*閑話* 迷えるモードマリオ



 さて、突然ではあるが、とある異世界ウーグイースに於いて支配者階級の多くが位置する種族に先ず人間種サピエンスが挙がる。


 彼らは身体能力には乏しいが技術力は比較的高い上に魔法技術への啓蒙も時代と共に進んでいる為、経済力の面からなどの修整も加えると総合的には獣人種や亜人種にも劣らないどころか、超越する者が増えていったのである。

 更に、一般的にはやわな肉体を持つ割には彼らの環境適応能力は非常に高く、しかも繁殖力旺盛。

 女王アヴェリアを始めとする“祖の一族”が大陸に覇を成して以降は、それまで均衡を保っていた獣人種と亜人種他を排除し、大陸全土へと急速に活動域を拡げていったのである。

 

 だが、宗教観においてはこの世界の創造神である“自由と混沌を司る女神ウーグイース”よりも彼女が海と大地と空の次に生んだ最初の娘であり、他の女神達の長姉でもある“法と秩序を司る女神メッサイア”を主神とする勢力が最も大きな宗教権力を握っていた。

 その理由を担う説は様々だが、女神ウーグイースは神話における天地創造史で色々と悪評も高く、一部の女神(主に彼女を反面教師にしていた女神メッサイア)から敬遠されていたというものが最も有力で、各聖職者の説く有難い説教にも多様される節がある。

 

 他の各女神にも少なくない信者は存在する(多くは人間種以外)ので、女神メッサイアを信仰する一大勢力を“聖堂”。

 他の女神を信仰する者達とその関係施設などは“教会”と呼ばれていた。



 ――…そして、女王アヴェリアが興した大陸中央の中王国の中心に位置する城塞都市アーバルスにも無論、聖堂勢力が大きな力を以ってして君臨していた。

 

 アーバルスの聖堂は同じ女神を信仰しながらも二つの派閥が存在し、領主ピサロ・ヴァイン・アレクサンダーの居城から右手にある金の聖堂寺院をシャルナーク(派の)寺院。

 左手にある銀の聖堂寺院はキアラルン(派の)寺院と呼ばれている。


 キアラルン派がアーバルスの聖女に認定された若き女司教が女神教の正道を説き、聖なる力と信仰から生まれる武力で民を守り、導くのに対して。


 シャルナーク派の者達は“癒し”によって民衆の心を捕らえていたのである。


 魔法技術に傾いたこの異世界では現代医学のような医療技術はまだまだ拙く、未だにまじないや、効果も怪しい民間の調合薬に頼る他なかったのである。


 だが、シャルナーク派は率先して『神聖魔術』を謳う治療法で人々に救いをもたらしていた。


 だが、実際は――…そのような奇跡があまねく全ての民に与えられることなどなかった。




  $$$$$$$




 とある新参商人エドガーが商人ギルドで号泣する銀髪黒檀の大男とむさ苦しい暑い抱擁を交わしていた頃…。

 

 そこは主に『神聖魔術』による奇跡で癒しの力によって人々の傷や病を癒して救うと謳う城塞都市アーバルスに居する金の聖堂寺院・・・・・・であるシャルナーク派の寺院での一場面であった。



「どうか! どうか息子を助けてくれ!」


「…なりませんな。確かに? 我らシャルナーク派は治癒の御業に長けておりまする。ですがなあ~残念ながら、無償・・の施しとは参りませぬな。我が寺院の秘薬・・は我らの聖気…いや血肉を割いて女神が創りたもうた奇跡、故に」


