*閑話* 嵐の予感 



「……首尾はどうだった?」


「はいストーム様。ギルドでの宿泊を喜んで承諾してくれました。それと、途中寄ったトイレに何か仕掛けたりするような様子もありませんでした……いえ、トイレ自体にどうにも感心した様子で『コッチはこんな風になってるのか』など呟いていましたが」


「それは結構。…やはりあの風貌といい国外の者なのだろうね」



 商人ギルドには三等級以上の商会員ならば無償で利用できる宿泊施設の他に日夜、数多の商談が交わす者達に幾つもの個室のスペースが用意されている。

 アーバルス商人ギルドの受付嬢であるテュテュヴィンタが戻って来たこの高級な調度品が並ぶ豪奢な部屋もその一つである


 …であるのだが、他の交渉の場と違い多少の仕掛け・・・・・・が施されてはいた。

 そもそもギルドマスターほどの身分を持つこの男、金融部門のギルドマスターであるリングストームが利用する部屋などここを含めて極僅かである。


 そんな一見つるりと禿げ上がった丸坊主のチョビ髭に柔和な顔をした初老の男が「はあ~…」と思い溜め息を一つ吐くと、徐に上着のボタンを外し首元を緩めだらしなくソファーに深くもたれる。


 だが、次の瞬間には単なる初老の男であったはずの五体の筋肉がみるみる膨れ上がり、一回り以上もその体が大きくなったではないか。


 否、大きくなったのではない…元の体形に戻った・・・・・・・・のだ。



「ふぅー…流石に少し緊張しましたよ」


「――緊張・・? あの千人消し・・・・があんな一般素人相手にですかい」



 テーブルの上に超人たる早業で自ら整列させた金貨を見ながら呟いたリングストームの声に突如として何処からかの声が上がる。


 不可思議なことに、その声は先程までこの部屋に居たであろう新たに商人ギルドに加わった男が腰を掛けていたソファー…その背後から聞こえるのだ。

 その声にあからさまに美人受付嬢が顔を顰める。



「千人消し…懐かしいですねえ。そう呼ばれていたのも君達が生まれる前後の話だがね」



 脱力したリングストームは顔に張り付けていた無害な男の仮面を脱ぎ去って本来の獰猛な貌となり、その口端を僅かに持ち上げる。


 そのリングストームの視界の先で光が気色悪く歪んだかと思えば、やがて一人の異形な男の姿が露わになる。


 商人ギルドの内外を警備する私兵団…その中で一部の者しかその存在を認知していない者達。

 姿を現したのは商人ギルドが秘密裏に組織した暗部の男であり、そしてリングストーム直属の部下でもあった。



「素人? まあ、素人か……確かに素人なんだろうなあ。うん」


「?」



 リングストームはさも面白そうに顎をさする。



「だが、その素人の彼が『透明化』の魔装を施して完全に姿を隠していた君達の存在にああも簡単に気付くものかね? 恐らく、適格な位置までは判断できなかったが入口に張らせていたゾゾネットにも気付いてたようだし、いやそういう演技だったのかもしれんがね」


「うっ…」


「……ナーシュニルドが屁でもしたのでは?」



 その言葉にドア近くに立っていた受付嬢の隣にまたもや異形の姿の女性が申し訳なさそうな顔で姿を現した。

 その視線は暗に“お前がヘマしたんだろ?”という意思が籠められており、もう一人の異形の男に向けられている。


 彼らは特殊素材の装備の上から仄かに発光する水銀のようなもので精密な文字のようなものが全身に書き込まており、さらにその両肩には魔法効果の触媒となる魔法金属製の大きな輪っかのうようなものが頭部を挟み込むように装着されていたのである。



「いやいやっこの新型魔装に不備があったんじゃあないんですかい!? コレ…全部終わるのに二日以上も掛かったってのに。……もしくはあんなとぼけた顔して探知系の加護持ちだったんじゃないんですかい。お調べ・・・になられたんでしょう?」


