第25話 親子

(それにしても、本当に狼が人間の子供を育てるなんてことがあるんだな……)


 逸話いつわとして聞いたことはあった。

 創作物の中にもよく出てくる。

 でもこうしてたりにすると、信じられないという思いと同時に、感動に近いものが込み上げてくる。


 狼はメスだった。

 母性本能、なんて言葉でどこまで説明できるかわからないけれど、きっと理由の一つではあると思う。


(でも一番は、やっぱりあの髪だよな……)


 治療の一環いっかんで、狼の体を清潔に拭いてやった。

 ついでに少女の髪や顔も綺麗にしてやる。


 それでよくわかった。

 狼の毛並みと、少女の髪は、どちらも綺麗な銀色をしていた。


 彼女たちの出会いがどんなものだったのか、俺にはわからない。

 言葉が通じないことから考えると、物心がつくずっと前から一緒にいるのだろう。

 なによりあの関係性は、一朝一夕のものとは思えない。


 幼児のころに山で迷子にでもなったのか、あるいは赤子のころに親に捨てられたのか……。

 どういう事情があるにしても、狼が少女を獲物ではなく、娘として迎え入れたのは、あの綺麗な銀髪によるところが大きいと思う。


 傷ついた狼に寄り添う少女。

 それは親子の姿に他ならなかった。


(やっぱり、引き離すなんて真似は、俺には……)


 狼はみるみる回復していった。

 怪我をしているのは、左前足の付け根の辺りだ。

 三日後には、無事な残りの三肢さんしで、ひょこひょこと動き回れるまでになる。


 さらに二週間もすると、普通に走り回っていた。

 脅威的な回復力だ。

 狼が獲物を狩ってきて、それを俺もわけてもらうようになった。


(この辺りは禁猟区なんだけどなぁ……)


 郷に入っては郷に従え、が俺の信条だ。

 土地のルールを破る気も、不用意に荒らす気もない。

 とはいえ、狼の好意を無碍むげにもできなかった。


(俺が狩ったわけじゃないし……)


 そう自分に言い訳をし、肉を分けてもらう。

 まるで童話だな、なんてことを思った。

 狼の恩返し。


 これまでは少女も生肉を食べていたのだろう。

 でも人間の食事の味を覚えてからは、俺の料理を心待ちにするようになった。

 少女にも手伝ってもらって、狼から分けてもらった肉を調理する。

 そんな俺たちの様子を、狼は少し離れたところから、じっと見守っていた。


 少女は自分も手伝った料理を、狼にも食べて欲しそうにしていた。

 でも人間の食事は、狼にとって毒になりかねない。

 少女が人間の食事に慣れすぎないように、薄味にはしているけれど、それでも余計なリスクを冒す必要はない。


 香辛料なんてもってのほかだ。

 使う時は狼の風下に立つように気をつけすらした。


「…………」


 少女はよく、俺の左手を握る。

 彼女が噛み付いた方の手だ。

 言葉は通じなくても、申し訳なく思っていることが表情から伝わってくる。


「大丈夫だよ。狼ほどじゃないけど、俺も怪我の治りが早い方だから」


 そう言って、彼女の頭を優しく撫でた。


 それからさらに十日ほどして、狼は完全に回復した様子だった。


(もう大丈夫だな……)


 そう判断して、俺は彼女たちの元を去る決心をした。


 その日の夜のこと——


 俺は微かな声を聞き、目を覚ました。

 かなり離れたところから、狼と少女の声がする。


(近くで眠っていたはずなのに……)


 声と言っても、どちらもただの唸り声だ。

 意味はまるでわからない。

 でも印象は伝わってくる。


 駄々をこねる少女を、狼が叱りつけていた。

 少女は、ほとんど涙声だった。


 気になったけれど、親子の密談に割って入る趣味はない。

 俺は気づかなかったふりをして、また眠りについた。


 翌日。

 俺は旅支度を済ませる。

 荷物は昨日のうちにまとめておいたから、簡単なものだ。


 少女の様子だけが、少し気がかりだった。

 目が腫れていて、今も半べそをかいている。


(もしかして、俺が去ろうとしてるのを察して、悲しんでくれてるのかな……?)


 後ろ髪を引かれた。

 でもいつまでも一緒にいるわけにもいかない。


「じゃあ、バイバイ。元気で」


 そう言い残して、俺は歩き出した。


 少し離れたところで、きゅっと左手を掴まれる感触がある。

 見ると、少女が俺の手を握っていた。


 振り返ると、狼が離れたところから、俺たちのことを——いや、俺のことをじっと見つめていた。

 その瞳の思慮深しりょぶかさに、ハッとする。

 彼女たちの想いを悟る。


 俺は表情を改めて、狼に一つ頷いて見せた。

 それを見届けると、狼はふいと顔を背け、山の奥に消えてしまう。

 限界を迎えたように、少女がわっと泣き出した。

 俺は少女を抱き上げて、狼とは逆の方に歩き出す。


 その日——


 日が暮れて、そして夜が明けるまで、ずっと狼の遠吠えが、山の中に木霊こだましていた。

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