「…払えるものはない! だが、息子さえ助けてくれれば俺が奴隷になってでも金を必ず持ってくる! お願いだ!!」



 血を吐くようにして貧しい獣人の男がその寺院の司教に縋りつき、何度も床に頭を擦りつけた。

 その腕の中には虫の息の獣人の幼い子供の姿がある。



「信用なりませぬな。これは我らが主神、法と秩序を司る女神メッサイアが定めた代価です。金貨一枚すら払えぬとあってはお引き取り願うしかありますまい?」


「ううっ…」



 無力さと悔しさで獣人の父親の目に涙が滲む。

 その様を見ても司教とその取り巻き達は親子を見て冷笑するばかり。


 だが、その場に居合わせただ一人、聖堂の衣を纏う者で身を震わせる者が居た。



「司教!なにとぞ御慈悲を! まだこんなに幼い子供ではありませんか!?」



 その我慢できずに飛び出した若き青年神官。

 彼が女神の洗礼と共に与えられたは洗礼名ホーリーネームはモードマリオ。


 シャルナーク派の言う秘薬・・を製作する薬師でもあった。



「…何を言う。その様な軽率な真似をすれば、この栄えある金の聖堂寺院は貧民街スラムの病人共でごった返してしまうであろう? そうなれば汝は何とする?」


「ならば力尽きるまで救うまでのことでしょう!」


「馬鹿な事を。奇跡とは…限り・・あるからこそ尊いのだ。誰も彼も救うなぞ、女神の御力を以ってしても不可能なこと」


「でっ、ですが…クッ! 御免!!」



 のらりくらりと暗に女神の意志だとばかりに騙る司教に青年神官は義憤に顔を歪めたが、流石にもう我慢の限界と親子のもとへ駆けよった。


 見れば獣人の子供は既に危篤状態であり、手や足の指先の幾つかが失われ、微かに腐臭すら漂っていた。



「惨い。…麦に憑く精霊の呪い(麦角病)にやられたか。最早、私の力では苦しみを和らげることくらいしかできないかもしれないが…!」



 青年神官は懐から水の入ったフラスコのようなものを取り出してそれに印を結ぶ。

 すると、そのフラスコの底にルーン文字に似た光る紋様が浮かび上がり仄かに発光を帯びた中の水が流動を始めたのである。


 ――彼が持つ『神聖魔術』の力、信仰と魔力を用いて聖水・・秘薬・・へと昇華したのだ。



「……沈痛の秘薬です。せめてコレを」


「あ…ああ…っ」


「何を勝手な事をしている!」



 だが、その生成した秘薬を獣人の子供の口元に近付けようとした青年神官は背後から他の寺院の者達によって取り押さえられてしまった。



無駄な細事・・・・・に力を消耗するでない! お前にはまだこれから貴族共に納める分の在庫をつくるという神聖な仕事があるのだからな」


「む、無駄な…だと…?」



 その司教の言葉に青年神官は絶句し、獣人の父親は絶望する。

 だが、悲劇は終わる事は無い…敢え無く幼い獣人の子供は父親の腕の中で息を引き取ったのである。


 泣き喚く父親をただ膝を突いて見やる青年神官。



「ふむ。元から助からぬ命だったのです。では、お引き取り願いましょうか? …これから来客・・を迎えねばならないのですよ」



 容赦ない言葉に父親が怒りに満ちた顔で司教らを睨み付けたが、やがて息子の亡骸を深く抱きしめて立ち上がった。



「ま、待ってくれ――

「薄汚い手で触れるな! この守銭奴共め!! 貴様ら全員、ヘカトンの谷に堕ちるがいいっ!!」



 怒りに任せた獣人の父親に手を振り払われた青年神官は力なく床に倒れ、その手にしていた秘薬が割れて地面に小さな染みをつくった。


 獣人の父親は嗚咽しながらトボトボとその寺院を後にした。



「ふん! 薄汚い貧乏獣人が図に乗りおるわ。これもキアラルン派が女神と聖堂は万民の味方だと吹聴し、あのような輩を甘やかすからだ! お前も目が覚めただろう? 施しをしようとしてもあの態度…どこまでも救われん悍ましい連中よなぁ」


「…………。……救われないのは…っ! 悍ましいのは――――」



 青年神官は激怒した。


 死んでしまった獣人の子供を悼みもしない女神の名を騙る者共に罵詈雑言を浴びせ、口論の末に寺院を飛び出したのである。



 ――…寺院の前に居た風変りな三人組・・・には目もくれずに。




  $$$$$$$




 ――こんな罪深い私など、もう、生きる価値すらない。


 私は結局、誰を救ったのだ。

 本当に病に喘ぎ、にじり寄る死の使いに怯える者達か?