「…………」



 リングストームは無言で目を細め、あの正体不明の男エドガー・マサールの手を握った方の手を握ったり開いたりと繰り返す。


 この世界には“加護”…即ち、スキルとも呼べる特殊能力が備わっている者が存在する。

 それは生まれつきの先天性のものであったり、一生の内に稀にスキルを発現する後天性のものなど様々な能力が現在まで確認されている。

 人々は女神から与えられた特別な力として総じて加護と呼称するのである。


 そして、実はギルド内でもその存在を恐れられている一見、単なる老いた男の皮を被り、かつての戦時では“千人消し”と呼ばれたリングストームという男もまた『鑑定』のスキルを持つ稀人であった。


 だが、スキルには同様のスキルでもかなりの個人差があり、彼の場合は“手で触れた対人・対物の強さ・・が判る”というもの。

 女神から幸運にもホイホイ与えられたエドガーの『鑑定』とは大分仕様が異なっていた。



「うーむ。肉体の強さは一般市民そのものではあったねえ~。天性も戦闘職やら裏仕事のものじゃないし。骨も肉も筋も特に鍛えたり酷使してはいなかった。……ただ、唯一判らなかったのが、実はその加護なんですよ」


「え。ストーム様に限ってそんなことがあるのですか!」


 

 それを聞いて受付嬢が驚愕の声を上げる。

 他の二人も同様に目を見開いていた。



「はははっ。テュー。そう信用してくれるのは嬉しいが、私にだって無理はあるんだぞ? 何、そう難しいことじゃない。『鑑定』を阻害するような効果を持つ魔具や迷宮遺物をあの珍妙な柄の下着に隠していたのかもしれないぞ? 私が過去に戦った相手にはそれらを腹の中に飲み込んだり、直接肉体に埋め込むヤツが偶にだがいたもんさ。まあ、そんな蛮行を犯せば私の手に掛からずとも魔力中毒でいずれ死んでしまうだろうがね?」


「「…………」」



 懐かしい昔話を朗らかに語るリングストームとその想像できる当時の凄惨さに無言で返すしかない三人の気の毒な部下達であった。



「まあ、私は六十年以上生きてきて見た事も聞いたこともないが、“加護を阻害する加護”…なんて能力を持っている者が存在しても何もおかしくないと思わないかね? まあ、我々にああも簡単に見せびらかしたあの異様なマジックバッグといい…恐らくは前者だろう。きっと、私やテューの『魔力感知』にも引っ掛からない難物なのだろうな。…問題はそれをどうやって手に入れたかだが――…現状情報が足りなさ過ぎる」



 スキルの中でも比較的持つ者が多い『魔力感知』は言わばその名の通りこの世界では普遍的な存在である“魔力”を如何に察知できるかというものである。

 並の…と言っても少し語弊があるが、マジックアイテム(通称“魔具”)やダンジョンから出土するそれに準じる迷宮遺物などは本来大小の魔力を帯びているので『魔力感知』を持つ者ならある程度距離が離れていてもそれを感知できるし、さらにそのスキルを鍛えた者ならばその正体さえ見破ることも可能である。

 故にエドガーが持つ見た目は単なる小汚い革袋は通常では考え難い異質な品ということになるのだ。



「ストーム様。申し訳ありません。私が迂闊にもギルドへ招き入れてしまい……」

 


 その魅力的な胸を揺らす美人受付嬢…というのも彼女の表の顔で、その正体はリングストームに幼い事から預けられて鍛えられた暗部候補生であるのだが、シュンと項垂れて頭を下げる。



「謝る事はない。あんな厄介そうな男をこのアーバルスを訪れたその日に発見できたのはむしろ僥倖と言えるだろう。私もあの男は正直良く解らない。いや、不気味・・・とすら思う」


「不気味…ですか?」


「ああそうだとも。先ず、単なる身分証明欲しさに冒険者ギルドではなく商人ギルドを訪ねて来る者はいないだろう? だが、それなら商売をしようとする者としては余りにも素人過ぎる、いや、向いていない。冒険者あがりのナーシュニルドには解かりますか?」



