第2話 ソロキャンパー、ジロー

 俺の名前は鈴木ジローラモ。


 こんな名前だけど、純日本人だ。


 両親が新婚旅行でイタリアにいる時にできた赤ちゃん、いわゆるハネムーンベイビーが俺である。


 新婚の熱が冷めやらぬまま、ノリと勢いだけで純日本人の息子をジローラモと命名。


 そうして俺、鈴木ジローラモが誕生したわけだ。




 俺はジローという名前で、ソロキャンプ配信をしている。


 そうなるまでの経緯を説明すると、これが少々ややこしい。


 話が俺の幼少期にまで遡ってしまう。




 発端ほったんはやはり名前だった。


 純日本人のくせにジローラモなんて名前は、子供からすれば格好のネタだ。


 俺は物心ついたころから、からかわれ続けた。


 イジメってほどではないけれど、それでも精神的には辛いものだ。




 からかわれ続けて八年。


 中学二年の時に、とうとう限界を迎えた。




「一人になりたい」




 人間関係に疲れた俺は、週末に一人旅をするようになり、次第にソロキャンプにどハマりしていった。


 自分だけの空間。


 自然と一体になる安心感。


 誰も俺のことを知らない。


 俺は何者でもない。


 ソロキャンプをしている時だけ、俺は俺がジローラモだということを忘れることができた。




 でも次第に不満が膨らんでいく。


 ソロキャンプとは言っても、完全に一人になれるわけではないのだ。


 キャンプ場には他の利用客も当然いるし、仮に貸切だったとしても管理人がいる。




 そもそもキャンプ場というものに違和感を覚えるようになってしまった。


 人の手が入り、管理された自然。


 それは本当に自然と言えるのだろうか。




 中学三年の夏休み。


 俺はさらなる孤独を求めて山奥に踏み入った。


 そこで自給自足の生活を試みる。




 だけどこれが大きな間違いだった。


 こうなるともう、キャンプではなくサバイバルだ。


 常に死と隣り合わせ。


 野生動物の気配に怯えながら、空腹で眠れぬ夜を過ごした。




「違う……俺が求めているのは、こういうのじゃない……」




 俺が好きなのは、あくまでキャンプなのだ。


 極限状態のサバイバルがしたいわけじゃない。


 やはり妥協して、キャンプ場の仮初かりそめの孤独で満足するべきなのか……。




 サバイバル十二日目の夜。


 俺は空腹に負けて、よくわからんキノコを食べてしまった。


 どうやら毒だったみたいで、一晩中のたうち回る。


 体が焼けるように熱く、喉が異常なほど乾いた。


 苦しみが去ると、後には混濁した意識だけが。




 風と獣。


 無数の星がめぐり、そして落ちてくる。


 生と死の狭間で、俺は一つの真理に辿り着く。




「ああ……。なんだ、簡単なことじゃん……。どんな過酷な環境でも、のんびりキャンプができるくらい強くなればいいんだ……」




 夜が明ける。光が差す。




 運がいいことに、俺は登山客に発見され、病院に担ぎ込まれた。


 毒というより脱水症状がとにかく酷く、三日間入院した。




 退院してからは、鍛錬の日々だった。


 毎日、腕立て上体起こしスクワットを百回ずつ。


 そしてランニングを十キロ。


 ハゲなかったのが不思議なほど、徹底的に体を鍛え抜いた。


 そしてサバイバルに必要な、ありとあらゆる技術と知識を身につけていった。




 高校には進学しなかった。


 学校で学べることに価値を感じなかったからだ。


 両親は反対しなかった。


 それどころか、




「まあ、いいんじゃない?」




 と、めちゃくちゃ軽かった。


 さすが、息子にジローラモと名付ける人たちだ。


 度量が違う。




 ただ一つ困ったことが。


 俺にはアンリという歳の離れた妹がいるんだけど、この妹が俺のキャンプ趣味をものすごく嫌ったのだ。




「ダメ! どこにも行かないで!」


「大丈夫だって、アンリ。お兄ちゃん、しっかり鍛えたし知識も身につけたから。この前みたいなことにはならないよ」


「ダメェ!」




 どうやら俺が死にかけて帰ってきたことが、よっぽどトラウマになってしまったらしい。


 歳の離れた妹に泣きつかれてしまうと、むざむざ無視するわけにもいかない。


 子供だからと誤魔化したりせず、アンリとちゃんと話し合う。


 妥協点として、定期連絡を怠らないことを約束した。




