第37話 親友との出会い その2
その日の六限目のことだ。
担任の先生の授業のはずなのに、別の先生がやってきた。
「木田先生は体調不良で帰られました。なので自習をするように」
担任の先生だから、ホームルームもない。
授業が終われば各自、自由に帰ってもいいと言う。
(そんな……)
最悪の事態だった。
振り返ったわけでもないのに、水野千冬が窓際の最後列の席で、ほくそ笑んでいるのがわかった。
そして終業のチャイムがなり、私はすぐに教室を飛び出そうとしたんだけど……。
「東雲さーん」
想像していた通り、水野千冬に呼び止められた。
「放課後、暇? ちょっと付き合ってよ」
「いや、あの……」
「最近、全然遊んでくれないじゃん。千冬、寂しー」
取り巻きたちもやってきて、すぐに取り囲まれてしまう。
彼女たちは、表立ってはイジメてこない。
だから授業が終わった直後、まだ先生がいるうちであれば、逃げ出すことができていたのだ。
「ほら、行こ」
「あの……私、この後予定があって……」
「はぁ?」
水野千冬は、すぐに本性を
「なに? 私の誘いを断る気?」
「いや、その……」
「あんたに、どんな予定があるってのよ」
先輩の顔が浮かぶ。
(巻き込んじゃいけない……)
私は言われるがまま、トイレにまで連れて行かれる。
放課後に捕まるのが一番辛かった。
次の授業がないから、水野千冬たちが満足するまで終わらないのだ。
私をどれだけ痛めつけても、イジメが露見する可能性も低い。
私に逃げられてばかりで、フラストレーションが溜まっていたのだろう。
金曜の放課後というのもあるかもしれない。
彼女たちのイジメは、いつにも増して
個室に閉じ込められる。
「せーの!」
掛け声と共に、頭上から水が降ってきた。
バケツに汲んだ水を、全員で放っただろう。
甲高い歓声が上がる。
虫の羽をちぎって遊ぶ、子供のような無邪気さ。
こんな状況でも、私の頭にあるのは先輩のことだった。
(約束、してたのにな……)
こんなずぶ濡れになってしまっては、遅れて会いにいくこともできない。
(……でも、これでよかったのかも)
先輩を巻き込まずに済む。
そもそも友達が欲しいなんて期待したのが間違いなのだ。
「あ、ホースあるじゃない」
「いいじゃんいいじゃん!」
「うわ、きったな。なにこれ?」
「便所掃除のブラシでしょ?」
「それも投げちゃえ」
「うげー、触りたくもないんだけど」
そんな楽しげな声が——
ぴたりと止まった。
じゃばじゃばと、水の流れる音だけがする。
「……え、鈴木先輩……なんで、ここ、一年のトイレ……」
水野千冬の言葉は、最後まで続かなかった。
鈍い打撃音と悲鳴がする。
打撃音は二度三度と続き、その度に悲鳴は一つずつ消えていった。
最後にきゅっと、蛇口が閉められる音がして、トイレは
個室の扉をノックされて、私はびくりと体を震わせた。
「東雲さん、もう大丈夫から」
先輩の、優しい声だ。
恐る恐る扉を開けると、そこに先輩が立っている。
先輩は私の姿を認めると、辛そうに顔を
「酷い……」
先輩はハンカチを取り出したけれど、それじゃ用を成さないと思ったのか、上着を脱いでそれを私にかけた。
「先輩……」
「気にしないで。明日休みだし、替えもあるから」
「どうしてここに……」
「東雲さんが来ないから、一年生の教室に行ったの。そしたらトイレに連れて行かれたのを見た人がいて」
「……そうだったんですね」
その人も、よく正直に話したものだ。
水野千冬に逆恨みされるのが、怖くないのだろうか。
「それにしても、一体なにが……」
改めて個室から出ると——
そこに広がっていたのは、
水野千冬とその取り巻きたちが、汚いトイレの床に這いつくばっている。
それぞれが体を丸めて、涙を流しながら呻き声をあげていた。
「な……だ、大丈夫……」
衝撃に、言葉が出てこない。
「大丈夫大丈夫。服の下の目立たないとこしか殴ってないから」
「……」
全然、大丈夫じゃない。
「さすがに年下の女の子相手だと、あまり乱暴なことはできないから」
「いやいや……」
普段は抑えている大阪人の血が騒いで、「なんでやねん」と頭を引っ叩きたくなった。
(……危ない。もう少しで私も床に這いつくばるところだった)
「東雲さん」
「はいっ」
頭を引っ叩こうとしたのがバレたのかと思い、声が
「体操服はある?」
「いえ、今日は体育がなかったので」
「私もそうなんだよね……保健室に行こっか。多分着替えがあるはずだから」
先輩が私の手を引く。
頭の上から、先輩の上着を被ったままだ。
それに、私は背が高いのがコンプレックスだから、背中を丸めて歩く癖がある。
(……なんか、犯罪者が連行されてるみたいになってない?)
