第18話 規格外
「あー、眠い……時差ボケが治らん」
赤信号で止まっている隙に、眠気覚ましのガムを口に放り込む。
「今は二十三時だよ」
独り言のつもりだったけれど、後部座席から声が返ってきた。
「私は夜型なんだよ。本当ならこれからが本番なんだ」
「これを機に、早寝早起きを心がけるといい」
「はん。クソ喰らえだ」
青信号に変わり、アクセルをゆっくりと踏み込む。
「たく。なんで日本の道はこうも狭く曲がりくねってやがんだ。左側通行なのも運転しづれぇ」
「キャスは文句ばっかりだね」
「だったらお前が運転しろ。この私を運転手みたいに扱いやがって……」
「お
「は、なにが国際免許だ。今更そんなチンチな法律にこだわるタマかよ」
「それにキャスは口が悪いけど、運転は誰よりも丁寧だからね。本当の性格がでちゃってて可愛い」
「…………」
なにか言い返してやろうと思ったが、言葉が出てこなかった。
バックミラー越しに睨む。
パンツスーツの女が肩をすくめておどけてみせる。
くすくすと笑い声が続いたが、私は無視を決め込んだ。
(こいつとは言い合うだけ無駄だ……)
三十分ほどで、目的の拠点に着く。
ふっと緊張を解いて、シートベルトを外した。
「着いたぞ」
「……」
「おい、聞いてんのか?」
返事がない。
振り返ると、アマンダはじっと端末に観入っていた。
「クラァ! アマンダ!」
「ん? なんだい?」
「着いたって言ってんだよ!」
「もう? やっぱりキャスの運転はストレスがなくていいねぇ」
「今更
こいつの相手をするのは、本当に疲れる。
「そんな集中して、なに観てたんだよ。またジローか?」
「ああ」
「配信なんてもう観なくても、近いうちに会えんだろ」
「それがね、ジローは拠点を移したみたいで」
「……は? 東池袋から?」
「そう。今は千葉の浦安ダンジョンにいるらしい。あの千葉だよ。東京ディズニーランドのある」
「……どうすんだよ。東池袋の立ち入り許可を得るだけでも、相当苦労したってのに……」
「また考えないといけないね」
頭が痛くなってくる。
「やっぱゲートを見張って、出てくんのを待つのが一番いいんじゃねえのか」
「それだけはやめてくれ、というのが、日本政府の要望じゃないか」
「……」
日本政府の気持ちは、わからないでもない。
もし万が一、ジローとアマンダが揉めでもしたら、どれだけの被害が出るか……。
会うにしても、ダンジョン深層階で偶然を装って、というのが日本政府の条件だった。
その妥協案を引き出すのにだって、相当な時間を要したのだ。
「そもそもあいつらはジローにビビり過ぎなんだよ。腐っても国の役員どもが、個人の顔色なんて
「それだけジローが特別だってことじゃないか。だからキャスも、私の勧誘を受け入れたんだろう?」
「わかってんならなんとかしろ。ジローを研究できるっつーから、UDに引き抜かれてやったんだぞ」
「わかってるさ。それにしても、このタイミングか……もしかして日本政府が、ジローに耳打ちでもしたのかな」
車内の気温が、五度は下がったように錯覚する。
「……それはない」
「どうして?」
「日本政府は、ジローと同じくらい、お前にビビってるからだよ」
私は嘆息した。
「車ん中で話し込んでも仕方がねえ。とりあえず建物に入るぞ」
「……」
「おい、アマンダ」
また端末に観入ってやがる。
怒る気力も湧いてこない。
(まあ、気持ちはわかるが……)
ジローは他の冒険者がいない深層階まで、RTAよろしく、サクサク攻略を進めていくのだ。
その迫力と爽快感は、病みつきになる。
しかもジローの配信は気まぐれかつ唐突だ。
RTA攻略をリアルタイム視聴できる機会は、ごく限られている。
(……私もちょっと観たい)
そう思ったけれど、同類になりたくなかった私は、その欲求を振り払った。
「……もういい。先に行ってるぞ」
私は車を出て、拠点に足を踏み入れた。
そこでもまた、頭痛の種が……。
「な、なんじゃこりゃ……」
散らかり放題のリビング。
ソファでは、腹を出して眠っているギンの姿が。
「おい、ギン!」
「……ん。おお、キャスパー。おはよう」
「夜中だボケ。てかなんだこの惨状は!」
「誕生会の
「誰のだよ」
「新しくできた友達の」
ギンは上体を起こし、
「お前……まさか部外者を拠点に入れたのか?」
「悪いか?」
「逆に悪くないと思うのか?」
「思わない」
「だったら入れんな……」
どっと疲れが湧いてくる。
(どいつもこいつも、一癖も二癖もありやがる……)
「仕方ないだろ。懐かしい匂いがしたんだから」