 便利な時代だ。


 どこにいてもテレビ通話で繋がることができる。


 俺は妹をできるだけ心配させないように、こまめに連絡を取るようにした。


 キャンプにデジタルデバイスを持ち込むのは本意ではなかったが、妹と釣り合うほどの信念でもない。




 そのうち俺は国外にまで足を伸ばすようになる。


 世界中を転々としながら、キャンプライフを満喫していた。


 でもたまにトラブルに巻き込まれてしまう。




 樹海の奥深くで自殺志願者と鉢合わせて、身の上話を何時間も聞かされた挙句、復讐の手助をさせられたり。


 麻薬カルテルの栽培場に迷い込んで殺されそうになったり。


 山に捨てられ、狼に育てられた少女を保護したり。


 誘拐現場に出くわして、人身売買組織から少年少女たちを解放したり。




 皮肉なことに、大都会で生活しているよりも、よっぽど根深いしがらみを抱えてしまった。


 俺には人間関係をリセットする悪癖があって、人との繋がりができる度に逃げるように別天地べってんちへと向かった。


 俺が世界中を転々としていた理由の一つがそれだ。




 世界各地を回った結果、俺が辿り着いた真理は「人間はどこにでもいる」というものだった。


 さすが地球の覇者。


 地上で人間の手が及んでいない場所は、俺が見て回った限り、どこにもなかった。




 こればかりはもう仕方がない。


 誰もいない場所を求めて宇宙へ旅立つわけにもいかない。


 なにより現状に、そこそこ満足しているのだ。


 このまま気ままなキャンプライフを送れたらいい。


 俺はそんなふうに考えていたんだけど。




 今から七年前。


 俺が二十一歳になったばかりのころ、ゲートが見つかった。




 アラスカ州北部。


 登山道から外れてしまい、遭難していたフランス人観光客が、それを発見した。




 縦三メートル、横五十センチほどの、




 そうとしか表現できないものが、目の前に浮かんでいた。


 亀裂の向こうには、広大な空間があった。


 ダンジョンだ。




 それから世界各地で、ゲートが発見されるようになる。


 世界中がパニックだ。


 ダンジョン内は、地上に存在しない動植物が跋扈ばっこし、独自の生態系が形成されていた。


 それらが地上にどんな悪影響を及ぼすのか、世界中の人々が恐れおののいていた。




 俺は両親ゆずりのノリと勢いで、比較的警備が手薄だった、タイのタオ島ダンジョンに飛び込んだ。


 そこは俺にとって理想郷だった。


 人跡未踏の地であり、どこにも人の手が加わった痕跡がない。


 ダンジョン内は過酷な環境だったけれど、そんなものは問題にならない。


 俺が強くなればいいだけの話だ。


 重要なのは、そこでは俺が本当の意味で、たった一人になれたことだ。


 それだけで俺には十分だった。




 今のようにダンジョンリンクも存在せず、地上との通信は不可能だった。


 それでも妹との約束を守るため、動画を撮っては妹に送っていた。




「アンリ! 見て見て、馬鹿でかトカゲ牛! なにこれ! なにこれ! あはは!」




 アンリには普通にブチギレられた。




「バカじゃないの! 捕まったらどうする気よ! そもそも、あんな得体の知れない生物がウヨウヨいるところに……。今すぐ帰ってこい、バカジロー!」


「ソラジローの兄弟みたい」


「ブチギレてる妹に言うことがそれ!?」




 当時は一般人のダンジョン立ち入りは固く禁じられていて、しかもダンジョン内は危険に満ちている。


 二重の意味で危ない橋を渡っているのだから、妹が怒るのも無理はない。




 とはいえ、さすがに妹の頼みでも、こんな最高のキャンプ体験を手放すわけにはいかなかった。


 俺は妹に納得してもらうために、必死に解説した。


 ダンジョン内は世間で言われているほど危険な場所じゃないこと。


 実際、楽しくキャンプライフを送っていること。




 俺の熱意が伝わったのか、単純に諦められたのか、妹はもう帰ってこいとは言わなくなった。


 代わりに、妹はこんなことを言った。




「せっかくだし、この動画をネットにアップしていい?」




 それから二年後に、ダンジョンリンクが完成し、俺は配信活動を始めることになる。

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