第4話 オロチマル
「オロチマルが逃げ出した! 誰か、冒険者!」
切迫した、男の野太い声。
騒ぎの
見世物として捕らえていた魔獣が逃げ出したようだ。
ダンジョンエラーが起きたわけではないと知り、俺は胸を撫で下ろす。
「おい、お前いけよ。B級だろ」
「いや、今日は非番だし……それに、あんな強い魔物を単独でなんて……」
ヒソヒソと交わされる声。
自分が動かなくても、誰かが……。
そんな空気を切り裂くように、俺は駆け出した。
オロチマル。
上半身が人で、下半身が巨大な蛇の魔獣だ。
肌は灰褐色で、顔は
体つきから、かろうじて女性であることがわかる。
髪の毛もよく見ると、無数の小さな蛇で構成されていて、石化能力こそないが、見た目はまんまメドゥーサだ。
(誰だよ、メドゥーサにオロチマルなんて名前を付けたやつは……)
ゾンビというネーミングのせいで『感染する』という風評が広まっていることを考えると、正しい判断と言えなくもない。
見た目のままにメドゥーサと名付けていれば、きっと石化能力があると思い込む人が大勢いただろう。
(だからって、オロチマルは悪ノリが過ぎるだろ……)
そう思ったものの、今はそれどころではない。
オロチマルは今まさに、女性に襲い掛かろうとしているところだった。
その鋭い爪が女性を引き裂く寸前……。
俺はオロチマルの首を切り落とした。
「ふぅ……」
ギリギリだった。
大して強くないとはいえ、魔獣であることに変わりはない。
「あ、ありがとうございます……助けていただいて……」
腰が抜けたように座り込む女性が声をかけてくる。
綺麗なお姉さんだった。
とは言っても多分俺より年下だが、精神年齢が十代で止まっている俺にはお姉さんに感じる。
すすっと、彼女から距離をとった。
それから彼女の服装が、ピエロをモチーフにした可愛らしいドレスファッションであることに気づく。
サーカスの従業員なのだろう。
(あ、しまった! 余裕がなくてつい殺しちゃったけど、このオロチマルはサーカスの所有物なんだ……いくら魔獣とはいえ、弁償させられるんじゃ……)
困った。
俺はど貧乏なのだ。
オロチマルの弁償代がいくらかは知らないが、とても俺じゃ払えない。
(オロチマルを捕まえてきたらいいのかな? いやでも、調教にかかったコストとか考えると、それだけで済むはずが……)
あたふたと全身をまさぐり、ソロキャンプ中に拾った指輪を彼女に差し出した。
「……え?」
こんなもので弁償になるかわからないが、せめてもの罪滅ぼしとして。
文句を言われる前に立ち去ろうと、俺は彼女に背を向けた。
「あの! 待ってください!」
やはり、呼び止められるか……。
でも俺は振り向くことはせず、雑踏に紛れた。
(ごめんなさいっ。それが俺にできる精一杯なんですっ)
罪悪感を引きずりながら、ダンジョンの出口へと向かった。
ゲートを守るように、大きな建物が建っている。
空港の検査場のようなものだ。
ダンジョン省の職員が、出入りする人の管理を行っている。
結構な人数が並んでいて、俺はその最後尾に並ぶ。
すると用事を思い出したのか、一人二人と列から抜けていき、五分と待たずに俺の番になる。
(こういうこと、よくあるんだよな……興味本位で飯屋に入った時も、気づいたら俺以外の客が店内からいなくなってたし……まさか……)
信じたくないけれど、それ以外には考えられなかった。
(俺ってそんなに臭いの!?)
ちなみにその飯屋には、ゲテモノ魔獣料理を名乗っていたから入ったのに、出てきたのは大して珍しくもない料理だった。
確かに地上では食べられないものばかりだったけれど……。
その程度でゲテモノを名乗るなんて、苦情が来ないか心配になったものだった。
「あの……」
女性の検査員に話しかけられ、俺は我に帰った。
「……」
歯もちゃんと磨いてはいるが、それでも臭う可能性がある。
俺は無言で観光パスを渡した。
それからダンジョン内で得たアイテムを机の上に並べていく。
「これは……オリハルコンの……」
俺はこくりと頷いた。
それ以外にも、竜王の牙、三ツ首ドラゴンの逆鱗、ミスリル鉱石、宝剣、用途不明だけど馬鹿でかい鍵、不死鳥の尾、エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ。
女性がごくりと唾を飲む。
なんだかとても緊張しているみたいだ。
まだ二十歳くらいの女性だから、仕事に慣れていないのだろう。
十代の頃、キャンプ資金のためにコンビニでバイトしたことがあるけれど、初めてレジに立った時の俺もこんな感じだった。
ちょっと微笑ましく思いつつ、適切なチュートリアル客として振る舞おうと心に決める。
「これを、全て納めるんですか?」
俺はまた頷く。
そういう決まりだ。
観光パスでは、配られた巾着に入る分しか持ち帰ることができない。
俺はダンジョン省のロゴと、マスコットキャラのダンとジョンがプリントされた巾着を掲げた。
「規則は、ちゃんと……」
それから、はたと気づく。
彼女は俺が差し出したアイテムが全てだと、信じていないのではないか。
「まさか、身体検査を……?」
これまで身体検査なんてされたことはない。
その辺は、なあなあになっているものだとばかり思っていた。
俺は最低限の荷物しか持ち込んでいないから、隠してアイテムを持ち出すにしても高が知れている。
でもこの子は新人さんみたいだし、規則を律儀に守ろうとしているのかもしれない。
(まずい……今の俺は、避けられるくらい臭いのに……)
若い女性(しかもかなり可愛い)に臭いと思われたら立ち直れない。
「い、いいえっ! 滅相もございません! どうぞ、お通りになってください!」
俺はほっと胸を撫で下ろし、すぐに検査場を離れる。
(ああ……失礼客みたいになってしまった……)
俺もコンビニバイト中に、ずっと無愛想な失礼客に何度も遭遇した。
むしろそっちの方が大多数だ。
中には完全に無視してくる人もいて……。
(だからこそ自分は、丁寧に接しようって心がけてきたのに……)
まあでも、その程度の失礼客なんてよくいるものだ。
最適なチュートリアル客ではなくても、経験値稼ぎの雑魚敵くらいにはなれたはずだと、そう自分に言い聞かせる。
(それにしても、本当に自意識過剰だよな、俺って……)
人との関わりを避けるためではなく、己の自意識から解放されるために、俺はソロキャンプをしているのかもしれない。
そんなことを考えながら、ゲートにくぐった。
一週間ぶりの地上だ。
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