そう思いながらトイレを出ると、入り口のところで、一人の女子生徒が座り込んでいた。
「倉本さん……」
「ひぃっ。ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
腰が抜けてしまっているのか、逃げ出すこともできないみたいだ。
「いや、そんな謝らなくても……」
「行こ、東雲さん。そのままじゃ風邪ひいちゃう」
「あ、はい」
少し離れたところで、先輩が声をかけてきた。
「彼女のこと、見逃さない方がよかった?」
「え? いや……」
「見張りをしてるだけみたいだったし、イジメっ子っぽくもなかったから、放っといたんだけど」
「……それでよかったです。彼女も、被害者ですから」
「なに言ってるの。見張りも立派な共犯でしょ」
「彼女は脅されて、従ってるだけです。元々は彼女がイジメのターゲットだったから……」
「そうなの?」
「はい」
「じゃあ……」
先輩が私の顔を覗き込んでくる。
「どうして、東雲さんがイジメられるようになったの?」
先輩の視線から逃れるように、私はさらに背中を丸める。
「それは……」
転校してきて、すぐにわかった。
教室内のカーストに。
頂点にいるのが水野千冬で……そして、底辺にいたのが倉本さんだ。
彼女は、今の私ほどではないけれど、水野千冬たちのオモチャにされていた。
それで、私は……。
——そういうの、やめた方がいいんじゃないかな。
あの一言で、私の学校生活は破綻した。
「後悔してる?」
「……いいえ。もし過去に戻れても、私は同じことをすると思います」
「かばった相手には裏切られて、こんな酷い目に遭うってわかってても?」
「はい」
私は間違っていないから。
それだけは、胸を張って言えるから。
「……強いね、東雲さんは」
「そんな……弱いから、こんな目にあってるんです……」
「強いよ。私なんかよりも、よっぽど」
「……」
胸がじんわりと熱くなる。
涙を堪えるのに必死で、返事ができなかった。
「ずっと、耐えてたの?」
「……はい」
「いつから?」
「転校してきたのが、一ヶ月前で、その三日後には……」
「一ヶ月前……」
先輩が苦い顔になる。
「ごめんね」
「どうして先輩が謝るんですか」
「もっと早く助けてあげられたらよかったんだけど……入れ違いになっちゃって……」
「入れ違い?」
「私、停学になってたの。ちょうど一ヶ月前くらいから」
「停学……どうしてですか?」
「まぁ、色々とね」
あまり言いたくなさそうだ。
(よっぽどのことがないと、一ヶ月も停学にならないんじゃ……)
「実は今日、停学が明けたばかりなんだ。やっと学校に出てこれたよ」
「あっ」
私は立ち止まり、先輩の手を離した。
「どうしたの?」
忘れていた。
『出てこれた』という言葉を聞くまで、あの人のことを……。
毒島姫路。
クラスメイトが言っていた、絶対に関わっちゃいけない先輩——。
「あ、あのっ。これ以上、私と関わらない方がいいですっ」
「え?」
「助けてもらったのに、こんなこと言いたくないけど……でもこのままじゃ、先輩まで巻き込まれて……」
いや、もう手遅れだろうか。
水野千冬は毒島姫路の幼馴染なのだ。
その水野千冬に、あんな仕打ちをしたら、当然……。
(私は、こんな優しい先輩を巻き込んで……)
その事実に思い至って、私は半ばパニックになる。
「落ち着いて。ゆっくり説明してよ」
私は話す。
毒島姫路のこと、水野千冬との関係性。
そして、毒島姫路が少年院に入っていて、そろそろ出てくるということを……。
「あー、なるほどね」
先輩の反応は、間の抜けたものだった。
「なるほどねってなんですか!」
危機感のないその様子に、理不尽だけど怒りを覚えてしまう。
「いやぁ、なんていうか……」
先輩はどこか恥ずかしそうだ。
「私が停学になってたのって、実はその毒島って人と揉めたせいなんだよね」
「……え? そうなんですか?」
「うん。後その人が入ってるのは、院は院でも、少年院じゃなくて病院だからね」
「……病院? そうだったんだ……」
自分が勘違いをしていたことに気づく。
(ああ、そっか。だから先輩は、一ヶ月も停学になってて……)
そこまで考えてから、数瞬遅れて、私の中で点と点が繋がった。
「あっ」
私は、とんでもない思い違いをしていたのかもしれない。
(……え? もしかして……)
私は先輩を見る。
「ん? どうしたの?」
可愛らしく首を傾げる少女——
(……クラスメイトが言ってた、『絶対に関わっちゃいけない先輩』って、この人のことなんじゃ……)
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