第38話 親友との出会い その3

 土日を挟んだ月曜日の朝。

 私は重い気分を引きずりながら登校する。


「東雲さーん」

「あ、先輩」


 校門の前に先輩が立っていて、手を振ってきた。


「どうしたんですか、こんなところで」

「東雲さんが来るのを待ってたの。ほら、行こ」


 先輩が私の手を引いて、校舎に向かう。


(すぐに別れるのに……)


 私たちはクラスどころか、学年すら違うのだ。

 でもそうやって待ってくれていたことが、素直に嬉しかった。


(友達、って言っていいのかな……)


 昇降口で靴を履き替え、階段を登る。

 一年のクラスは二階にあるから、そこでお別れだ。


「じゃあ、私はこっちなので」

「教室まで一緒に行くよ」

「え? いや、そんな……」

「一緒に行くから」


 先輩の瞳には、強い意志がある。

 それで私は察する。

 先輩は最初から、そのつもりで私を待っていたのだ。


 教室の扉を開けると、目に飛び込んできたのはゴミに埋もれた私の机だ。

 それからツンとえた臭いがする。

 どこから持ってきたのか、生ゴミまでぶち撒けられていた。


(やっぱり……)


 窓際の席には、いつも通り水野千冬とその取り巻きたちが集まっている。

 全員が、引きった笑みを浮かべていた。

 私がきた途端に、嘲笑あざわらうつもりでいたのだろう。

 でもまさか先輩を連れてくるとは思っていなかったみたいで、用意していた笑みのままで固まってしまっていた。


(みんな無事だったんだ……)


 大袈裟に体を抑えて、汚いトイレの床に這いつくばっていたから、もしかして重傷なんじゃないかと心配していた。

 でもどうやら、大した怪我ではなかったようだ。


(……もしかしてあれは、死んだふりだったのかな?)


 見張り役の倉本さんは、きっと先輩の姿を認めた時点で腰が抜けてしまったのだろう。

 その結果、彼女は無傷で済んだ。

 水野千冬たちも、それを心得ていたのだろう。

 大袈裟に痛がってみせることで、被害を最小限に抑えたのだ。


(熊には無意味って聞くけど、先輩には有効なんだな……)


 そんなことを考え、ちょっとだけ愉快な気持ちになったけれど、しょせんは現実逃避だ。

 すぐに気持ちは落ち込んでしまう。


 考えるまでもなく、当然のことだった。

 あの水野千冬が、あれで引き下がるわけもない。

 先輩にやり返すことはできないから、当然矛先は私に向く。


 だから覚悟はしていた。

 生ゴミは予想外だったけれど、その程度じゃ今更だ。

 なのに……。


 目頭が熱くなる。


(先輩にこれを見られたのが、一番辛い……)


 悪いのは向こうのはずだ。

 間違ってるのも向こうのはずだ。

 それなのに、どうしてこんな惨めな気持ちにならなきゃいけないんだろう。


(情けない……恥ずかしい……)


 先輩がぼそりと言う。


「酷いね……」

「あ、でも大丈夫ですよ」


 私は、笑ってみせる。

 カバンからポーチを取り出した。


「掃除道具はありますから」

「東雲さん……」


 イジメられるようになってから、一式を持ち運ぶようにしていた。


「これからは、消臭スプレーも追加しないと」


 冗談のように、そう付け加える。

 先輩が手を差し出してきた。


「それ、貸して」

「え? いや、先輩に手伝ってもらうわけには……」


 先輩は、ためらう私からポーチを受け取ると、それを持って窓際の席に歩み寄っていった。


「はい」


 そのポーチを、水野千冬に差し出した。


「……は? なに?」


 精一杯強がってみせてはいるが、声は震えていた。


「掃除して」

「なんで私が……」

「いいから」

「なによ。私がやったなんて証拠でも……」

「いいから」


 先輩の声は淡々としていた。

 でもそれ以上に、有無を言わせない強さがあった。


「……っ。果穂かほ! やったのはあんたでしょ! あんたが掃除しなさいよ!」

「えっ? なんで……千冬ちゃんがやれって言ったから、私は……」

「関係ない! やったのはあんたなんだから!」

「待ってよっ。それ言ったら、生ゴミ持ってきたのはみどりでしょ!」

「はぁ!? 私はただ、持ってこいって言われたからっ。それにアイデアを出しのたは片山だしっ」

「どうでもいい」


 内輪揉うちわもめを始めた彼女たちを、先輩は一言で切って捨てる。


「私は、あなたに掃除してって言ってるの」


 その視線は、ただ水野千冬にだけ向けられている。


「……っ!」


 水野千冬は先輩からポーチを乱暴に奪うと、立ち上がって私の席に向かう。


「なにやってんのよ! あんたたちも手伝——」

「あのさぁ」


 淡々としていた先輩の声に、怒気が滲んだ。


「何度も言わせないでくれる? 私は、あなたに、掃除しろって言ってるの」


 文節を区切るように、ゆっくりと。


 水野千冬はなにか言い返そうと口をもごもごとさせていたけれど、結局なにも言葉は出てこなくて、机の掃除に取り掛かる。

 せめてもの抵抗なのか、ゴミを撒き散らすように乱暴に掃除していた。

 その姿が、余計に滑稽こっけいに映った。


 クラスの女王だったはずの彼女が、教室中の視線を集めながら、一人で掃除をさせられている。

 羞恥なのか、怒りなのか、彼女は耳まで真っ赤になっていた。


 先輩は、水野千冬の席に座って、その光景を眺めていた。

 周りにいる取り巻きたちも、緊張からか直立不動で顔を伏せ、身じろぎすらしない。


 水野千冬が、涙の溜まった上目遣いで睨んできた。


「覚えてなさいよ、あんた……」


 ボソリとしたその言葉に応えたのは、私ではなく先輩だった。


「うん、ちゃんと覚えたよ。あなたの顔も名前もね」


 これだけ距離が離れているのに。

 しかも水野千冬は先輩に背中を向けていたのだ。


(どんな地獄耳してるんだろ……)


 さっきまで真っ赤だった水野千冬が、今度は真っ青になってしまった。

 完全に心が折れたのか、大人しく丁寧に掃除をし始める。


 それが終わると、先輩に消臭スプレーをトイレから取ってくるように言われ、彼女は教室から駆け出して行った。

 それを散布することで、かなり生ゴミの臭いは薄らいだ。

 一限目の先生には、顔をしかめられてしまったけれど。


 こうして、水野千冬の天下は終わった。

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