第17話

彼女にならないかと誘われてから、返事すら出来ず、今日は鳳月君がいない。



返事と言っても、どうしていいやら。



とりあえず、受けられる時に授業を受けないとと思い、授業を平和に受け、昼休みになると、徐々に気になり始める。



呼び出しがない。



平和に授業を受けてしまっていた。



ほんとにどうしたんだろう。無駄にソワソワしてしまう。



とりあえず、様子だけと思い、彼の教室へ向かう。



少し覗く程度で、コソコソとしていたら、後ろから耳元で声がした。



「奴隷、ちゃん」



「ひゃぁっ!」



必要以上に驚いてしまった。振り返ると、前に声をかけられた人だった。



「ひゃぁだって、かわい〜。奏夢に会いに来た? アイツ今日いないよ。風邪で休み〜。つか、アイツも風邪とかひくんだな。普通に人間だったのか」



凄く失礼な事を言われていますよ、ご主人様。



でも、確かにあの人は風邪とかに縁がなさそうなのに。意外だ。



「お見舞い、行くの? 奴隷ちゃんは、行かなきゃかな?」



言われ、既に行こうとしていたので、はいと返事をし、教えてもらったお礼を言い、私は教室へ戻って、自分の荷物を持って早退する。



歩き慣れた道を進む私の手には、コンビニの袋が下げられている。



正直買うか迷った。



あの人はお金持ちだろうから、家に食材などがちゃんと揃ってそうだし。



抱かれるだけで通った場所だから、そんな細かく見た事はなかった。



一人で暮らしている事しか知らない。



「一人で、大丈夫かな……」



なんだかんだで面倒くさがりなのは知っていた。ボタンを止める事すら面倒くさがったりするから、たまにご飯を食べさせる事から、お風呂まで全てをやらされた事もあったくらいだ。



