ちで見ている事に気づいた母が、私を嫌っている姉と一緒に、今の寮へ私を入れた。



私からすれば、ありがたい事だった。兄と母、姉から逃れられたんだから。



気に入らない事があると、母はヒステリックになり、容赦なく私に当たり、姉もまた、私を玩具のように扱った。



姉は母に似て美人だし、兄もまた綺麗な顔をしていた。



最初に姉が私に手をあげたのは、姉の彼氏が私を可愛いと褒めたから。



ただ、それだけだった。



別に口説くとか、好きになったとか、そういうのではなく、ただ子供を可愛いと言っただけだったというのに、その日から私は姉の玩具になった。私がまだ10歳の時だった。



兄は昔から優しくて、家族の中で唯一私を笑顔にしてくれた。私は兄が大好きだった。



でも、私が中学に上がった頃、兄の行動は突然異常なものになってしまった。



最初は、視線が気になり始めた。



舐めるような、ねっとりとした視線が毎日毎日付きまとう。たまに触れる手も、妙に生々しくて、気持ち悪いと初めて思った。



クラスの男子を格好いいと言えば、僕の方がお前を思っているのにと怒鳴られ、少しでも逆らうような行動をとれば、殴られるようになった。



そして、ついに兄が私を監禁した。



地下にある物置部屋の隣にある空き部屋。そこが私の場所になった。



足首に繋がれた足枷に、鎖付きの首輪。



何もかもを管理される生活。そして、兄が怒ると手が付けられないから、母も姉も何も言えなかった。もちろん、私も。



兄は体を求める事はしなかった。それがせめてもの救いだった。兄いわく、綺麗で無垢な私を穢すのは、自分ですら許せないらしい。



それが二年も続いたある日、心身共に疲れ果て、諦め切っていた私を、母と姉はこっそりと逃がした。



あの人達からすれば、私を逃がしたというより、兄を私から守ったという方が正しい。



兄を誘って、たぶらかして、淫乱女。あの人達が、最後に私をそう罵った。



違うと否定しても、聞いてもらえるわけがない。



そうやって、私はこの家から解放された。



なのに、兄の執着はこんなにも強かった。



また、アレが始まる。



「さぁ、行こうか……僕の可愛い美颯……」



優しく甘く囁くのに、握る手の力は縛り付ける縄のように固く、強かった。



重い扉が開いて、そして閉まる。



絶望と恐怖。狂気の笑顔は、私を暗い部屋へと誘っていく。



「もう……逃がさないからね? 今度逃げたら……次は殺しちゃうかもしれないよ……」



あの部屋に入って、あの頃と同じように足枷と首輪が目に入り、寒気がする。



冷たい鎖の感触、あの頃の記憶が蘇り、喉が震え、体が震える。



暗くて、寒くて、痛くて、辛くて、悲しくて、寂しくて、怖い。



まるで牢屋にいる罪人のよう。



私が何をしたっていうんだろう。



「さぁ、まずは外の汚い空気を洗い流さなきゃ。僕が綺麗にしてあげるからね」



私の制服に手をかける。



私は嫌で仕方なくて、兄の手を叩いてしまう。すぐにハッとして、兄を見上げる。



驚いた顔から、みるみる狂気の顔に変わる。



「まだそんなくだらない抵抗を……。外に出たからこんなにも愚かな子になってしまったんだね。大丈夫だよ、僕が全部元にもどしてあげるから……ね?」



やっぱり、私はこの人からは逃げられない。



もう、奏夢にも、会えないんだ。



素直に従えば痛い思いはしない。そう分かってはいるのに、奏夢の温度、感触、声、何もかもに慣らされてしまった体は、拒否してしまって、どうしても兄の手を取れなくて。



ため息が頭の上から降ってくる。



―――パンッ。



また頬が叩かれる。



先程より強い力で。



よろけて、床に座り込んでしまう。



「……何でお前はそんなに愚かな子になったんだ……あんなに可愛くて、従順で、僕だけのものだったのに……まさか……」



無理やり制服を破り開かれる。



ボタンが飛び、肌が露わになる。



「……何だ……これは……」



まだしっかり残っている、奏夢が付けた赤い印が体中に散りばめられている。



それを見て、涙が滲む。



奏夢に、会いたい。



あの優しく大きな手で、頭を撫でて、甘く囁いて欲しい。



そんなに長くいたわけじゃない。なのに、彼の存在は、あっという間に私を虜にしてしまっていた。



会いたい。



でも、会えないんだ。



「どこまでも汚いっ……僕が大事に大事に大事に大事にっ! 僕だけを見て、僕だけを求めて、僕だけの美颯だったのにっ……」



肩を掴む力が強くて、痛くて、骨が軋むような気がした。



痛くて、怖い。



「こんな痕をつけられて……穢れてしまったんだ……僕の美颯……。綺麗にしなくちゃ。僕の可愛い美颯。綺麗に……綺麗に、しなくちゃ……」



抵抗なんて意味がなくて、あっという間に裸にされる。



「こんな所にまで……美颯は……まさか……もう、全てを失ってしまったか……淫らな、女に……なってしまったんだね……」



私ではない何かを見つめるような遠い目をして、憎そうに顔を歪ませる。



髪を掴まれる。痛みで涙が零れた。



「僕が大事に育てたのに……大切にしてきたのに……勝手に人のものになって……」



悪い子だと言って、また殴られる。何度か平手で殴られ、拳に変わる。



体中を殴られ、蹴られる。



もうだいぶその痛みを忘れていたはずなのに、一瞬であの頃の恐怖が蘇る。



気が済んだのか、肩で息をしながら私を見下ろす。



ぐったりしている私を抱き上げ、バスルームへ向かい、痛む体を真っ赤になるくらいに擦られる。



痛みに痛みを重ねると、不思議と麻痺して来るのか、痛みがなくなる。



分からなくなるのだろうか。



頭が働かない。



もう、どうでもいい。私に自由はなくなった。



それでも、頭に浮かぶのは奏夢の顔だった。



また私は、希望を捨てられずにいる。



ほんとに、愚かで、バカな女だ。



足枷と首輪をつけられ、私はその部屋にまた舞い戻る。



私に自由をくれる人は、もう、どこにもいなくなった。

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