*閑話* 奴隷番号二号と奴隷番号七号
その日は、雨が降っていた。
――…そう、血の雨が。
後に“
「ハァー…ハァー……」
「本当にしぶといわね?」
「そりゃあ、スギィーラ。コイツはかの
無数の屍が転がる赤い
だが、実際にはとある超人達による壮絶な戦いに両軍ともに目が離せなかったからであろう。
その大地に夥しく血を振り撒く者に相対する二人の男女の姿があった。
一人は常に凄味のある笑みを浮かべる金髪碧眼の男。
もう一方は黒髪黒目に黒い鎧と大陸でも珍しい片刃の黒刀を手にする若い女修羅。
「英雄? そんなの私達だってそうじゃない」
「…は! 俺とお前は単なる人殺しが得意な傭兵さ。だが、コイツがお前のとこで何年も好き勝手暴れ回ってくれたお陰で――…やっと終われるんだ。少なくとも、俺が知る中じゃ本当の意味で英雄なのはコイツだけさ」
「そう、かもね。…後、私って一応は帝国将軍の地位扱いなんだけど?」
未だ戦闘中だというのに何処か緊張感の無い二人の会話。
だが、その両名に対して臨戦態勢を保つ者が、獰猛な歯を軋らせながら五体に力を入れる。
ドボドボと血が零れていた身体中のまるで抉り取られたかのような異様な傷痕に肉が盛りがってそれらを塞ぎ込んだことで出血を止めてしまったのだ。
「はあ~。亜人種…
「本当にね? 私も何とか彼の尻尾一本斬り落とすのがやっとだもの。それでも体力さえ戻れば、腕も足も何年かで元通りなんでしょうけど? ぶっちゃけ、私がいなかったら帝国軍は彼だけで壊滅状態にできたかもね」
その驚異の生命力を有する戦士の様子を見て二人は感嘆とも呆れとも取れる声を出す。
そして、1メートルを超える尾を奪われてなお、未だ消え失せることなき闘志を滾らせる彼に。
自他の流血に濡れた青緑の鱗と
亜人国最大の英雄にしてリザードマンの王となるべくして生まれた勇者だ。
「なあ? 何度も提案しているが、もう戦うのは止めにしないか。…そりゃあ、アンタの仲間を倒した俺達を恨む気持ちは解らんでもないんだが。俺はアンタを殺したくないんだよ」
「フフフッ。……私達二人掛かりでも簡単に倒せないし、かと言って相打ち覚悟で戦うのも嫌だから、大人しく降参して下さい――…じゃないの?」
「…………」
金髪碧眼の男は恨みがましい顔で女を見やる。
だが、その提案を出されたリザードマンの肉体の周囲は陽炎のように揺らめき、その鱗は銀色に染まっていく。
「……断るっ! 戦士達の魂は血と共に大地に流れ! 我らが水の女神ルサールカの下に還るのみだっ!!」
怒濤の声と共にリザードマンは両手に垂らしていた二つの鉄球を振るい両名を襲った。
だが、瞬時に戦闘態勢に入った両名もまた
瞬時にして金髪碧眼の男は鉄球の鎖を
逆に女修羅は冷静に腰から居合の要領で抜き放った黒刀で鉄球自体を真っ二つに斬ってしまった。
「――ゥウオオオオオオオォォォォ!!!!」
「一番
両手の鎖を投げ捨てたリザードマンが捨て身の
ただの体当たりなどではない。
彼は
それ故に本気を出した彼の体当たりは、その波濤だけで悠に百の兵士を一瞬で肉塊と化す破壊力を持っていた。
瞬間。三者が交わり、銀色のリザードマンの左右を二人が文字通り火花を散らすかのように
「グアアッ!?」
だが、地面に倒れたのはリザードマンであった。
彼の片足の腱の部位が何故か抉り取られ、片目には深々と刀傷が刻まれ血が噴き出していた。
「ウギギ…ッ! もう片腕が暫く使いもんにならねえぜ。全くなんてヤツだよ? 『鋼鉄化』の加護が並じゃねぇ…」
「…ブッ! ……私も肋骨が何本が折られちゃったわよ。あの鰐頭を真っ二つにしてやるつもりだったのに」
しかしまた、すれ違いに彼を攻撃した両名も無傷では済まなかったようである。
女修羅は口の中の血を地面に吐き捨てた。
金髪碧眼の男は潰れてしまった片腕に表情を歪め、女修羅の黒い鎧は横腹部分が酷くひしゃげ痛々しい。
これが超人同士の戦いかともはや観客と化した兵達は戦々恐々とその様を見ていた。