 違う、私の秘薬は所詮…寺院の金集めの為にあったのだ。


 私は洗礼名であるモードマリオの名を聖別の義(※出家と同義)の際に女神メッサイアから授かれたことを……今でも思い出しては涙が出るほどに嬉しく、そして誇らしい。


 かつて、私の故郷であるアレクサンダー公爵領の領境にある村に訪れた老いた僧侶が、村人に無償で治癒の奇跡を行い、病に伏せっていた私の家族までも助けて下さったあの光景を……私は、一生涯忘れる事は無い。


 だからこそ、私はその僧侶に師事を乞い、こうして女神の道を求めたのだから。


 そして、このアーバルスで水鏡の儀で私に『神聖魔術』の才ばかりか、『薬師』の天性まであったことが判明した時は感嘆に咽び泣いたものだ。

 私もあの素晴らしい師のようになれる。

 困窮する人々に女神の御力を借りて助けることが出来ると!



 だが、何と人は愚かなことか。

 私が身を置くことになったシャルナーク派は完全に腐敗していた。

 これはシャルナーク派に限ったことではないのは承知している。


 あの獣人の父親が言った通りだ。

 シャルナーク寺院は複数の貴族と商会と癒着している。

 よって、私の作る秘薬は単なる金稼ぎと御機嫌取りの愚物と化していた。

 

 少なくとも、秘密裏に私が寺院から持ち出した以外で下層民の手に渡った試しはないし、その治療費も在庫を鑑みてか高額でとても払えるものではない。


 しかし、私一人にできることには限りがあった。

 いっそ銀の聖堂寺院…キアラルン派に助けを求めようとも思ったが、シャルナーク派の稼ぎ頭の一角である私は監視を付けられ、固く接触を禁じられていた。



「…………」



 私はあてもなく中央通りを南下していたが、不意に来た道を振り返った。

 経済の中心地たるこの城塞都市は今日も人で溢れ騒がしく、一見すると豊かさに満ちていると錯覚しそうになる。


 だが、視界を横にやれば大通りに面して連なる商店の隙間にある影の路地には、うずくまる者達の姿が見え隠れしているのだ。


 …かつて、傾きつつある陽の光が映えるあの金と銀の聖堂が何と美しく、頼もしく思えた事だろう。


 しかし、今の私には何の感慨も湧いてこないのだ。


 私は無意識に通りの屋台に向っていた。



「……すみません。あるだけ・・・・、貰えませんか?」


「へえ? 随分大喰らいな坊さんだね~! まあ、若いんだから仕方ない…って、ああ~なるほど? わかりましたよ!」



 何かを察した屋台の店主が、追加で串焼き肉を手ずから焼いてくれて私に包んでくれた。


 私は頭を下げてその代金を払おうとした。



「一人前でいいよ! アンタみたいな聖人様から金を巻き上げちまったら、死んだ後にヘカトンの谷に落っこちちまうからよお! へへ! 今日は特別に奢りさ! さあ早く行ってやんなよ?」


「……感謝します」



 私は店主に最大の敬礼を捧げた。

 私が…聖人?

 聖人など存在しないよ。


 貴方のような者の方がよほど聖人に相応しいと思うが?