「なんだよ、懐かしい匂いって」
思い出しでもしたのか、ギンは「むふー」と幸せそうな笑顔になる。
「内緒だ」
「なんだそれ……せめて片付けろよ」
「それは無理な相談だな」
「あぁ? なんでだよ」
「キャスパーが片付けるって約束してしまった」
「誰となに勝手な約束してやがんだ!」
「そういうキャスパーこそ、遅かったじゃんか。もっと早く来る予定だったろ」
「それこそ、仕方ねえ事情があんだよ」
「事情って?」
「空港まで人を迎えに行ってたんだよ」
「誰を?」
私が答えるまでもなく、答えの方がやってくる。
リビングの扉が開き、アマンダが姿を現す。
その瞬間、ギンが飛び起き、直立不動の姿勢になった。
「やぁ、ギン」
「お疲れ様です、ボス」
ギンも身長が高いが、アマンダはさらに長身だ。
ヒールを履いている今に至っては、百八十を楽に超えている。
(デカブツどもめ……)
アマンダが一人掛けのソファに腰を下ろした。
アマンダのお気に入りの、オーダーメイドのソファで、世界中の拠点に同じものがある。
これだけ散らかったリビングで、そこだけがエアスポットのように綺麗なままだった。
「それにしても、随分散らかっているね」
「あ、これは……」
「友達を連れ込んで、誕生日会を開いてたんだとさ」
ギンに横目でじとっと睨まれた。
告げ口されて怒る子供そのものだ。
私はケケッと笑って挑発しておいた。
「へぇ、もう日本人の友達ができたのかい?」
「すみません、すぐに片付けますから……」
「責めているわけじゃないよ。いいことじゃないか。片付けも、気にしなくていい。キャスパーがやってくれるさ」
「はぁ!? テメェまでなに言ってやがんだ!」
「ふふ。そんな怒ったふりして、なんだかんだやってくれるんだろ、君は。ねえ、ギン」
「はい。キャスパーは面倒見がいいので」
「はぁん! ふざけんな! 絶対に片付けねえからな! 今ので余計にそう決意したわ!」
とか言いつつ、ぶつくさ文句を垂れ流しながら、片付けをする自分の姿が脳裏に浮かぶ。
(ああ、本当に嫌になる……学会じゃ異端者扱いされていたこの私が、こいつらの中じゃ一番の常識人だ……)
「それにしても、ギン。やっぱり、その態度はどうにかならないのかい?」
「あなたは俺のボスですから」
「私は少し寂しいよ。キャスほどとは言わないけれど、もっとフランクに接して欲しいんだけどね」
「……申し訳ありません」
「そういうところだよ」
アマンダは寂しそうに微笑んだ。
「やっぱり、狼に育てられたことが影響してるのかな、キャス。上下関係が厳しそうだもんね」
「知らねえよ。てかそれなら、私のことももっと敬え。私はお前の上司だぞ、ギン」
「うるせえ」
「こいつ……」
ムカつくことこの上ないが、ギンにこんなことを言っても仕方がないことはわかっている。
ギンには立場が通じないのだ。
もちろん個人的な好き嫌いはあるだろう。
それでいうと、私は多分好かれてはいない。
でもたとえ相手が、大国の大統領だろうと、マフィアのボスだろうと、それで態度を変えることは絶対にない。
そう断言できる。
そんなギンが、どうしてアマンダにだけ敬意を示すのか。
理由は、どこまでも単純だ。
自分よりも格上だと認めているからだ。
狼に育てられた、なんて異色の経歴を持ち、
そのギンが、この女にだけは、逆立ちをしても敵わないと――。
冒険者のランクは、SからEまである。
その分類は、死傷者を極力減らすために、国際的に決められているものだ。
アメフトのコンバインのように、体力テストや実技テスト、適正テストなどが行われ、合格してようやくEランクの冒険者になれる。
このEランクは、いわゆる研修で、一年以内にDランクになれなければ冒険者登録が取り消されてしまう。
そもそもEランクになれるのも、受験者の四割程度と、かなりシビアだ。
そこまで厳しく基準を定めていることで、ダンジョン内における死亡者の数が、年々減少しているのだ。
Eランクにすらなれない連中は、
でも世界にたった二人だけ、特別な圏外がいる。
Eランクの下にではなく、Sランクの上に。
一人はジロー。
そしてもう一人が――
このアマンダ・D・ホプキンスだ。
国際ギルドなんて不可能をゴリ押しで実現してみせ、世界に十二人しかいないSランク冒険者のうちの四名を配下に置く――
そしてなにより、最強論争であのジローと評価を二分する――
そんな、規格外の女。
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