第七話 失われゆく大切なもの
「さて、俺の遠い故郷では『仏の顔も三度まで』という諺がある。だが、俺はそれほど慈悲深くはないからな。だから警告は一度きりだ」
いつの間にか、銃とナイフはメレクの手元から消えており、そして、今度はどこからか取り出したペンほどの大きさの物を彼は手にしていた。
それが何の道具なのか、ルアイリには理解できなかった。
メレクは先端の黒いキャップを外すと、キュポーンという心地よい音が夜空に響き渡る。
そして、メレクはルアイリの顎をがっしりと掴み、先ほどのペンと思しき道具で彼の顔にキュッキュッという音を立てながら何かを書き込んでいく。
ルアイリは抵抗しようと、言葉にならない声を上げつつ顔を動かそうとするが、魔力の欠乏と相まって力が出ないことを差し引いても、まるで万力で締め付けられているかのようにびくともしなかった。
奇妙な鼻歌を口ずさみながら、メレクはご機嫌にペンでルアイリの顔に落書きをしていく。
やがて満足したのか、メレクは振り返り、背後に控える従者の少年の目の前に、無残に落書きされたルアイリの顔をぐいっと近づける。
「ぶっふぅ!、く、くふぉ……、ゲフォ!ゲフォ!」
従者の少年は必死に笑いをこらえようとするが、頑張りすぎて咳き込んでしまう。
「おや風邪気味かい? それはいけない」
メレクは少年を縛っていた紐を解いてやり、どこからか取り出した水筒を差し出した。
緊張して喉が渇いていたのか、少年は貪るように水を飲む。
するとメレクは、少年の肩を軽くツンツンと突っつく。
少年が視線を戻すと、そこには再びルアイリの顔が迫っていた。
お約束と言わんばかりに、少年は口に含んだ水を勢いよく吹き出してしまう。
この極寒の中、水浸しになったルアイリは、憮然とした表情で固まっていた。
メレクは、どこからか取り出したタオルでルアイリの顔を拭ってやり、彼を縛っていた紐も解いてこう警告した。
「二日だ。二日以内に必ず教会で解呪してもらえ。これは放っておいても半日ほどで消えるが、二日を超えると後々大変なことになるぞ」
彼は一息置いて続けた。
「そうそう、言うまでもないが要求は一つ。全員仲良くとっとと帰れ、だ。分かったな。忘れずに伝えろよ」
そう言い終えると、メレクは立ち上がり、警戒するそぶりも見せずに背を向けて立ち去っていく。
「忘れるな。警告は一度きりだ」
ルアイリは思った。
警告とは別にこの顔の落書きは何の意味があるのだろうか、と。
空はすっかり暗くなり、低い雲の隙間から星が瞬く夜道を、メレクは一人考えにふけりながら歩いていた。
思い詰めたように、彼はふうと大きく白いため息を空に向けて吐き出し、そして、どかりと木の幹に拳を打ち付けた。
「クソォ! あの女、本当に聖女かよ、冗談じゃねぇ!」
メレクは項垂れるようにして地に膝をつき、その場に沈み込む。
脳裏には、先ほどのアティーファの言葉が響き続けていた。
『まぁ! 頭皮がお寒くいらっしゃるの? オーーッホッホッホッホッ!!』
(*言ってない)
彼はそのまま力なく地に頭をつけ、体を震わせた。
「ハゲる……、ハゲるのか……!?」
メレクは天を仰ぎ、両手を広げ、まるで運命に問いかけるように叫ぶ。
「俺の心は、……もうとっくに禿げ上がっているっていうのに!!」
他人が聞けば驚くほど意味不明な、その心からの叫びが、悲壮感を帯びて夜空に響き渡った。
木々の葉が、水の流れを思わせるようなサラサラという音を奏でている。
流れゆく雲間から、星々が瞬いては消え、また姿を見せる。そんな静寂の中で、彼の迷いと共に時が過ぎ去っていく。
「いや……逆に考えれば、聖女なら何とかなるんじゃないのか。そうだ。切られたちんこも生えるってんなら、髪くらいは生えても良いはずじゃないか。別に頭からちんこ生やそうってんじゃないんだ」
やがてメレクは一つの決意を胸に秘め、立ち上がった。
「……絶望するにはまだ早い」
でもまぁ、明らかにメレクは混乱していた。
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