第四話 尋問

日が山間に沈んでまだ時間は経っていないが、藍色の空がその名残を示す以外、森の中はすっかり暗闇に包まれていた。

迷いなく山中を進むメレクは、状況を再認識する。

最重要なのは言うまでもなく、あの二人だ。

佇まいから、彼らが貴族であることは一目で予想された。

しかし、貴族が護衛も連れずに、呑気に散歩という訳でもないだろう。


そもそも、あの老人の魔道具に対する認識は少しおかしい。

彼は事も無げに加熱の魔道具に魔力を充填すると言ったのだ。


通常、この種の魔道具は製作者の貴族が利益を独占するため、自分以外に魔力を充填できないよう作られている。

その常識すら知らない様子が、逆に相当上位の貴族であることをメレクに推測させた。


そして、あの作り笑顔が胡散臭くいけ好かない女の正体については、ある予測が付くが今は考えたくなかった。

ただ彼の中で、嫌な予感だけが警告のように繰り返されていた。


メレクは辺りを見回し、人が通るのも難しそうな獣道を見下ろせる岩の上に腰を下ろし、新たな客人を待つことにした。


多少春めいてきた日中と打って変わり、夜の山中はまだまだ底冷えがした。

吐く息の白さが、寒さを一層際立たせる。

空を抜ける風の音が不気味に響き、背筋に冷たい寒気が走った。


この場に腰を下ろしてから、どれくらい経っただろうか。

風に揺れる木々の葉擦れの音に、微妙にリズムの外れた音が混ざり始める。


やがてそれに混じって、かすかな人の話し声が漏れ聞こえてきた。


この時間帯でなくとも、新たな二人の客人はレオたちと同様に、明らかに場違いだった。

一人は白を基調とした高価そうな外套で身を包んだ、育ちの良さそうで顔立ちの整った二十代前半の金髪の青年で、その後ろには、従者と思われる十代半ばの少年が、荷物を担いで主に従っていた。


