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第57話

プルルルル。



ガチャ。



「はい、生命終了支援センターです」


6月28日の朝。眠るように死ぬ予定だったのに目が覚めた。


全てはこの電話から始まった。あの時電話をかけなければ、今の僕はなかった。


この人は、もちろんあの祈さんじゃない。あの数日間一緒にいた彼女が消えてしまったのだと改めて思い知らされ、ストンと気持ちが落下していく。


「叶崎颯介です」


「ああ、颯介さん。お世話になっております。この度は祈が粗相をしてしまい、大変申し訳ありませんでした」


「とんでもないことをしてくれましたね」


「完全にこちらの過失です。まさか西暦をわざと間違えて伝えてきたなんて」


最初の日、祈さんが支援センターに嘘の電話をした。


叶崎颯介さんの終了年月日をお伝えします。


6月28日でも、85年後の2106年6月28日を希望されています。



「こんな事例、よくあるんですか?」


「そうですねぇ〜、前代未聞です。祈はモデルの性格が反映されますから、そのせいでしょう」


「初めから、彼女は僕が生きたくなることがわかっていたんですね」



「本部でも今回の対応について協議されています。今後は改善策を立てますので……。叶崎さんには相応のお詫びを」


「お詫びはいりません。代わりに祈について聞いてもいいですか?」


「はい、なんなりと」


「祈さんは、どこに行ってしまったんですか? 消えて、それっきりなんでしょうか?」


「そうですねぇ……デジャブってご存知ですか? 行ったことのない場所なのに来たことがあるような、見たこともない人なのにどこかで会ったような。祈は本人の心の欠片を借りて造ったものですから、消滅後は本人の元に返るだけです。颯介さんの身近な物で例えるなら、ちょうど端末本体とSDカードのような仕組みです。颯介さんが未来で本人に会えば、彼女はちょっぴりこの日々を思い出すかもしれませんね」


「それは、祈さんが未来に帰ったと思っていいんですね?」


「まぁ、ある意味そうです」


良かった。彼女が何も無い世界に行ってしまわなくて。僕は長くため息をついてずるずると壁に持たれて床に腰をついた。



「生命終了支援センターを利用できる方は未来に大切な人がいる方限定です。だいたいは、顔も性格もわからない未来の人のことなどお構い無しで自分が一番でした。そして人によって結果は違います。何十年も祈と他愛ない生活して命が終わった方、祈や誰とも関わらず独りで終わった方、途中で生きたくなって契約解消するために祈に手をかけた方もいました。だいたいがこの3パターンですが、颯介さんは違った。あなたは自分が生きたくても祈に手をかけず、人と同じように愛した。だから祈もあなたを愛していたんでしょうね」


「初対面で日時を偽ったのはなぜでしょう? 彼女は僕のことなんか全く知らない状況だったのに」


「一目惚れですよ。それしかありません。好きな相手を救いたいのは当たり前じゃないですか。例え自分を犠牲にしてでも。あなたもよくわかっているはずです」


一目惚れ。それはおかしい、こんな冴えない男を初めて見て惚れるなんてありえない。


本人は消えていなくなってしまったから真相はわからない。


「彼女は優し過ぎるから、結果的に誰にでもそうしていたと思います。あなた達は、まるで人間の心理を研究するための実験をしているみたいですね」


「否定はしません。いつか本物に逢えばわかるでしょう。さて、颯介さんはこれからどうしたいですか? 今回は特例ですので契約を継続し命を終わる日時を改めて設定するか、契約を解消できます」


「契約を継続すればいずれ母に会えるけど、奏雨さんには会えない。契約を解消すればいずれ奏雨さんに会えるけど母には会えないってことですよね?」


「そうです。欲しいものを2つ手に入れることは叶いません。ご存知の通り、お金が欲しければ時間を、命が欲しければ別の命を頂くのがあなた方『本物の生命』です。お母様、今も転生せず颯介さんを待っている状況ですよ。84年後までも待っているつもりなんです」


中学生の頃、修学旅行に行った帰りのバスで渋滞を起こして家に着くが夜になったことがあった。連絡はしていたけど母さんは玄関で立って待っていた。夕方から5時間も外で待っていたらしい。


馬鹿だなぁ、心配することないのにって呆れた。そしたら、颯介が帰ってくるなら何百時間でも待つよと言ってくれた。84年待つのも母さんにとって容易いことなのかもしれない。


鼻がつんと痛くなり涙が出そうなのを堪える。


「……母さんに伝えてほしいことがあるんですが、お願いできますか?」


「はい」


「いい息子に育たなくてごめん。遠回りしたけど、生まれ変わったつもりで頑張るから心配しないでって。また、いつか親子になろうって」


「承知致しました。ご本人にお伝えしておきましょう」


「ちなみに、生まれ変わったら何になりたいっていうのは自分で決められるものなんですか?」


「はい、生前罪のない方は希望通りの生き物に転生できます。罪がある人は害のない微生物に転生しますが。咲子さんの場合、花に生まれ変わりたいとのことですね。その後にはまた人として生まれたいと」


「母らしいです」


「それで、どうなさいますか?」


もう一度チャンスをもらった命。僕の答えはもう決まっている。それに、未来で奏雨さんが待っている。


「契約を解消します。面倒かけて、すいませんでした。二度と電話はしません」


「いいえ、咲子さんの息子さんならそうおっしゃると思っておりました。この度は当支援センターをご利用いただきありがとうございました」


「本当にありがとう、ございました」


「颯介さんのご多幸をお祈り申し上げます」


それきり電話はかけなかった。通話履歴を消して電話番号が書かれたメモも捨てた。生命終了支援センターとの繋がりは途絶えた。


不思議な縁が切れて、体の一部を失くしたような喪失感があった。奏雨さんが使っていた部屋に折りたたまれた布団、調理器具に付着するわずかな水滴、咲き誇る花々。嘘みたいな日々の痕跡は至る所に残っている。


切なさが喉の奥から込み上げてきて、息がしずらくなる。数秒目を閉じて泣くのを堪えてから、また目を開けた。


僕はゴミ袋に入れた家具や物を取り出して、元の位置に戻す作業を始めた。そうして空になったゴミ袋には破った遺書を捨てたのだった。

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