第26話 人と狼

 この子は人間の社会で生きていくべきだ。

 あの思慮深い狼は、そう判断したから、大切な娘を俺にたくしたのだろう。

 でも困ったことに、この土地では俺も異邦人いほうじんなのだ。


 現地の言葉は最低限しか話せない。

 文化も十全に理解できているとは言いがたい。


(日本に連れて帰るとか……)


 そう考えもしたけれど、さすがに現実的じゃなかった。

 よつばとじゃあるまいし、戸籍こせきもない外国の少女を、どうやって日本に連れ帰ればいいというのか。

 皆目見当かいもくけんとうがつかない。


 空路は論外として、海路から密入国を……とまで考えた。

 でもやはり無茶だ。

 この子にそんなリスクを負わせるわけにはいかない。

 日本の風土ふうど馴染なじめるかもわからないのに。


 なにより、わかりやすく正しい選択肢が、目の前にあるのだ。

 俺は親交のある現地の村を頼ることにした。

 現地といっても、狼の親子と出会った山からは、かなり距離があるんだけど。


 とにかくその村とはちょっとした縁があって、俺たちを受け入れてくれるんじゃないかと思ったのだ。

 身振り手振りを交えながら、村長に事情を説明する。

 俺の言語スキルの問題かもしれないけれど、村長は半信半疑の様子だった。


 でも少女と対面すると、「狼に育てられた」という話を信じてくれた。

 村に住む許可まで与えてくれて、俺たちの家まで用意してくれる。

 けれど……。


 肝心かんじんの少女が、村を——人を拒絶したのだ。


(人間に母親を殺されかけたんだもんな……)


 俺に心を許してくれているのが例外なのだ。


 仕方なく、俺と少女は村の近くの山を拠点に、キャンプ生活を送り始めた。

 特に不満はない。

 むしろ俺としては、村暮らしよりもこっちの方が性に合っている。


 たまに村人が様子を見にきたり、こっちから近づいてみたり。

 そうして少しずつ、少女が村の人たちに慣れていけばいい。

 そんなふうに考えていたんだけど……。


 一ヶ月経とうと、二ヶ月経とうと、少女は一向に俺以外の人間に心を許さなかった。

 村人たちは善意から接してくれているのに、その全てを拒絶してしまう。

 彼らが善人だと知っているからこそ、申し訳なくて……。

 俺は自然と、村人に会うたびに、謝罪の言葉を口にするようになっていた。


 すると村長が、そんな俺の肩を掴んで大声を張り上げる。

 最初、怒っているのかと思った。

 でもそうじゃない。

 村長は涙を浮かべて、必死になにかを訴えかけてきていた。


 最後の方なんて、もう号泣だ。

 でも……。


(やばい……早口すぎてなにもわかんない……)


 村長はもう歳だと言うのに、五分以上大声を出し続け、はぁはぁと心配になるほど息切れしていた。

 俺がオロオロとしていると、隣にひかえていた村長のお孫さんが、


「私たちはあなたに感謝していますから」


 とわかりやすくまとめてくれた。


 彼らの気持ちは、本当に嬉しかった。

 でもだからといって、問題が解決するわけではない。

 少女も今の生活にストレスを感じている様子だった。

 なにもかも、上手くいかない。


(もういっそ、狼の元に戻って二人と一匹で暮らそうかな……)


 そんなことすら思った。

 あの思慮深い狼に、威勢いせいよく上京したくせにものの数ヶ月で出戻でもどってきた奴を見るような目で見られると思うと、不甲斐ふがいなさが込み上げてくる。

 でも本当に、それくらい進退窮しんたいきわまっていたのだ。


 俺一人じゃどうすることもできず、小学生の妹にアドバイスを求めたりもした。

 でも「狼に育てられた少女」って時点で信じてもらえなかった。


「どうせまた変なキノコでも食べたんでしょ」


 妹の中で俺は、変なキノコを食べる奴で定着してしまっている。

 兄の威厳いげんを取り戻すためにも、少女の写真を撮って妹に送った。


「ほら、俺の言ってることは、嘘じゃ……」

「……こんな幼い子供の写真を大量に送りつけてきて、どういうつもりなの?」

「…………」


 まずい。

 変なキノコを食べる奴からロリコンにジョブチェンジしかかっている。

 

 俺は咄嗟とっさに、変なキノコを食べてラリってる兄を演じ、そのまま通話を切った。

 危ないところだった。


 でも冷静に考えてみると、少女と二人で暮らしている現状は、確かにかなり際どかった。

 もしもの時は、少女を連れて世界中を転々とするのもいいと思っていた。

 日本に連れ帰るのは無理でも、陸続りくつづきの国ならキャンプをしながら旅ができると軽く考えていたのだ。


 少女を人間の社会に馴染ませる、という目的からはれてしまうけれど……。

 でも考えてみたら、まず俺が人間の社会に馴染めていないから、キャンプ生活を送りながら世界中を転々としているわけで。

 そんな俺が、少女に人間らしい生活を、だなんて……。


(自分で言うのもなんだけど、絶対託す相手を間違えただろ……)


 変なキノコでも食べてラリってたんじゃないのか、あの狼。

 思慮深い狼から見る目のない狼にジョブチェンジだ。


 とはいえ、俺にできることなら、なんでもしようと考えていた。

 狼の信頼に応えるためなら、ロリコンの汚名くらいは被ってもいいと思っていた。


(でも……)


 どんな事情があろうと、俺にやましい気持ちがなかろうと、やっていることは人攫ひとさらいと変わりがない。

 嫌な記憶がフラッシュバックして、胸の内に苦いものが広がる。


(人攫いだなんて……あんなクズ共と一緒にされるのだけは、死んでも嫌だ……)


 俺はどうしたらいいのだろう。

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