第8話 妹、アンリ
寝室の扉がバーン! と勢いよく開いて、パジャマ姿のアンリが飛び出してきた。
「グッモーニン! エブリワン!」
「あ、おはよう、アンリ」
「春奈ぁ!」
アンリの位置からでは、リビングの隅に立つお兄さんが視界に入らなかったのだろう。
私を見つけるなり、飛びついてくる。
アンリは月に二度くらい、寝起きでやたらとテンションが高い日があるのだ。
タイミングが悪いことに、ちょうど今日がその日だったみたいだ。
「春奈春奈春奈ぁ! ああ、我が友よ! そなたはどうしてそう美しいんだい! 春奈ぁ! 愛してるぜぇ!」
「あ、ちょっと、アンリアンリ」
「ん? なに?」
「お兄さん、帰ってきてる」
「え?」
「あ、ただいま、アンリ」
「……」
アンリは何事もなかったように立ち上がると、そのまま無言で寝室に引き返していった。
リビングにえげつない空気だけを残して。
「……」
「……」
「あ、もうお風呂沸いてると思うので」
「ああ、そうだね。じゃあ、お言葉に甘えて」
お兄さんが浴室へと向かう。
それからしばらくして、またバーン! と寝室の扉が開いた。
先週一緒に買いに行ったばかりの服をビシッと着こなしたアンリが、モデルみたいなポージングと共に飛び出してくる。
「……あれ?」
「あ、お兄さんならお風呂。昨日の残り湯だけど」
「あ、そうなんだ」
ちょっと拍子抜けした様子で、アンリが私の隣に腰掛ける。
「ん? ちょっと待って。昨日の残り湯?」
「うん、そうだけど」
「え!? お兄ちゃん、私たちの残り湯に入ってるの!?」
「アンリって、そういうの気にする人だっけ?」
「いや、私は兄妹だし、別に……春奈は気にならないの?」
「う〜ん……あんまり気にならないかなぁ」
「そう? 春奈がいいなら、別にいいんだけど……でもなんか、女子高生二人の残り湯って、犯罪臭しない?」
「する」
「じゃあなんで止めないの!?」
耳まで真っ赤だ。
可愛い。
「そんなことよりさ、いつまでお兄さんを騙すつもりなの」
「……騙すってなによ」
「配信が世界中で話題になってること」
「別に騙してるわけじゃないし……ただ伝えてないだけで」
アンリが目をそらす。
「こら、こっち見なさい」
「……」
「私もいい加減辛いんだって。ごまかしたりするの」
「……仕方ないじゃん。お兄ちゃん、注目されるの苦手だし。多分本当のこと知ったら、配信しなくなっちゃうし」
「それは、まあ」
百人程度で緊張するって言ってたくらいだ。
「じゃあせめて世間の誤解を解くとかさ。知ってるでしょ。お兄さんが同業者から恐れられてるの。そのせいで誰も近づいてこないって、傷ついてたよ」
正確には自分が臭いと勘違いして傷ついていたのだが。
(今の言い回しは、ちょっと卑怯だったかな……)
アンリは辛そうな顔をする。
「それは……」
「やっぱりあれ? お兄さんに女の人が寄ってくるのが嫌だから?」
「な、なんでそんな話になるのよ!」
「だってアンリ、お兄さんのこと大好きじゃん」
「違うわよ! そんな理由じゃなくて……。そう、ブランディングよ! ブランディング!」
「ブランディング?」
「恐れられてるくらいでちょうどいいのよ。そっちの方が配信だって盛り上がるし、その分お金だって稼げるし!」
「お金ねぇ」
「実際そうでしょ? こんないいマンションに住めてるのも、お兄ちゃんの配信活動があってこそなんだし。お兄ちゃんには、これからも頑張ってもらわなきゃいけないの!」
「ふうん。あ、そういえばお兄さん宛にメッセージが届いてたんだった」
「メッセージ?」
私は端末を立ち上げ、お兄さんの配信アカウントに届いたメッセージを読み上げる。
「『ジローさん、好き好き大好き超愛してる! 私と結婚して! 都内の大学に通う十九歳、Gカップ! 連絡先はーー』」
「ブロックじゃボケェ! お兄ちゃんに近づくな雌豚がぁ!」
光の速さで端末を取り上げられた。
「……」
「はっ! ち、違う! これは……」
「アンリ、配信のコメントも、恋愛系全部NGワードにしてるわよね」
「だから……そ、それもブランディングだから! そういうのを排除した方が、稼げるって判断して……」
「じゃあちょうどよかった」
「なによ、ちょうどよかったって」