「アンタ、ちゃんとやんなさいよ。
「…手品? 俺が必死にお前ら化け物共と渡り合うのにどんだけ苦労したと思ってるんだ。それよか前から言いたかったんだが、お前こそ何だそのふざけた加護は!? “折れる度に強くなる剣を無限に生み出せる”とか、どんだけだよ!」
「だ~か~ら。加護じゃないって言ってるでしょ? 私のは
「ち、ちー…? はあ? また訳の判らんことを言う――」
だが、また痴話めいた話を始めた両名を遮るようにして再度、巨躯が立ち上がって構えた。
もはや『鋼鉄化』を維持できなくなったその顔には刺し違えても構わない必殺の死相がまざまざと見える。
流石にもうこれ以上の軽口は叩けまいと、二人も同じく顔に覚悟を浮かべた。
…が。リザードマンの巨体はズゥンと地面に伏したのである。
その背後には屍が積み重なった小山からモゾリと這い出す男の姿が在った。
手には吹き矢のようなものが握られている。
どうやら痺れ薬が仕込まれていたようだ。
意外な決着ではあったが、周囲の兵達から歓声が俄かに上がる。
「おーやるじゃん! コイツの体力が消耗するまで死体の振りしてたのか?」
「へぇー…背水の陣の我が帝国軍にも骨のあるヤツがいたのね。アンタ、名前は?」
「マ、…マライン・ファレルであります。将軍閣下殿」
ヘトヘトであった帝国軍の一兵卒が女修羅に手を引かれて起こされる。
その時、西の方から角笛の音が戦場に響いた。
両軍の兵達があからさまに動揺し出す。
それに遅れて、既に疲労困憊といったていの白旗を掲げる帝国の伝令らしき兵達が戦場を駆けまわった。
「…はあ~。……
「ええ。我が帝国軍の
西帝国の敗北…即ち、停戦宣告を予期した長きこの“四国戦争”の終戦を意味していた。
武器を手放した兵達が堰を切ったかのように喜びを爆発させた。
だが、実質この戦争に勝利したはずの中王国の兵達よりも、寧ろ、敗北した帝国軍の兵達の方が歓喜の涙を流していた。
「お。終わった!? 助かった!」
「やっと故郷に帰れる…ううぅ…なあ、帰れるぞ? 帰れるんだぞ…!」
とある帝国軍兵士が既に事切れた同軍兵の亡骸を抱えて嗚咽も漏らす姿もあった。
「――聞けっ!!」
金髪碧眼の男が叫ぶ。
この場の中王国の兵に、もはや自国の英雄たる彼に逆らう者など皆無であった。
「やっとこの糞みたいな戦争が終わる! だから俺から生き残った奴に褒美として三日間の休みをくれてやるぞ! …なあに、
ざわつく兵達に向って男は、隣で疲れた笑みを浮かべる女修羅の方をチラリと見ながらさらに言葉を続ける。
「だが、その間は…撤退する者には手出し無用だ! なに、国境を超えちまったらもう御偉方同士の領分さ? 俺達現場の人間の知ったことじゃあない。――…さあ!帝国の負け犬共っ! 動ける奴はアーバルスと王都から増援が来ちまう前にさっさと逃げ帰りやがれっ!! もう殺し合うだけ無駄なんだ!それくらい判るだろーが!!」
「「…………」」
男の言葉に暫し呆然とする帝国軍の兵達であったが、英雄の情けに涙を流しながら戦場から西へと逃げ去っていく。
「はあ。本当にお人好しね、アンタ? これからどうすんの…」
「そりゃあ、これから俺は薔薇色の人生さ! このリングストーム様はなんせこの
「…本当にその名を生涯名乗るの? センス悪いし、無駄に目立って目の仇にされるよ? ただでさえアンタ、親無し名無しの身元不明の傭兵上がりなのに」
「だからさ! その身分だって
呆れる女修羅に中王国の英雄が上着をはだけると、そこには金属糸と共に編み込まれていた無数の
「お前こそどうすんだよ。俺ならアーバルスの公爵にも口も聞けるし、あのジイサンは王都の間抜けと違って話の通じる人間だ。……ここに残らねえか?」
「…………。魅力的な提案だけどパスするわ。私は私で帝国に戻って色々とケリをつけなきゃいけないのよ。安心して? 私を戦場送りにしといて、また再戦だとか言いそうな馬鹿共の首を刎ねてくるだけだから。あ! ファレルだっけ? どうする? 私と一緒に帰る? 何なら私の転移魔術で送ってくけど」
