第9話 誕生日、アマビエ問題

 私はジャーマンスープレックスを食らったみたいな格好から立ち上がり、またアンリの横に戻った。

 お兄さんもお風呂でリフレッシュされたのか、今度は抵抗なく私たちの向かいのソファに腰を落ち着ける。


「アンリ、なにか飲む?」

「そうね。じゃあコーヒーをもらおうかな」


 普段はコーヒーなんて飲まないくせに、本当になんのアピールなのか。


「私の飲み掛けでいい?」


 新しいのを入れてもどうせ残すし、という言葉は飲み込んだ。


「ええ、いいわよ」


 アンリはもう冷めてしまっているアメリカーノを一口啜る。


「……」


(すっごい不味そう……だからやめとけばいいのに……)


「ふむ。結構なお手前ね」


(アメリカーノに侘び寂びを持ち込むな)


 アンリはすぐにマグカップを置いた。 


「それにしても、今回は帰ってくるのがやけに早いね。いつもは最低でも二週間は戻ってこないのに。なにかあったの?」

「なにかあったって、それはほら、あれだよ」

「あれって?」

「だから、今日はアンリの誕生日でしょ」

「え?」


 寝起きのドタバタで、素で忘れてしまっていたらしい。


「ああ、そうだったっけ? この歳になると、誕生日とかどうでもよくなっちゃうから」


 この歳もなにも、ただの思春期だ。

 中学生時代の私にも、斜に構えてそういう時期があった。


「あ、そうなんだ……一応プレゼントも買ってきたんだけど」

「……まあ、もらってあげてもいいけど。せっかくだし」

「ありがとう。これなんだけど……」


 お兄さんは申し訳なさそうに、小さな紙袋をアンリに渡した。


「ごめん、俺貧乏だからさ。それに、女の子が喜ぶものとか、よくわからなくて……色々と悩んだんだけど」


 紙袋から出てきたのは、小さなテディベアだった。


(これは……)


 見るからに安物の量産品だ。

 高校生の妹に贈るものとしては、正直……。


「……っ」


(超嬉しそう!)


 必死にポーカーフェイスを保っているけれど、耳は真っ赤だし、口元なんてニヤけてしまっている。

 まあアンリにしてみれば、お兄さんがキャンプを切り上げてまで誕生日を祝ってくれた、という時点ですでに十分なのだろう。


(だったら素直に喜べばいいのに……なんなんだろう、最近のこのスタンスは……)


「……ありがとう」

「うん。あと、ついでにこれ。拾い物で悪いんだけど」


 お兄さんは懐から巾着袋を取り出した。

 ダンジョン省が配っているあの有名な巾着だ。


「綺麗な宝石とか鉱石とか集めてきてさ」


 中から出てきたのは、紅玉、フェアリーストーン、炎羅えんら水晶、霊羅れいら水晶、魔女の涙、陰陽石いんようせき妖氷玉石ようひょうぎょくせき、エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ……。


 末端価格で総額十億はくだらないだろう。

 こっちはこっちで、高校生の妹に贈るものとして間違っている。


「あ、うん、どうも」


 どうやらアンリは、ぬいぐるみの方がお気に召したらしい。


 お兄さんは、ふぅ、と一息つく。


「さて、次はどこにキャンプしに行こっかな」


 アンリの誕生日を祝った途端にこれだ。

 本当に、キャンプと妹のことしか頭にない人だ。


「拠点を移すんですか? 東池袋、気に入ってたのに」

「そりゃだって、なんかあそこの人たちから嫌われてるみたいだし……」

「あ、それは……」


 私は速攻で話題をそらす。


「どこのダンジョンにするか、目星はつけてるんですか?」

「いや、まだかな。本当は久々に海外のダンジョンに潜ってみたいんだけど」

「色々と、ややこしいですもんね」


 ダンジョン関連の法律は、当たり前だけど国ごとによって全然違う。

 でも「外国人が自国のダンジョンに潜ることを好まない」という点では、どこの国も共通している。

 ダンジョン産業は、今や国力を左右するほどまでになっているのだ。

 それが外国に流れることを、良しとする国があるわけがなかった。


(まあ、お兄さんの目的はあくまでキャンプで、アイテムには関心がないから、むしろ歓迎されそうだけど……)


 その提案をしてあげられないのが、もどかしいところだ。


「やっぱり国によって、ダンジョンって全然違うものなんですか?」

「そうだね。どこのダンジョンも、ゲート周辺の影響を受けてる感じがするね。国内ですら地域差があるし。都会のダンジョンは、プレーンというか、クセがないんだよ。でも田舎の方だと、地元の民間伝承を元にした魔物が出てきたりさ」

「海外のダンジョンだと、日本で知られていないモンスターとかバンバン出てきますもんね」

「そうそう」

「でもメドゥーサやドラゴンなんかは、もともと日本のじゃないですよね?」

「そこは認知度の問題なんじゃない? ほら、アマビエとかもさ」

「ああ、アマビエ」


 ダンジョン研究家の間で、アマビエ問題と呼ばれているやつだ。

 SNSで話題になり、アマビエは急に認知度を得た。

 するとその後に出現したゲートで、ダンジョン内にアマビエが出没するようになったのだ。

 それまでは一度も目撃されたことがないのに。


「アマビエ以前、アマビエ以後、なんて呼ばれてますよね」

「やっぱり認知度次第なんだろうね」

「不思議ですよね、本当に。そこがダンジョンの魅力なんですけど」


 私たちがダンジョン談義に花を咲かせていると、隣でアンリがソワソワとし始める。


「アンリはどう思う?」


 話に入りたいのだろうと気を使ったのに、水を向けた途端に、またすんと取り澄ます。


「別に?」


 張り倒してやろうか。

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