第5話 春奈のモーニングルーティーン

 アンリを起こさないように、そっと寝室を出る。

 トイレに行き、歯を磨き、電解質を加えた常温の水を飲んで、フェイスケアをする。

 それからコーヒーマシンのスイッチを入れ、電気ケトルで水も沸かしておく。


 コーヒーができるまでの時間で、ストレッチと軽い運動を。

 大きめのマグカップにコーヒーを注ぎ、お湯で薄める。

 朝はアメリカーノと決めているのだ。


 窓際のソファに腰掛けて、コーヒーをちびちびと飲みながら、デジタルデバイスでダンジョン関連のニュースを拾っていく。

 いつもの朝のルーティン。


 意識の高いアラサーみたいだと自分でも思う。

 高校生とは思えないと、何度言われてきたことか。

 でもこれが等身大の私なのだから、仕方がない。


「……ん?」


 まず目に止まったのは、ダンジョン省の公式の謝罪文だった。

 ざっと目を通す。

 どうやらダンジョン省の職員がSNSで不適切な投稿をしてしまったみたいだ。

 驚いたのは、ダンジョン省が全面的に非を認めて陳謝ちんしゃしていることだ。


(たかが職員の投稿程度で?)


 さらに信じられないことに、その投稿がされたのは今朝のことらしい。


(あまりにも対応が早い……)


 私じゃなきゃ見逃しちゃうレベルだ。

 これは……。


「ジロー臭がしますなぁ」


 私はDを立ち上げる。

 投稿はとっくに削除されていたけれど、スクリーンショットが大量に出回っていた。


『マジでやばい!

 あのネットでよく話題になってる人!

 ゲートの検査、私が担当だったんだけど、超怖かった!

 無口でボソボソ喋るし、

「俺に触れたら、ただじゃおかねぇ」

 って感じで脅してくるし!

 絶対まともな人じゃないよ、あの人。

 私も配信の切り抜き何度か見たことあるけど、

 あんなのほほんとしたの、完全に演技だから。

 誰とは言えないけど、みんなも気をつけて!』


「あらら」


 一応名前を出さない程度のネットリテラシーはあるみたいだ。


「でもこれじゃ、誰のことに言及してるか丸わかりよね」


 過去の投稿から瞬く間に所属や氏名が特定されてしまったみたいだ。

 軽い気持ちだったのだろう。

 まさかこんな大事おおごとになるなんて、彼女は夢にも思ってなかったはずだ。


「ネット社会は恐ろしいねぇ」


 同情はするけれど、まあ自分で蒔いた種だ。


「それにしても、ダンジョン省はどれだけビビってるんだか」


 気持ちはわからないでもない。

 ジローの評価は、大きく二つに分かれる。


 一つが、ジローの配信活動の視聴者。

 いわゆるファンたちの評価だ。


 ダンジョンがこれだけ盛り上がっていても、冒険者になろうとする命知らずはごく少数だ。

 せいぜいダンジョンパークを散策するのが関の山。

 ダンジョン配信が盛んで、わざわざ危険を犯さなくても、安全な部屋の中で擬似体験ができるのだから。


(そのせいで、別の問題も起きてるんだけど……)


 例えば死示厨しじちゅう

 わざと危険に導くようなコメントをして、冒険者を困らせる連中だ。

 実際それで駆け出し冒険者が命を落としていて、海外では逮捕者も出ている。

 今ではかなり規制が進んだけれど、それでもまだまだ根強く残る問題だ。


(まぁ、お兄さんはコメント見ないから、関係ないんだけど)


 とにかく、そういったライト層にとっては、ジローの配信はとにかく面白いのだ。

 派手で目新しく刺激的。

 ジローの異常さを頭では理解しつつも、本人が天然でトラブルを起こしてばかり。

 そのギャップが人気につながってすらいる。

 視聴者にとってジローは、面白い配信者でしかないのだ。


 だけどもう一方、冒険者たちからの評価はまるで違う。

 実際にダンジョンに潜る彼らは、ジローの異常さを情報としてではなく、実感として理解できてしまうのだ。

 配信のあの気の抜けた雰囲気。

 それが余計に、ジローの異質さを際立たせる。


 畏怖いふ


 冒険者にとって、ジローは神や悪魔に等しかった。


 ダンジョンパークには多くの観光客がいる。

 中にはジローのファンもいるはずだ。

 でも誰も彼に話しかけない。

 周囲の冒険者が発する異様な雰囲気に、ジローのファンも萎縮いしゅくしてしまうからだ。

 まるで暗黙の了解のように、みなが彼を避けていく。


 一年ほど前までは、ここまでではなかった。

 ジローの強さ、異常さは界隈かいわいでは有名だったけれど、知る人ぞ知るといった感じだった。

 それが世界的に有名になったのは、やはりあれが原因だろう。


 ミボランテ事件。

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