第10話 恩人、狂えるくらい好きなもの

 お兄さんが大きくあくびをする。


「そういえば、体内時計が狂っちゃってるって言ってましたね」

「うん。ダンジョンに潜ってると、どうしてもね」

「少し眠ったらどうですか?」


 また大きくあくびをして、


「そうさせてもらおうかな」


 そのままソファに横になろうとする。

 私は寝室を指差した。


「ベッド使ってくださいよ。アンリも、別にいいよね?」

「好きにすれば?」

「いや、大丈夫。普段ダンジョンで寝てるんだし、ソファなんて天国だよ」

「私たちが気を使うんですよ。そんなところで寝られたら」

「……」


 気を使いがちなお兄さんには、やっぱりこれが一番効く。


「というか前にも言いましたけど、お兄さんの部屋を作っちゃえばいいじゃないですか。ね、アンリ」

「好きにすれば?」

「う〜ん。でもたまにしか帰ってこないし、すぐにまたダンジョンに潜っちゃうし、わざわざ俺のためにスペース作ってもらうのもなぁ」

「だから気を使いすぎですって……」


 もう面倒だから、次帰ってくるまでには、お兄さんの部屋を勝手に作っておこうと心に決める。


「とにかく、ゆっくり休んでください。お風呂上がりなんだから、臭いとも汚いとも言わせませんよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて……」


 しぶしぶといった様子で、お兄さんは寝室に入っていった。


「ふぃ〜」


 アンリが気の抜けた声を出しながら、私の太ももに倒れ込んできた。

 相当気を張っていたみたいで、脱力し切っている。


「本当に、どうしたのよ、最近。そんな疲れてまで、あんな変な態度とって」

「変じゃないし。別に私の勝手でしょ」

「でもあんな態度、お兄さんに失礼じゃない」

「え? 失礼?」

「当たり前でしょ、あんなブスッとしてさ。なに、『好きにすれば?』って。私まで嫌な気持ちになったからね」

「いや、あれは……本当に好きにすればって思ったから……」

「ああ、そう。じゃあもう好きにすれば?」

「すっごい傷つく!」

「でしょ? お兄さんは心が広い上に鈍感だから、気にしてないみたいだけど、普通だったら嫌われてもおかしくないからね」

「嫌われるって……でも……」


 アンリはチラとダイニングの方に視線をやる。

 その先には、ダイニングテーブルに置かれたファッション雑誌が。

 アンリが最近購読してるものだ。


「ぎゃっ」


 私が急に立ち上がったものだから、私の太ももを枕にしていたアンリがひっくり返った。

 でもまあ、ジャーマンスープレックスに比べたらなんてこともない。

 私は雑誌の元まで歩いていく。


「ああっ、ダメ!」


 アンリが追いかけてきて、雑誌を取り返そうとする。

 でも私とアンリの身長差は二十センチ近い。

 リーチはそれ以上だ。

 片手でアンリを抑えながら、もう片方の手でパラパラと雑誌をめくった。

 角が折られ、付箋までついたページが目に止まる。


『いい女特集!』というクソみたいな記事が載っていた。


「クールビューティーが好かれる五つの理由」

「無闇に笑顔を見せるべからず」

「男が本能的に魅了を感じる女性の仕草は?」

「『好きにすれば?』は魔法の言葉」

「無愛想だからこそのギャップに、男もイチコロ!」


 内容もクソだった。


「アンリ……」

「ち、違う! この記事に影響されたとかじゃなくて……」

「アンリ」

「た、確かにちょっと、かっこいい女性に憧れはあるけど……でも別にお兄ちゃんにアピールしてたとかじゃなくて。ほら、その、いつかの練習というかっ」

「待って、アンリ。これガチのやつだから。ちゃんと聞いて」

「え? ガチのやつって……」

「イジろうとか、からかおうとか考えてるんじゃないの。これはガチのやつ。マジで今すぐやめな。じゃなきゃ友達やめるから」

「そんなに!?」

「これはダメ。最初は背伸びしてる感じが、ちょっと可愛いなって思ったりもしたけど、やっぱキツイわ」

「キツイって……」

「痛気持ち悪い」

「痛気持ち悪い!? なにその最悪なマッサージみたいな!?」


 こういうのは、ちゃんと言ってあげるのが優しさなのだ。


「い、痛気持ち悪い……痛気持ち悪いって……そんな、言い過ぎじゃ……」


 大ダメージを与えてしまった。

 今にも泣き出しそうだ。


(でもこれくらい言わないと伝わらないし……)


 こういう姿を見ていると、お兄さんとアンリは本当に兄妹なんだなって思う。

 二人とも、まともなフリをしているけれど、やっぱりどこかズレている。

 たまに、同じ人間とは思えなくなることがあるほどだ。


(まあ、そこが二人の魅力なんだけど……)


「うぅ……」

「泣かないでって。あのね、アンリ。アンリって、強がったり本心を隠したりすることがよくあるでしょ。配信する本当の理由を、私にすら黙っていたりさ」

「それは……ごめんって……」

「責めてるわけじゃないの。私が言いたいのは……」


 少し屈んで、アンリと視線を合わせる。


「素のアンリが、一番可愛いってこと。だから無理に背伸びしたり、強がったりする必要はないの。わかる?」

「……」


 アンリはこくりと頷いた。


「ならよし」


 アンリの頭を、くしゃくしゃと撫で回す。

 するとアンリは、恨めしそうに、上目遣いで睨んできた。

 でも涙が浮かんでいるから、全然迫力がなかった。


「どうしたの?」

「……ねえ、春奈。あなた、忘れてない?」

「なにが?」

「私の方が年上だってことをよ! 私の方が一個先輩なんだからね!」

「そうだっけ?」

「そうよ! てか今日誕生日なんだから、今は二歳差じゃない!」

「あはは。冗談だって。忘れるわけないじゃない。アンリが私を救ってくれたこと」

「いや、救ったって……そんな大袈裟な話をしてるわけじゃなくて……」

「大袈裟でもなんでもないよ。それが事実だから」


 アンリと出会っていなければ、私は今頃、引きこもっていたと思う。


 普段のアンリは、本当に格好いいのだ。

 しっかり者で、頼りになって、正義感が強くて、頭も運動神経も良くて……。


 私の恩人で、憧れの人。

 なのにお兄さんが絡むと、途端にポンコツになってしまう。


(そういうところも、お兄さんと似てるんだよなぁ)


 お兄さんも、普段は落ち着いていて、素敵な大人の男性って感じだ。

 それなのに、キャンプ中はポンコツ極まりない。

 やけにテンションが高いし、無意味な無茶を繰り返す。

 まるで夏休み真っ盛りの小学生男児みたいだ。


(お兄さんにとってのキャンプが、アンリにとってのお兄さんなんだろうな)


 呆れる反面、素直に羨ましい。

 狂えるくらい好きなものが、私にはないからだ。

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