「ルアイリ様、やはり一旦戻りましょう。もうすぐ何も見えなくなります」

「小屋があるとされるのはこの辺りのはずだ。無理はしない。確認だけで戻っても良い」


この会話を聞き取っても、あの二人が誰の客なのかは分からない。

しかし、メレクは考える。自分に対する追手だとしたら、こんなにのんびりと遠足気分で従者を連れてやって来るだろうか、と。


ルアイリと呼ばれた貴族の青年は、手に持ったランプで自分と従者の足元を照らしながら、慎重にメレクのいる方へ進んでくる。

明らかに山歩きに慣れていない様子だった。


「そこ足元、木の根が張ってるよ。気をつけて」

「ああ、すまない……って、な、何だ、誰だ!」


彼はランプをメレクの方にかざすと同時に、従者の少年を背に隠すように庇った。

従者を守ろうとする貴族の青年の態度に、メレクは多少の感銘を覚えた。とはいえ、自分のすべきことは何も変わらない。


メレクは銃を向け、躊躇なくルアイリに向けて引き金を引いた。

バンッという鋭い発射音が寒気を裂き、コォという残響音が寒空に散っていく。


それは実に奇妙な光景だった。


撃たれた反動でよろめきながらも、ルアイリの胸元で弾丸は魔力障壁に阻まれ、まるでコマのようにくるくると回っていた。

やがてポロリと地面に落ち、石に当たっては跳ね、力尽きるように止まった。


それを合図にするかのように、ルアイリは急激な吐き気に襲われ、全身の力が抜けて膝をつき、そのまま地面に倒れ込んだ。

典型的な魔力欠乏の症状である。

平衡感覚の喪失、そして乗り物酔いのような激しい吐き気に耐えながら、ルアイリは無様なうめき声を必死に抑え、目の前にいる男――メレクを睨みつける。


メレクは岩に腰掛けたまま、冷ややかにルアイリたちを見下ろしていた。



動けないルアイリを放っておいて、メレクは先に従者の少年を、どこからか取り出した紐で木に括り付けた。


「痛くはないか? 話が済めば解放するから、少しの間我慢してくれ」


従者の少年は怯えからか、先ほどから何も言わない。メレクにとっては、下手に騒がれるよりずっと好都合だった。


「さてと」


メレクはルアイリを起こし、木に寄りかからせると、後ろ手を軽く紐で縛った。

しばらくはまともに動けそうにないため、木に括り付けることはしなかった。


「少しは収まってきたか? 動けなくても話ぐらいはできるだろう」


ルアイリは苦渋に満ちた表情でメレクを睨みつけるが、それが強がりであることは明白だった。

目眩や吐き気のせいか、顔から脂汗が吹き出している。


メレクはルアイリの正面に膝をつき、静かに語りかけた。


「聞きたいことはシンプルに一つだ。お前たちは誰を追っている」


ここでいう「お前たち」とは、従者の少年を含めたこの二人という意味ではない。

メレクはまだ他に仲間がいるだろうと見当をつけていた。

装備を見ても騎士団のものとは思えない。

もっとも、他領で許可も得ずに勝手に動いているなら、堂々とそんな装備でうろつくことはないだろう。それでも、装備は明らかに戦闘にも耐えうるものだ

ただの金持ちの道楽には見えなかった。

何か目的があって動いているなら、仲間がいても不思議ではないとメレクは考えた。


一拍置いても、ルアイリはメレクの質問に答えず、視線をそらし、口を固く引き結んだままだ。


「対象は誰だ。女か。ジジイか」


――それとも俺か。


メレクは、あえてその最後の問いを口にしなかった。

このような迂闊な者が、自分に対する追手であるとは思えなかったからだ。

ルアイリは沈黙を続け、それを答えとした。

簡単には口を割らないという意思表示のつもりなのだろう。

この状況で交渉を持ち出せない程度では、たかが知れているとメレクは彼を低く評価した。


「これは持論だが」


メレクはゆっくりと立ち上がり、二人を見下ろせる位置で木にもたれ掛かった。


「俺は、暴力に屈しない人間などいないと思っている。いたとすれば、それはやり方が間違っているのだろう。例えるならばこうだ」


そう言うと、メレクは従者の少年に銃を向ける。

少年は恐怖で息を呑みながらも、声を上げることなくじっと耐えている。

口を閉ざすことがこの状況で最善であると心得ているのだろう。賢い子だとメレクは感心した。


「俺はこう言う。『従者の命が惜しければ話せ』ってな。お前は逃げ道を探すだろう。人質を取られているのだから、仕方がない、と」

「やめろ……。その者は関係ない」ルアイリは声を絞り出す。

「心配するな。子供を傷つけたりはしない」


メレクは銃を肩に掛け、どこからか取り出したナイフで目の前の細い枝を切り取った。

ルアイリは目を見張った。

薄く金色に光る刃が、何の抵抗もなくスッと枝を切り裂いたのだ。

彼は即座に、それが高度な技術で作られた魔道具だと感じ取った。

そして同時に、冷たい寒気が背筋を走る。


目の前の男が言った『子供を傷つけない』という言葉は、裏を返せばルアイリに対してなら構わないという意味でもあるのだ。

そのナイフが自分に向くことは容易に予想できた。


例え巨大な岩であっても、揺らがせることができれば高台から落とせるものだ。

メレクの目には、このルアイリという青年が精神的に未熟に映っていた。

少し揺さぶれば、簡単にほころびが出るだろう。


左手に持った枝に、メレクはナイフの刃を当てる。

音もなく、枝はスッと切り落とされる。

彼はそれを二度三度繰り返し、その美しい断面をルアイリの方に向けた。


「このように綺麗に切断された部位なら、回復魔術で簡単に治療できる。後遺症も残らないだろう。だが――」


メレクは足元に落ちた枝の切れ端を、勢いよくブーツで踏みつけた。

ルアイリはビクリと肩を震わせる。


「切断部分がぐちゃぐちゃに破損していれば、修復は不可能だ」


それを見たルアイリは、自分が今から辿る先を予想し、みるみるその顔を青ざめさせていく。


「だが、教会で再生術を受ければ元に戻るだろう。貴族ならば必要な寄進も問題なく払えるはずだ」


それを聞いても、ルアイリの表情が明るくなることはない。

結局のところ、痛く苦しい拷問を受けるという事実は何も変わらないのだ。

メレクはゆっくりとナイフをルアイリに向け、冷酷に告げる。


「今からお前のちんこを切る」

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