第61話 別荘

「さて、どうしたものか」


 そうアマンダさんが言う。


「私たちには二つの道がある。このまま別荘に向かうか、今のうちに地上を目指すか」

「お兄ちゃんはどうするの?」


 アンリが問う。

 このまま放っておく気かと、若干の避難の色が混じっている。


「ダンジョン内を当てもなく探すのは現実的じゃない。私たちが別荘を目指してるのは知ってるんだ。あのジローが一人で逃げるとは思えないから、切り抜けたら彼も別荘を目指すはずさ。正確な場所を知らなくても、八階層にあるってことは知ってるんだから」

「『あのジロー』って……」

「ん? なんだい?」

「別に……」


 アンリがつまらなそうに、唇を尖らせる

 その気持ちはわかった。

 昨日今日知り合ったばかりの人が、お兄さんのことを知ったふうに言うのが気に入らなかったのだ。

 でもアマンダさんの言う通り、お兄さんならそうすると思う。


「問題は、戦力だね」

「戦力?」と私が尋ねる。

「ジローがいない状況で、またあの規模のダンジョンエラーが起きたら、二人を守り切れる保証がない」


 ゾッとする。

 落ち着いたとはいえ、ここはダンジョンの中なのだ。


「そもそもどうして……。いや、考察は後回しにするべきだね。別荘までは、そう遠くない。そこでジローの合流を待つか、それとも地上を目指すか。二人はどうしたい?」


 アマンダさんが、私とキャスパー博士に問いかけてくる。

 非戦闘員である私たちに意見を仰ぐ理由は、一つだけだ。

 命が危険に晒されているのは、私たちなのだ。


「私は……」


 どちらが正解かなんてわからない。

 本音を言えば、さっさと地上に戻りたかった。

 自分の身の安全のためだけじゃない。

 もちろんそれもあるけれど、それ以上に私が足を引っ張っているせいで、彼女たちまで危険に晒されている現状が耐えられなかった。


「負目を感じる必要はない」


 表情を読んだのか、アマンダさんがそんなことを言う。


「連れてきたのは私の判断だ。君たちは悪くないよ」


 アンリもギンも頷いてくれた。

 でも心苦しさは去らない。

 どちらを選んだところで、私は足手纏いにしかならなくて……。 


「とりあえず……」


 アンリに背負われたままのキャスパー博士が、ボソリと言う。


「着替えたい……」


 その一言で、私たちの方針は決まった。



   *



 アマンダさんが言っていた通り、別荘まではそう時間がかからなかった。


 かなり開けた空間だ。

 東京ドームより広いかもしれない。

 綺麗な湖があり、草木が生い茂っている。

 壁や天井には無数の鉱石が張り付いていて、星空のように煌めいていた。


 さすが初期のダンジョンだ。

 後期ダンジョンでは、低階層でこんなボーナスステージのような場所は存在しない。

 人の成長に合わせるように、ダンジョンの難易度も上がってきている。


 それにここは、忌み地と呼ばれるラストヘイブンだ。

 本来なら取り尽くされていたはずの鉱石が、手付かずのまま残っていた。


(確かにこれは、別荘を建てたくなるかも……)


 そう思ったものの、別荘を見て考えが変わる。

 ほとんどお城だ。

 いくらなんでもやりすぎだった。


「……まさか、寝具は持ち込んでないですよね」

「もちろんあるよ」

「もちろんって……寝具の持ち込みは国際法で禁じられているじゃないですか」

「『ダンジョンパークへの』ね。ここは見ての通り、ダンジョンパークじゃないから」

「…………」


 ヤクザ並みの屁理屈だ。

 そうやって法の抜け道を突くのかと、感心すらしてしまう。


(いや、抜け道とはちょっと違うか。アマンダさんにしか、こんなことできないし)


 普通ならこんな建物、魔物によって壊されてしまう。

 いやそれ以前に、建築することすら不可能だ。

 それができてしまうのは、ここがアマンダさんの縄張りで、魔物が寄り付かないからだ。

 法やルールが、アマンダさんに追いついていない。


(なんかやっぱり、お兄さんと通じるところがあるな……)


 認めたくはないけれど。


 別荘の中は、さすがにシンプルな造りだった。

 調度品なんかは最低限で、それでもダンジョンの中と考えれば、十分にくつろげる空間だ。

 雷羅鉱石を使った照明が、淡く綺麗だった。

 ここが安全地帯というわけではないけれど、少しだけ気を緩めることができた。


(それにしても、どうしてダンジョンエラーが……)


 これまでは、そのことに頭のリソースを割く余裕がなかった。

 でもこうして一息ついてみると、異常性がよくわかる。

 ダンジョンエラーの原因になるようなことは、何一つなかったはずだ。

 それも、あの規模の……。


「考え事かい?」


 アマンダさんが尋ねてくる。


「あ、はい。どうしてダンジョンエラーが起きたんだろうって……」

「言っておくけど、私は何もしてないよ」

「え?」


 アマンダさんが目を丸くする。


「まさか、疑ってなかったのかい? ここは私のホームだ。罠だと思われても仕方ないって思ってたんだけどね」

「あ……言われてみれば」


 アマンダさんが声をあげて笑う。


「君は本当に、人がいいね」

「……褒めてます?」

「もちろん」

「だってさすがに、人為的にダンジョンエラーを起こすなんて……」

「むしろダンジョンエラーは人為的なものだろう。ほら数年前にオランダで、ダンジョンエラーを使った無差別殺人が起きたじゃないか」


 その事件は私も覚えている。

 三十代の男性が、ダンジョンパーク内で刺されて死んだのだ。


 その結果、ダンジョンエラーが起きて大勢の怪我人が出た。

 幸い、死者は最初の殺人事件の被害者だけだったけれど……。

 その犯人が、


「ダンジョンエラーで大勢が死ねばいいと思った」


 と供述したのだ。

 だから結果的に死者が一人だけだったとしても、あれは無差別殺人だ。


(そっか。トリガーさえ把握すれば、ダンジョンエラーを利用できるのか……)


 チラッとアマンダさんの様子を窺うと、彼女は肩をすくめた。


「私にとっても、イレギュラーだったよ」

「……まあ、ですよね」


 キャスパー博士なんて漏らしていたし。


 着替えを終えたキャスパー博士とアンリがやってくる。

 それから少し遅れて、ギンも集まった。


「ボス、言われた通り避難指示を出しておきました」

「ありがとう」


 やっぱりここには、配信端末が常備されていたみたいだ。


「これであとは、ジローを待つだけだね」

「本当に来んのかよ」


 着替えを済ませて元気が出たらしいキャスパー博士が、そんなことを言う。


「どさくさに紛れて、ソロキャンプにでも行ったんじゃねえの」

「それは……」


 そんなわけない、と否定して欲しくて、私はアンリを見た。

 アンリも私を見ていて、向こうも同じ期待をしているのがわかった。


「…………」

「…………」


 結局、何も言えず、私たちは俯くしかなかった。


「あ、いや……冗談のつもりだったんだけど……」

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