第56話 ラストヘイブン
それから十時間後には、私たちはラストヘイブンの地に降り立っていた。
プライベートジェットでひとっ飛びだった。
国際ギルド。
または無国籍ギルドと呼ばれ、世界中に拠点のあるUDだけれど、中でも特に懇意にしている国が存在した。
当然というか、やはりというか、それはアメリカだ。
「ほら、地上じゃ役に立たないアイテムって、腐るほど存在するだろう? 炎羅水晶とか、水羅水晶とかが代表かな。地上じゃただの綺麗な宝石だ。ダンジョン内なら無類の切れ味を誇る剣だって、地上じゃただの頑丈な金属の塊だったりする」
そうアマンダさんが言う。
「そういう意味では、魔物も同じだね。生きたままゲートを通過させることができない。小さな魔物を飲み込んで、地上に持ち出そうとした人もいたけど、やっぱり無駄だった。地上で吐き出したら、魔物は息絶えていた」
「でもそのおかげで、ダンジョンの安全性が担保されてるんですよね」
「そうだね。魔物が地上に侵略してくることはない。そもそもゲート周辺には寄りつかない。だからダンジョンパークが存在できるってのもある。それから、もしダンジョン内に未知の寄生虫や細菌なんかが存在しても、『ダンジョン固有の生物を生きたまま地上に持ち出せない』というルールに
お兄さんが定期的に地上に戻ってくる理由の一つがそれだった。
「とにかく、ダンジョンの研究をするには、地上よりもダンジョン内の方が適してるんだ。だからアメリカ政府と交渉して、ラストヘイブンダンジョンを借り受けた」
「……よく許されてますよね、そんなことが」
「色々と制約があるけどね。ラストヘイブンでの研究結果は、全て公表する決まりだ。世界中の視察員が駐屯していて、隠し事は不可能。それに……知っての通り、ラストヘイブンダンジョンは
ダンジョンタウンが生まれ、そしてダンジョンエラーによって、大勢の人の命が奪われた場所。
「持て余したダンジョンを有効活用できて、しかもUDの研究結果を自国の成果として発表できるわけだ。アメリカとしても、悪い話じゃない」
「じゃあ今度は、UDのメリットがなくなりませんか?」
「そんなことはないさ。何事もバランスだよ」
「……なのにお兄さんにはちょっかいを出すんですね」
バランスもクソもない。
「多少のリスクは仕方ないさ」
「多少じゃないでしょ。せっかく積み上げたジェンガが、崩れるどころか爆散しかねないですよ」
「構わない」
「いや、構いましょうよ、そこは……」
少し背後から、キャッキャとはしゃぐ声がする。
振り返ってみると、お兄さんとアンリとギンが、楽しそうにおしゃべりしている。
(私も、あっちに加わりたい……)
アメリカまでの道中で、アンリとは最低限の対策を立てていた。
とにかく、お兄さんとアマンダさんを二人きりにするのだけは、絶対に阻止しようと。
すると自然と、この形に分かれるようになった。
お兄さんとギンには、積もる話がある。
でもギンとしては、いきなり二人きりは、ちょっと荷が重いらしかった。
(逃げ出したくらいだし……)
だから私かアンリが間に入ることになったんだけど……。
アンリとアマンダさんを二人きりにするのも、それはそれで怖い。
結果的に、この組み分けに落ち着いた。
「そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃないか」
「……時差ボケです」
ラストヘイブンの街並みは、かなり綺麗だった。
お世辞にも都会とは言えないし、古い建物が多く一部は倒壊したまま放置されたものまである。
でも行き交う人たちは、みんな生き生きとした顔をしていた。
(スラム街って感じじゃないな……)
きっとUDの影響なのだろう。
子供たちが、アマンダさんに笑顔で手を振る。
客人がいるからだろう、話しかけてくるようなことはなかったけれど、すれ違う大人たちも、無言でアマンダさんに敬意を払っているのがわかった。
「……随分、慕われてるんですね」
「ありがたいことにね」
「…………」
やっぱり悪い人には思えない。
それなのにどうしても、手放しに信用する気にはなれなかった。
(……ああ、そうか。お兄さんのことを怖がる人って、こういう気持ちなんだ)
目的がわからないとか、得体がしれないとか、そういうのは全部後付けの理由に過ぎない。
もっとシンプルに、私は怖いのだ。
この人がその気になれば、私なんて簡単に殺せる。
法や警察といった抑止力も、彼女には無意味だ。
どれだけ友好的でも、ライオンはライオンだ。
飼い慣らされていようと、鎖に繋がれていようと、近づくだけで本能的に震えてしまう。
そしてその牙が、私の大切な人たちに向けられるのが、心底恐ろしいのだ。
(アマンダさんは、お兄さんにも届きうる……)
それに、二人には力の差があるというのだ。
もし世間の評判通り、二人の力が拮抗しているなら、私はここまで疑ったりはしなかったと思う。
アマンダさんが敵意を抱いていても、その時は真正面からぶつかることになるだろうから。
でもアマンダさんが言うように、お兄さんの方が強いのだとしたら、真っ向勝負を挑みはしないだろう。
計画を練り、隙を伺い、周りを欺いて、そして——
逆説的にすら思えるけれど、二人の間に力の差があるからこそ、警戒しなければならないのだ。
それに、何より……。
(ああ、まただ……)
あの目。
お兄さんを見る、アマンダさんの目。
最初は、勘違いだと思った。
でもやっぱり違う。
あれは、明らかに獲物を見る目だ。
虎視眈々と、チャンスを窺う狡猾な獣——
「……いつ襲うんですか」
ぴくりと、アマンダさんが反応する。
不意をつくことができたようだ。
でもすぐに、笑顔に切り替わる。
「襲う?」
「お兄さんをですよ」
「何を言っているんだ。そんなこと、考えてるわけないじゃないか」
「……」
根拠はない。
女の勘、なんて陳腐な表現しかできない。
でも……。
(やっぱりこの人は、嘘をついてる……)
どうすれば、お兄さんを守れるだろう。
それとも……。
もう取り返しのつかないところまで、踏み込んでしまっているのだろうか。
ここは、ラストヘイブン。
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