第17話 モンブラン、疼痛

 閉店時間にギリギリ間に合い、注文していたケーキを受け取る。

 マンションに帰り着いた時には、もうお兄さんは部屋にいなかった。

 作り置きしていた食事は綺麗に食べてくれていた。

 食器は洗われ、ちゃんと食器棚に仕舞われている。


「お兄さんの分です」という書き置きの余白に、「おいしかったです ご馳走様」と書かれていた。

 律儀なお兄さんらしい。


 それからまた別の書き置きがあって、そこには千葉の浦安ダンジョンにキャンプに行くむねが記されていた。


「入れ違いになっちゃったみたいだね」

「ま、仕方ないよ。お兄ちゃん、キャンプのことしか頭にないし。そんなことより、ケーキ食べよ」

「……」

「どうしたの、春奈」

「朝にさ、強がるのはやめなって話をしたばっかりでしょ」

「別に強がってるわけじゃ……」


 アンリの言葉は尻すぼみになる。

 しばらくして、


「……でも誕生日くらいは、ずっといてくれてもいいのにな、とは思う」


 と弱々しく言った。


「それでいいの。アンリがお願いしたら、お兄さんは絶対に聞いてくれるんだから」

「……うん」

「そもそもお兄さんがさっさとキャンプに出かけちゃったのも、変な気遣いからだと思うよ。家にずっと居座るのも申し訳ない、みたいな。だからお兄さんのためにも、ちゃんと言ってあげないと」


 昼にあれだけ食べたから、晩御飯は抜きだ。

 でもケーキは別腹。

 フルーツてんこ盛りのケーキを切り分ける。


 さすがに二人でホールを食べるのは無理だから、残りを冷蔵庫に入れようとして……。


「……アンリ」

「なに?」

「このケーキ、明日にしよっか」

「え? でもいたんじゃうし、早く食べたほうがよくない?」


 私は冷蔵庫から、紙箱を取り出してアンリに見せる。

 今朝けさにはなかったものだ。

 昔ながらのシンプルなケーキが売りの、近所の個人経営の小さなケーキ屋のものだ。

 値段も手頃だから、なんてことない日でも、よく利用しているお店だった。


 誕生日には少しお高めのものを、と思って有名店で予約をしたけれど……。

 普段から食べているものでも、これは特別だ。


「そうだね……せっかく買ってくれたんだし……」


 アンリも照れつつ、嬉しそうにしている。


 箱を開けると、ショートケーキとモンブランが入っていた。


「あ……」

「どうしたの、春奈」

「ううん、なんでもないよ」


 ケーキを皿に写し、テーブルにまで運ぶ。

 カフェインレスのコーヒーを淹れて、私はそのままブラックで、アンリの分はカフェオレにして、買ったばかりのマグカップに注いだ。


(お兄さん、私がモンブラン好きなこと、覚えてくれてたんだ……)


 ケーキを食べ終えると、シャワーをさっと済ませる。

 朝から色々ありすぎて、今から浴槽を洗う気になれなかったからだ。


 まだ日付も変わっていない時間だったけれど、お互い疲れていて、自然と眠る流れになる。


 寝室はセパレートになっていた。

 世帯向けのマンションだから、間取りが元々そうなっているのだ。

 ウォークインクローゼットが中央にあってベッドも離れているし、私が寝室とプライベート空間を切り離したい人間だから、そのまま二人の寝室として利用しているのだ。

 私とアンリは、気を遣うような間柄でもないし。


「おやすみ、アンリ」

「おやすみ〜」


 挨拶をして、お互いがお互いのベッドに潜り込んだんだけど……。

 次の瞬間、私は飛び上がる。

 勢い余って、ベッドから転がり落ちた。


「ど、どうしたの春奈っ。すごい音したけど……」

「なんでもないっ! なんでもないからっ。ちょっと足を滑らしちゃっただけで……」

「そう? ならいいんだけど……」


 私はバクバクと脈打つ心臓を抑えながら、ベッドに戻った。

 布団にくるまりながら、大きく息を吸う。


(お兄さんの匂い……)


 考えてみれば、お兄さんが私たちの寝室に入ったことなんて一度もないんだから、どっちがアンリのベッドなのか、わかるはずがないのだ。


(だったら聞けばいいのに……)


 お兄さんのことだから、また変な気の使い方をしたのだろう。

 あたふたしてるお兄さんの姿が脳裏に浮かんだ。


「どっちがアンリのベッドなんだ? さすがに春奈ちゃんのベッドを使うわけには……でも説明されなかったってことは、どっちでもいいってことなのかな……聞きに戻る? でもなんかそれもキモくないかな……十歳も年下の、妹の友達を意識してるみたいで……向こうは俺のことなんて異性として見てないだろうし。なのに俺が変に意識するのも、逆によくないのか……」


 なんてグダグダ考えて、寝室の中を行ったり来たりするのだ。

 その姿を想像して、笑いが込み上げてくる。

 アンリにバレないように、私は布団に潜った。


 布団に、お兄さんの匂いに包まれながら、私はクスクスと笑い続けた。

 五分でも、十分でも。


 そうやって、私は必死に目を逸らす。

 この胸の、この疼痛とうつうから。


 アンリとは、ずっと友達でいたいから。

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