そんな人が、風邪で自分の事をちゃんとしているとは思えない。



自然と早歩きをしていたようで、あっという間に着いた。私の息は少し上がっていた。



オートロックを外す為、ロビー前のインターホンの番号を押す。



「はい」



あの人ではない細い声。女性だった。



「もしもし? どちら様?」



「えっ、あ、あの、鳳月君の、お宅で合ってますでしょうか?」



焦って答えたので、ぎこちなくなる。向こうから肯定され、オートロックが解除される。



少し遠慮気味に足を踏み入れる。



心臓が痛い。



やっぱり私は、必要なかったのかなと少し気分が沈む。



別に女の人がいても不思議はない。だって、あの人はモテるし、彼女の一人や二人いても不思議はなくて。



頭では分かっていても、どこか納得できなくて。



彼女になってって言ったくせに。



何番目の彼女にするつもりだったの。



そんな思いもありつつ、でも、私は奴隷という立場だから、腹を立てるのもおかしな話で。



葛藤していると、部屋の前についてしまった。



深くゆっくり深呼吸をして、インターホンを押す。



少しして、扉が開く。



あまりに綺麗な人が出てきて、つい見惚れてしまう。



同じ女という事が恥ずかしくなるくらい。



「綺麗……」



「あら、ありがとう。あなたも可愛いわ」



つい口に出していた。可愛いと言われ、照れてしまう。



こんな綺麗な恋人がいるのに、奴隷だからというだけで私と体を重ねていたのかと、考えると腹が立ってきた。



酷すぎる。最低だ。



「わざわさごめんなさいね。稲瀬さん、だったかしら。今丁度昼ごはん食べさせたばっかりなのよ。上がってといいたいんだけど、うつしたら悪いから、今日は……」



「美颯っ……」



頬を赤くして、辛そうに息をする鳳月君がフラフラと出てくる。



「こらっ、奏夢っ! 起きちゃ駄目でしょ」



「美颯……」



止める恋人が見えていないかのように、私に近づき抱きしめられる。



「美颯、美颯っ……」



何度も名前を言われ、キツく抱きしめてくる。少し苦しくて身動みじろぎしながら、鳳月君の体に触れると、熱くて熱が高いのが分かった。



恋人に止められながらも、それを振り切り私にしがみつく。



「まったく……ごめんね。悪いんだけど、あなたも入ってもらっていい?」



「は、はい……おじゃまします……」



「ほら、奏夢、ちょっとだけ彼女を離して。抱きしめたままじゃ、動けないでしょ」



嫌だと子供のように首を振る鳳月君の背中に手をやり、私はその大きな背中を撫でる。



「鳳月君、一緒に行くから、ね?」



「美颯っ、帰んないで……」



「帰らないから、とりあえず入って横にならなきゃ」



納得したのか、スっと体を離して、その代わりに私の手をぎゅっと握る。



「久しぶりにこんな甘えた奏夢を見たわ。余程あなたが好きなのね」



凄く申し訳ない気持ちになった。



こんな綺麗な恋人を差し置いて、私なんかが。凄くいたたまれない。



鳳月君をベッドまで誘導して、私もベッド脇に座る。手は強く握られていて、離してくれない。



とりあえず買った物を渡し、私はただベッドへ横になって目を閉じた鳳月君を見ていた。



荷物を起き終えたのか、戻ってきた女の人は、私の隣に座る。



「自己紹介まだだったわね。初めまして、奏夢の姉の奏美かなみです。よろしくね」



お姉さんだと言われ、顔が赤くなる。



勘違い、だった。



勝手に勘違いして、勝手に腹を立てて。いや、こんな綺麗な恋人を蔑ろにって思ったから、腹が立っただけだ。そう。そうだ。



別に傷ついたとかじゃ、ないし。



そんな立場じゃ、ないし。



別に私は、鳳月君の事好きとか、分からないし。



色々グルグル考えて固まる私に、お姉さんは少し意地の悪い顔をした。少し鳳月君に似ている。



「もしかして、彼女とか、思った?」



「……あ、はい……」



「クスクス、姉で、安心した?」



何でだろう。ピクリと体が反応する。



安心、なんて……。



「まさか、自覚なし? あらら、可愛い〜」



いやいや、そんな馬鹿な。



だってこの人は、主で、勝手で、強引で、わがままで、すぐ怒るし、エッチな事ばっかりするし。



でも、優しく頭を撫でてくれる。可愛いって言ってくれる。気持ちよくしてくれる。



私を、選んでくれた。



胸のモヤモヤが晴れた気がした。すとんと何かがハマった気がした。



「美颯……美颯……き、好き……だ……」



か細い声。普段からは想像できない弱々しい声。



「おー、熱烈な愛の寝言だわね。愛されてるのねあなた。若いっていいわね〜」



顔が赤くなるのが分かった。



「そうだ。これは、多分本人も気づいてないんだろうけど。この子ね、昔から自分の気に入った物が出来ると、それだけをずっとずっと大事にするの。それはもうこれでもかってくらいね。でも、今まで女の子にそれが向いた事なかったから、今回はちょっと意外」



高級そうな家具や電化製品が並ぶ部屋に、少し色あせたモノ、懐かしさを含む物が置いてあるのは、多分そのせいなのか。



「女遊び激しくて、昔から派手に遊んでたみたいだし、彼女とか特定な子がいた事がなかったから、ちょっと落ち着いてくれるのは、姉として安心だわ」



愛おしそうに鳳月君を見る目が、凄く優しい。



こんな優しいお姉さんがいて、羨ましい。私は、こんなに優しくされた事は、ないから。



「だからってわけじゃないけど、ちょっと覚悟しといた方がいいかな。予想だけど、多分凄く重いわよ、この子。四六時中離れないかもよ?」



楽しそうに笑いながら言ったお姉さんは、少し幼い顔をした。



何かあったらと連絡先をもらって、お姉さんは帰って行った。



私の手を握ったまま眠る鳳月君の前髪に、そっと触れてみる。



「柔らかい、サラサラ……」



苦しそうな顔がだいぶマシになって、落ち着いた寝息になった鳳月君を見つめる。



好き、か。



私の気持ちが〝好き〟に当てはまるのかは分からない。



でも、もう少しだけ、この人のそばでその問題を解いていくのもいいかもしれない。



私の頭を優しく撫でて、気持ちよくしてくれるこの大きな手が、好きだから。

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