女修羅に突如として声を掛けられた帝国軍の兵士は一瞬だけ顔に喜色を浮かべたが、直ぐに顔を伏せて首を横に振った。
「有難い申し出で……ですが、俺は帰らずに
そう言って女修羅に向って平伏する。
「…辛いわね。ソリス、ね。覚えたわ。マライン・ファレル。貴方は命の恩人も同然。家族のことは任せといて。貴方の仇もちゃんと取ってあげるから……中王国の英雄さん?」
「安心しろ。コイツも五壁のも貴族共に殺させやしないぜ」
「その言葉、信じるわよ」
腰の鞘に黒刀を戻した女修羅は暫し金髪碧眼の男と見つめ合った後に、自身の魔術らしき能力で戦場から姿を消した。
その二年後、正式に西帝国から中王国・北皇国・亜人国の三方へ特使が派遣され、停戦条約が結ばれた。
その間に中王国内で捕らえられた戦争捕虜の処遇であるが、北皇国・亜人国の者はほぼ無条件で各国に還されたのに対し、大敗を喫した西帝国は保釈金を支払う余裕は無いと言う身勝手極まる理由によって帝国捕虜達は祖国に還されることなく、死罪もしくは強制労働刑によって無残にも命を落とすことになる。
しかし、その内の若干名のみが一部の有力人物や武官の助力によって貴族達の意見を跳ね除け“生涯奴隷”として命を繋ぐことになったのである。
$$$$$$$
「おい…おい…
「…ッ。……むぅ」
目を覚ますといつもの見慣れた地下であった。
どうやら自分は居眠りをしてしまったようだな…まあ、見た夢が遥かなる故郷のではなく、あの陰惨たる戦場でのことであったのが残念ではある。
…最早、自分が故郷の土を踏む日は訪れることなどないのだからな。
「すまん。どうやら寝ていたようだ、ファレル」
「おいおい…随分と懐かしい事を言ってくれる。マライン・ファレルって男はもう死んでいる。俺は奴隷番号七号さ…ゴホッゴホッ」
眼下で横たわる老人が咳き込む。
自分は粥の入った器の横の布を取り、その口を拭ってやる。
この老人はもう自分の口を手ずから拭うことすらできないほど病で弱っている。
…あれからもう随分と月日が流れたのだな。
同郷の戦士達よりも長い付き合いになってしまった、このサピエンスの男を見るとそれを感じざるを得ない。
「老いたな。七号…」
「……嫌味かよ。そりゃあ、リザードマンのお前さんには歳なんぞ関係ないか」
「いや、自分も衰えた。最早、あの戦時のようにはいくまいよ」
「ああ…! ありゃ凄い戦いだった。今でも夢で見て小便が漏らしそうになる」
「フン…とても自分を不意打ちで仕留めた
「くっはっはっは…! あんなのマグレだ!マグレ!」
とある奴隷商の地下部屋でリザードマンと老人の笑い声が響く。
「ところでお前さん知っとるか? この前、上から飯を運んでくれた娘子から聞いたんだが……この地下に
ほう。珍しいな?
だが、あのサピエンスの商人達の中では
恐らく、訳有りの奴隷なのだろう。
「若い女と娘だそうだ。女の方は何でも貴族に旦那と娘を殺されたとかで、その貴族共に復讐しようとして捕まって奴隷堕ちになったそうだ。娘の方が……」
「? …どうした」
何故か自分に話を聞かせようとする方がそこで口籠ったものだから困りものだ。
「……相変わらず帝国の恥でな。娘の方はまだ十になった
「混血児…半分は自国の民の血なのだろう? 自分には理解できかねる所業だな」
「……ん? おっと噂をすれば、か」
まあ、自分は既に気付いていたが、上が色々と騒がしかったからな。
階段を降りてくる音は先程から聞こえてはいた。
やがて、幾つかの鉄扉の開閉音の後にその者達が姿を現した。
「…まあちょいと薄暗いが時期に慣れる。暫くは我慢してくれ」
「「…………」」
「おう! お前ら新しい仲間の奴隷番号三十五号と三十六号だ! 仲良くしてやってくれ!」
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