「お金が欲しいんでしょ? ほら、この間のポーションのレシピ、お兄さんに教えてもらったの。これがあれば、何百億って稼げるかも」
「いや、それは、でも……」
「なに?」
「そういうのは、なんというか……必要としてる人がたくさんいるだろうし……それにほら! そういうのを無料で公開したら、お兄ちゃんの株も上がるでしょ? それでさらに配信の収益も……」
「さすがに何百億って額に見合うとは思えないけど」
「でも……お兄ちゃんなら、きっとそうするだろうし……それで誰かが助かるならって……」
「……ふふ。さすがアンリ。お兄さんのこと、よくわかってるわね」
「え?」
「実はもう許可はもらってるの。無料で公開していいって」
アンリの顔がカッと赤くなる。
(あ、まずい……怒らせちゃった……)
「春奈……」
「ごめんごめん。意地悪のつもりで、こんな話をしてるんじゃないから」
「……じゃあなに」
「私、ずっと思ってたんだよね。配信活動なんて、やんなくてもいいんじゃないかって」
「どうして?」
「目的がわからないから。お兄さんが望んでるわけじゃない。アンリも、なんかそれっぽい理由をこじつけてるだけ。なんのためにお兄さんを騙してまで、こんなことしてるんだろうって」
「……春奈は、嫌なの?」
「嫌じゃないよ。私は自分で潜る度胸はないけど、ダンジョンが好きだから。お兄さんの配信に関われるのは、すっごい嬉しいよ。でも……」
私は言葉をまとめるために、少し時間をとった。
「ほら、最初はビデオ通話をしてたんでしょ? どこにも公開せず、二人だけで。だったら今も、それでいいんじゃないかなって。役に立ちそうな情報があったら、その都度匿名で公開すればいいだけなんだし。そしたら、お兄さんが注目されることはない。誤解されて恐れられることも、金や知名度目当ての女が寄ってくることもない。私たちはお兄さんを騙したりせずに済む。お金なんて言ってもさ、別に配信の収益なんてなくても、私が二人を養ってあげられるし」
「でもそんなの、友達として……」
「実の兄は騙すのに?」
アンリは黙り込んでしまった。
でもやがて、首をふるふると振る。
「……嫌だ」
「どうして?」
「……お兄ちゃんに変な女が寄り付くなんて嫌。でも誤解されて避けられてるのも嫌。嘘つかなきゃいけないのも、騙してるみたいなのも嫌」
アンリの声は、次第に激しさを増していく。
「だったら……」
「でも! それ以上に、お兄ちゃんが見くびられるのが嫌なの!」
「……別に泣くことはないじゃない」
「な、泣いてない!」
「いやいや、泣いてる泣いてる。てかもう号泣してるじゃん」
「うぅ……だ、だってぇ! お兄ちゃん本当はすごいのにっ! なのにみんな、名前が変だからってお兄ちゃんのこと馬鹿にしてぇ! お兄ちゃん、人付き合いが嫌になってダンジョンに籠っちゃうし……本当はお兄ちゃん、超すごいのにぃ!」
「わかったわかった。ごめんね」
私は泣きじゃくるアンリを抱き寄せる。
「そういう理由なら、私もこれまで通り、配信活動を手伝うからさ」
「……ありがとう」
「でも、そういう胸の内は、もっとちゃんと打ち明けて欲しいな。友達なんだから」
「……うん、ごめん」
「いいよ」
アンリの頭を優しく撫でる。
アンリも私の背中に腕を回してきて、ぎゅっと抱きしめ返してくる。
そうやって友情を確かめ合っていると、リビングの扉が開いてお兄さんが入ってきた。
その瞬間、私はアンリに思いっきり突き飛ばされた。
「いやー、いいお湯だった。……って、春奈ちゃん、なにしてんの?」
「お気になさらず」
「いや気になるから。そんなジャーマンスープレックス食らったみたいな格好で床にひっくり返ってたら……」
私を突き飛ばしてジャーマンスープレックス食らったみたいな格好にしやがったアンリはというと……。
さっきまでガキみたいに泣きじゃくっていたくせに、すんと取り澄ましてやがる。
足を組み、ソファにふんぞり返って、指で毛先をいじったり、爪をじっと見つめてみたり。
まるでドラマとかに出てくる「高飛車ないい女」だ。
「……ねえ、最近のアンリのそれはなんなの? どういうアピール?」
「は? アピール? なにそれ、意味わかんない。これが私の素だけど?」
「……」
なんなん、こいつ。
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