第54話 対面

(——やられた)


 考えてみたら当然のことだ。

 私たちがどれだけ大丈夫だと言ったところで、お兄さんがあの状態のアンリを放置しておくわけがないのだ。


 お兄さんが荷物を放り出してきたのは、確か三十六階層だったと思う。

 緊急信号が届いて、お兄さんは半日もかけずに戻ってきた。

 でもお兄さんは基本的に、ダンジョンの環境を荒らすことを好まない。

 それこそ妹のピンチとかでもない限り、そんな超特急で行き来するようなことはしないはずだ。


 のんびりと、それでも他の冒険者に比べれば異常な速さで踏破していく。

 一度潜ったことのあるダンジョンともなればなおのことだ。

 お兄さんならきっと、三十六階層まで二日から三日もあれば戻れるはずだ。


 お兄さんのことだから、荷物を回収したからって、すぐに引き返すようなことはしなかっただろう。

 気を使いすぎる人なのだ。

 大丈夫と言われたんだし、自分が戻ることで余計な負担をかけるかも知れないし、心配しすぎてウザがられるかも知れないし。

 そんなふうに散々悩んだに違いない。


 でも結局は心配する気持ちが勝って、また二日から三日かけて戻ってくるのだ。

 お兄さんの行動パターンや思考パターンをある程度把握していれば、お兄さんが帰ってくるタイミングを見計らうのは、それほど難しいことじゃなくて——


 それを証明するように、リビングの扉が開き、お兄さんが顔を覗かせる。


「あ、ごめん。お客さん来てたんだ……」


 アマンダさんはソファから立ち上がると、お兄さんに近づき手を差し出した。


「やぁ、初めまして。私はアマンダ・D・ホプキンス。以後、お見知りおきを」

「あ、どうも。ジローです」


 二人は握手を交わす。

 とうとう——

 とうとう、お兄さんとアマンダさんの対面を許してしまった。

 

「……あれ? もしかして、UDの……」

「私のことを知っているのかい? 光栄だね」

「そりゃもちろん……どうしてそんなすごい人が……」

「二人と偶然知り合って、今日は招待してもらったんだ。あ、そうだ。ジローに紹介したい子がいて」

「紹介?」


 アマンダさんの言葉を聞いて、ギンのことを思い出す。


(そうだ。お兄さんに一番会いたいと思ってるのは、ギンのはずで……)


 お兄さんが帰ってきた途端に、全力で飛びついてもおかしくないのに。

 むしろそうならなかったのが意外なくらいだ。


 そう思いながらギンを振り返ると、ソファは無人だった。

 いや、違う。

 ギンはソファの後ろに隠れているのだ。


 そこから、お兄さんのことを盗み見ていた。

 背もたれから、鮮やかな銀髪と真っ赤な顔が見え隠れする。


「……ギン?」


 お兄さんが目を丸くする。

 ギンはおずおずと背もたれの後ろから出てきて、ぺこりと頭を下げた。

 挨拶だろうか?

 もごもごと何か言ったけれど、声になっていなかった。


「ギン!」 


 お兄さんがギンに駆け寄り、その手をぎゅっと握った。


「なんでこんなところに」

「あの、色々と、あって、だから……」


 ギンはしどろもどろだ。


「日本語……」

「た、たくさん、勉強したので……」

「そうなんだ。やっぱギンは頭がいいね」

「いえ。あなたに、どうしてもお礼が言いたかったから……」

「お礼? お礼されるようなことは、何も」

「今のオレがあるのは、あなたのおかげです。それに、お金を振り込んでくれてたの、あなたですよね。匿名だったけど」

「あー。でもそれは、大した額じゃないし」

「そんなことないです。ありがとうございます……」


 ギンは恥ずかしそうに俯く。


「でも良かった、元気そうで」

「…………」

「いや、そんなことないか」


 お兄さんがギンの顔を覗き込んだ。


「何か顔赤いし……もしかして体調悪いの? 大丈夫?」


 お兄さんはギンの頬に手を当てて、熱を確かめた。

 年頃の女の子にするにはデリカシーに欠けるけれど、きっと一緒に暮らしていた頃に戻ってしまっているのだろう。


 とうとう限界を迎えてしまったようで、ギンはお兄さんを振り払った。

 そのままリビングから飛び出してしまう。


「ちょっと、ギン……」


 私は咄嗟に後を追ったけれど、その時にはすでに家からも飛び出していて、影一つなかった。


「……え?」


 困惑した様子のお兄さん。


「あらあら。あれだけ会いたい会いたいって騒いで、日本にも無理やり付いて来たっていうのに」

「……私には『会いたくない』って言ってましたよ」

「そうなのかい? 思春期だねぇ」


 アマンダさんは顎に手を添えて、眉を八の字にした。


「それにしても、困った」

「困った?」

「日本政府から、くれぐれもジローと接触しないようにって言われているんだ。私とジローが揉めることを恐れてるみたいでね。まあでも、これは事故だから仕方がない。私は君たちに招待されて、ここにいるんだから」


 私は息を飲む。


(まさか最初からそのつもりで……)


 私は自宅に招待するように、誘導されていたのだろうか。

 でも振り返ってみても、誘導されたような記憶はない。

 むしろ向こうから、店の手配を言い出したくらいで……。


(いや、だからこそ、か……)


 振り返った程度で思い当たるなら、そもそも誘導なんてされていない。


「日本政府?」


 お兄さんが首を傾げる。


「こっちの話さ。そんなことより、ジロー。海外のダンジョンでキャンプをしてみたいとは思わないかい?」

「え? そりゃ、思いますけど、でも……」

「わかってるよ。どこの国のダンジョンも、余所者に厳しい。でも私なら、君にその特権を与えることができる」

「本当ですか!?」

「ああ。でもまあ、詳しい話はまた後日。そろそろおいとまするよ」

「帰るん、ですか?」


 私は尋ねた。

 せっかくお兄さんが、話に食いついたというのに。


「もういい時間だし、ギンも帰っちゃったし。次は約束通り——こっちのホームで、ね。ジローも入れて」


 ああ、やっぱりだ。

 最初から全部、彼女の思惑通りで——。


 アマンダさんは私に歩み寄ってきて、耳元でそっと囁いた。


「少し、遅かったね」

「……え?」

「君が最初からそのスタンスだったなら、私の最大の障壁になっていただろうに」


 ああ、そうか。

 あの目は、敵を見る目だったのだ。

 常に飄々としていて、あのアンリすら軽くあしらって見せた彼女が、私を脅威だと判断して——


「お互い、本当によかったね。たとえ子供でも、容赦できないから。——私の邪魔をするなら」


 アマンダさんは私の頬に軽く口づけをすると、


「じゃあ、またね」


 と言い残して、去って行った。

 全身の力が抜けて、私はその場にへたり込む。


(やっぱり、あの人には何か野望があって……)


 どこまでも、有能な敵。

 そして——


「え? どうしたの、アンリ?」

「なにが?」

「いや、何か目元が腫れて……もしかして、さっきの人に何か……」

「違う。泣いたのは、あの人は関係ない」

「え? じゃあ、誰に泣かされたの?」

「誰って……」


 アンリは躊躇いがちに、私のことを指さした。


「え、春奈ちゃん?」


 ……もう勘弁してくれ。



 —————


【創作裏話】

 妹の名前は『アンリ』にするか『エリ』にするかで、ものすごく悩みました。

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