第四章

第17話

洸輝が抱きしめるのをやめぬまま、客と言われた男の人の方に顔を向け、少し眉を潜めた。



「……また勝手に入って来て、なんの用?」



洸輝が嫌な顔をするような人がいたなんて、知らなかった。



そもそもよく考えたら、私は洸輝の事を何も知らないような気がする。家族、友人はもちろん、好きだとか人だとか、嫌いな人だとか。



「またそんな言い方してー。お兄さんに向かってそんな冷たい事言わないでよー」



お兄さん? 洸輝、お兄さんがいたの?



洸輝は私を隠すかのように私の前に立った。



「それより、その子洸輝の彼女?」



「あんたには、関係ないだろ。見るな、興味を持つな、同じ空気を吸うな」



えらく嫌われているんだなと思った。



私に関わる人を嫌うのは知っていたけど、それ以外でこんな洸輝を見るのは初めてだった。



「空気は吸わなきゃ死ぬじゃん。興味も持つでしょ。なんてったって、まさかあの洸輝が嫌われたくなくて泣きそうになるくらい、女の子に執着するなんて貴重だし」



静かな怒り。顔は見えないけど、そう感じた。洸輝は明らかに怒っている。しかも、お兄さんはわざと洸輝を怒らせているように思えた。



でも、あの洸輝ってなんだろう。彼の前での洸輝は、どんな姿に写っているんだろう。



知りたい。洸輝の他の顔が、知りたい。そう思った。



「どーも初めまして。俺、洸輝の兄の洸弥こうやです。って言っても、腹違いだけど」



腹違いの兄。それだけで、洸輝の家庭事情の複雑さが見て取れた。



素早くキッチンの前まで移動して、兄――洸弥さんは私に悪戯っぽい笑顔を向ける。



「で? 何の用?」



ありえない程に迷惑そうな顔をして、洸輝は洸弥さんに質問をする。



「そうそう、昨日帰国してきたから、はい、お土産〜」



「いらない」



「酷っ! そう言わないでさぁ、貰ってよー。何なら彼女さんもよかったら食べて」



紙袋を持ち上げて見せ、それをテーブルへ置いた。



「後、父さんが困ってたけど、それってその彼女さんのせい?」



突然私の事を言われ、びっくりする。



私のせい? どういう事?



そう聞こうとした私の言葉が出る事はなかった。



「何度言えば理解するんだ? あんたには関係ない」



「はいはい、そうですか。でもまぁ、俺に関係ないのはいいけど、その子は違うんじゃない? ちゃんと話してあげてる?」



話すって、何を話すのか。何もわからず洸輝を見るけど、洸輝と目が合うことはない。



洸輝は洸弥さんを睨みつけている。



「まぁ、もし別れる事になっても、愛人くらいにはなれるんじゃ……」



そう言いかけた時、洸輝が一瞬で洸弥さんの元へ詰め寄り、胸倉を掴んでいた。



「いい加減な事ばっか言ってると、その口効けなくなるくらい、グチャグチャにするけど?」



「洸輝っ、ダメっ!」



私は必死で洸輝の腕にしがみつく。



「っ……はいはい、分かったってっ……手、離せって、馬鹿力っ……くるしっ……」



顔を歪める洸弥さんを突き放し、洸輝は洸弥さんを冷たく見下ろした。



「この人は、そんな扱いしていい人じゃない。何も知らないくせに、知ったような口効くな」



冷えた声。そう思うくらい冷たい声だった。嫌悪という言葉が頭に浮かぶ。



「そんなに好きなんだ。そうか。分かったよ。でも、彼女さんの方は……耐えられる?」



面白がっているような笑みを浮かべ、洸弥さんは私を試すかのように見る。



「その様子じゃ何も知らないみたいだね」



「黙れ」



はいはいと両手を顔の横で上げて、降参のポーズをする洸弥さんは、私から視線を逸らした。



「じゃ、お邪魔虫は帰りますよ。でも、洸輝、ちゃんと説明してやらないと、捨てられても知らないよ?」



「二度と来るな」



「じゃ、彼女さんも、またね〜」



何事もなかったような笑顔で軽く手を振り、洸弥さんは帰って行った。



玄関を睨みつけている洸輝の袖を掴み、こちらに顔を向けた洸輝を見上げる。



「何の、説明?」



少し困ったみたいに、少し眉を下げて私の手を優しく包む。



「正直、俺にとってはどうでもいいんだ。渚那以外のものなんて、どうでも……。でも、ちゃんと話す。来て」



手を引かれ、ソファーへ腰を下ろす。



「……俺の家ね、まぁまぁの金持ちなんだ」



何を言うかと思えば、自慢か。いや、洸輝に限って自慢はないか。



「で、俺の立場が微妙なんだけど。俺ね……本妻の子じゃ、なくて、愛人の子、なんだ」



ドラマとかでよく聞く話。本妻と愛人に子供がいて、本妻が愛人の子に、みたいな。



「あ、でも、大丈夫だよ。本妻、洸弥の母親ね。あの人は別に俺に何かするわけでもないし、逆に優しすぎるくらいだし、洸弥もあの通りだし、父親は女にだらしないけど、それ以外は別に普通の人だから。女関係は今は落ち着いてるし、惚れっぽいし愛情が深すぎる人だけど、母さん達は大事にされてるし、本妻ともお互い納得して一緒にいる。特殊だけどね」



そう言って苦笑した洸輝は、私の手を少し強く握り直した。

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