第60話 危機感

らちが明かない!」


 アマンダさんがれたように叫ぶ。

 彼女の周囲には、無数の魔物の死骸が、城壁のように積み上がっている。


「別荘を目指すぞ!」


 まさか、さらに深く潜る気なのか。

 地上を目指した方が——

 そう思ったけれど、この魔物たちを引き連れていけば、大勢の人を巻き込むことになる。


「突破する! ギンは春奈を、アンリはキャスを背負え!」


 なぜそこをあべこべにするのかと思ったけれど、きっと体格の問題だろう。

 確かにアンリが私を背負うのは、アンバランスすぎる。

 いちいち疑義ぎぎていしていられる状況じゃない。

 今はアマンダさんの指示に従う他になかった。


 ギンがアマンダさんの元に駆け寄り、ハルバードを差し出した。

 言葉を交わすこともなく、二人は武器を交換する。

 その信頼関係に、場違いだけどちょっと胸が熱くなった。


 戻ってきたギンに、私は背負われる。

 同じように、アンリがキャスパー博士を背負おうとしたんだけど——


「ぎゃあっ!」


 アンリが悲鳴を上げた。


「アンリ!?」


 まさか、この状況でキャスパー博士が、何か仕掛けて——


「こ、この人……」


 アンリが泣きそうな、なんとも情けない顔で言う。


「おしっこ漏らしてる……」

「…………」


 ……うん。

 そりゃこの状況に巻き込まれた非戦闘員だ。

 おしっこくらい漏らす。

 私だって、ちびるってレベルじゃない量をちびっているのだ。


(なんかさっきから、一言も喋らないなって思ったら……)


 キャスパー博士は見た目が少女っぽいから、ギリ許容範囲内。

 実年齢は確か二十六とか七だったと思うけど。


「あ、やっぱオレが……」

「ううん、大丈夫」


 アンリが覚悟を決めたように、キャスパー博士を背負った。

 この状況で、わがままを言うようなタイプではない。


「…………」


 キャスパー博士は全てを諦めたようにされるがままだ。

 それがこの絶望的な状況のせいなのか、いい歳しておしっこを漏らしたせいなのか、私にはわからない。


「行くぞ! 遅れるなよ!」


 アマンダさんの号令で、私たちは一斉に動き出す。

 アマンダさんがハルバードを振るい、道を切り開いていった。


「……すごい」


 アマンダさんは長身だけれど、痩せ型で、体重はギンとそれほど大差ないはずだ。

 それなのに、ハルボードをどれだけ勢いよく振るっても、体幹が全くぶれない。

 まるで指揮棒でも振るみたいに、軽々と扱っている。

 ギンの強さも凄まじかったけれど……。


(やっぱり、あの人は別格だ……)


 私の呟きが聞こえたみたいで、ギンがふふんと誇らしそうに鼻を鳴らした。


 階段を駆け降りて、七階層に足を踏み入れる。

 階層をまたげば、ダンジョンエラーも落ち着くんじゃないか……。

 そんな甘い期待は見事に裏切られた。

 変わらずわらわらと、どこからともなく魔物が湧いてくる。


 アマンダさんには、まだ余裕がありそうだ。

 でも確実に、体力も精神力も削られているはずだ。


(このままだと……)


 やはり地上まで逃げるしかないのかもしれない。

 でも研究員たちを巻き込むわけにはいかなかった。


(誰か一人が先行して、避難誘導を……)


 それが済んでから、地上を目指せば……。

 でも戦力を分散するのが得策とは思えない。

 私やキャスパー博士が足を引っ張っているせいだ。


(やっぱり、着いてくるべきじゃなかった……)


 配信して地上の人にこの窮状を伝えられたら……。

 そしたら戦力を分散せず、研究者たちを避難させられる。

 でも私たちは、配信用のデバイスを持っていないのだ。


(もしかしたら、別荘にはあるのかも)


 だからアマンダさんは、別荘を目指しているのかもしれない。

 私が思いつく程度のことは、きっとアマンダさんも考えている。

 下手に口出ししても、混乱を招くだけだ。


 今、私にできるのは、ただギンにしがみついていることだけだった。

 可能な限りギンの邪魔にならないように、石のようにじっとして……。

 本当の意味で、お荷物にしかなれない自分が情けなかった。


 そんな時だ。

 砂糖に群がる蟻のように、わらわらと湧いてきていた魔物が、ふつりと姿を見せなくなったのだ。


 アマンダさんが足を止める。

 耳が痛いほどの静寂。


「……今度は何だ?」


 アマンダさんも、困惑した様子だ。


「みんな、無事——」


 振り返ったアマンダさんが、ハッと息を飲む。


「……ジローはどうした?」


 その言葉に、私たちも振り返った。

 殿しんがりを務めていたはずのお兄さんの姿が、どこにもなくて——


(まさか、はぐれて……)


 でもあのお兄さんが、私たちに付いてこられないなんてことがあるのだろうか。

 だからアマンダさんも殿をお兄さんに任せたのだろうし、私たちも背後を気にせずにいられて……。


(……まさか、おとりに?)


 あの魔物の群れを、一人で引き受けて……。


「た、助けに……」


 反射的にそう言って、でもそれ以上は言葉が続かなかった。

 あの状況で、同行者の一人がはぐれたのだ。

 それが故意だったのか事故だったのかに関わらず、絶望的なまでに危険なはずで。


 それなのに、不思議と私たちの間に危機感はなかった。


「…………」


 誰も何も言わなかった。

 でもこの場の全員の考えが、共通していることだけはわかる。


 ……まぁ、ジローなら平気か。

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