 私はその包みを持ってそのまま路地へと踏み入った。

 そこには思った通り数人の乞食がたむろしていた。

 近付いた私に気付いて顔を上げたのは、まだ幼い獣人族…いや獣人とのハーフの少女だった。


 ……あの息絶えた獣人族の子供の顔が重なる。


 私が包みを渡すと驚いたように跳ね上がり「これ貰ってもいいの!?」と言うので私はただ頷く。

 一斉に周りの子供達もその包みに群がり、串焼き肉を嬉しそうに頬張り始めた。



「おっおい!!」


「あ。違うよ!? このニーチャンは良い人間さんだよう!」



 路地の暗がりからまた数人の襤褸切れを纏った者達が現れた。

 この少女と同じ獣人のハーフだろう彼はまだ十代半ばの少年だった。


 その震える手には鈍く光るナイフが握られている。



「…しまいなさい。怪我をしたら大変ですから」


「え…」



 私は懐から取り出した財布を少年に握らせ、おもむろに自分が纏っていた法衣も脱ぎ去る。



「僅かですが、銀貨が幾らか入っています。それとこれも…服屋に持っていけば金貨の一枚程度にはなるでしょう。……もう、私には必要ありません・・・・・・・。差し上げられるものはこれで全てです」



 少年は困惑しているだろうが、私の贖罪にもう少しだけ付き合って貰う。



「少年、名前は?」


「うっ? は? …あ、いや、リンドのバル…だ」



 リンド…ここからだいぶ離れた土地の名だ。

 地名から名乗るということは、彼は歴とした獣人社会に属していることを意味する。



「そうですか。リンドのバル。私も君も、きっと多くの者は苦しいばかりの人生でしょう。ですが、悪行に奔らず堪えることです。きっと女神様は君達を見捨てたりしない…必ず、努力すれば、いつか幸福は訪れる。そうあるべきなのです……っ!」


「おい! 坊さん!? ちょっと待ってくれ!?」



 私は最期に師から教わったその言葉を彼らに遺してその場から立ち去ることにした。




  $$$$$$$

 



「なあ? もうそろそろ閉門の時間だけど? あのずっと石橋で呆けてる坊さんに声掛けた方が良いんじゃないの?」


「え。坊さんなの? あのヒラヒラしたの着てないぞ?」



 南門で夜間帯の門衛アルバイトをしている冒険者の二人がヒソヒソと話し合う。



「俺、ギルドの依頼で寺院にポーション受け取りに行ったことあるからよお。そこで見た顔なんだよ。えばり腐った他の連中と違って俺にちゃんと挨拶してくれたしよお?」


「ふーん。じゃあ締め出しちゃ拙いよな? やっとあの赤い鷲の乙女の二人と交代して貰った割の良いこのバイトを早々にクビになりたかないしな。…俺、声掛けてくるわ」


 

 二人組の片割れが石橋の上に佇む青年神官に向って駆け出したが、それでもその青年神官はただ石橋の下の水壕の水面を見つめている。



(ああ…あの暗い水の底は死の世界。ヘカトンの谷へと通じているであろうか)



 青年神官が突如として石橋の端のガードに足を掛けて身を乗り出したので、トコトコと呑気に歩いていた冒険者が「えっ」と声を上げ、ギョっとして反射的に脚を止めてしまった。



(女神メッサイアの教えでは、自害は重罪……だが、だが! 私の弱き心はもう、砕けてしまった…。せめて、自らヘカトンの谷に赴き見殺しにしてしまった者達の為に祈ろう)



 そして、青年神官は石橋から身を躍らせたのだった…。



「うわあ~!? 坊さんが跳び降りちまったあ!!」


「おいおいマジかよ…! もう暗くて壕の底なんざ見えやしないぜ?」



 その時、慌てふためく冒険者達の遥か頭上・・から誰にも厳かな声が静かに響いた。



『――何と哀れな。誰が汝の罪を問うというのだ? 汝のような清廉な者をこんな不幸の中でヘカトンの谷に見送ることは、余りに惜しい! ……甚だ不服ではあるが、またもや身勝手にが連れて来たあの男が汝を救うかもしれぬな。――…死ぬるな。まだ、汝には成せることがあるであろう』



 そして、一筋の光が天空より降り注ぎ、暗黒を湛える水底へと消えていった。



「…おい。何か凄いの見ちゃったな」


「……女神様って本当にいるんだなあ」



 それ以上の言葉が出ない、その真の奇跡を目の当たりにした幸運な冒険者の二人はただただ仕事も忘れ、天を仰いで祈りを捧げるのだった。




 

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