 リングストームは髭を弄りながら、顰め面で頬を掻く部下の男に続きを促す。



「ええまあ。…その金貨、アヴェリア金貨じゃなくて全部あの・・ウーグイース金貨ですよね?」


「あっ」



 やっと受付嬢も何か頭の隅に靄が掛かったように残る違和感の正体に気付いた。



「そう。現状で最も希少な金貨だね。殆どが迷宮最深部で遺物群と共に発見されている。一応、中王国法で金貨と同価値とされてはいるが、王侯貴族含めて世界中に熱狂的なコレクターがいるほど人気がある。本来なら三倍以上に値を釣り上げてもおかしくない代物だよ」


「情けねぇ。俺も奴さんに自分の存在が何でバレたかと動揺して、直ぐ気付けなかったですよ。……それ市場に出したら値崩れしやすでしょうかねえ?」


「そんな騒ぎじゃ済まないかもしれないよ。しかも、彼は恐らくまだ持ってる・・・・・・だろう。そういった意味でも厄介な男ってことさ。あまり市場を混乱させたくないから、後で改めて話を伺う機会を設けなきゃならないし。あんな私の子供のような挑発でポンと公共の場で出されたらほぼアウトだしね…」



 テーブルの上に並ぶその貴重さ故の厄介者・・・を囲む四人が唸り声を同時に上げる。


 そもそもだが、リングストームはその厄介な正体不明のエドガーを早急に商人ギルドで囲う為に三等級商会員などという待遇をほぼ独断で許してしまった。

 しかし、本来であれば例え1億リングを出されても相当な貴族か有力家に連なる者でもない限り即決でその地位を与えられる者など皆無であった。

 商人ギルドはそういった王侯貴族との癒着を恐れ、その辺の調整は非常にシビアなのだ。

 だが、どこからともなく現れた訳のわからない男が時価でその数倍の価値があるかもしれないものを簡単に放り出す様を黙って放置することは後に過大な経済問題に発展する可能性があるし、その男が商人ギルドかもしくは他の勢力によって物理的に姿を消すのは目に見えている。

 であれば端から万全の味方側として立ち、有用に使える人材ならば使えるだけ使い倒した方が良いという商人ギルドとしては非常に平和・・的な処置とも言える。


 つまり、エドガーは先のやり取り如何によってはこの部屋で姿を消す・・・・ことになる可能性も十二分に有ったのである。

 いや、そもそもエドガーには知る由もないが、この部屋はそういった手合い専用の防音・監禁使用の特別な部屋ではあったのだが。



「まあいい。数日様子を見ましょう。今後はテュー。君が彼の窓口に立って色々と骨を折って、当面の世話をしてやってくれ。勿論、監視も兼ねる。何かあれば随時、私に報告するように」


「はい。ストーム様」


「ナーシュニルドとゾゾネットも他の業務と平行して監視に入って貰います」


「わかりました」



 と、そこでいわれなき屁コキ疑惑を被ったナーシュニルドが挙手する。



「一応、確認なんですがね? 余りにも問題と思われる行動が確認できた場合は…」



 リングストームが部下の質問に即座に回答せずただ首を傾けてゴキリと鳴らす。

 その一瞬の後に両手が超高速で数度振るわれたかと思うとテーブルの上の金貨は三人の部下の目の前から全て消えていた。



「……非常に残念ですが、こうなって・・・・・貰う事になるでしょう。彼の存在が世の為の薬ではなく毒、であった場合ですが。私達は単なる商人としてだけでなく、我が商人ギルド、延いては世界経済を守らなくては、ね?」


「「…………」」


「…ふむ。ところで話は変わりますが、テュー。それとゾゾネット。君達、今夜の予定は空いていますか? 失敗・・しても構いませんので少し頼みたい仕事があるんですが」


「「…え」」




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