第53話
祈さんはやっぱり猫そっくりに目を見開いた。
調子のいいことを言ったわけでも嘘をついて機嫌取りをしたわけでもない。したところで解決にならない。相手が悪魔で気まぐれなら、契約のルールを変えてくれるかもしれないけど。
祈さんと共に日々を重ねる毎に、まだ見ぬ未来がちらついては首を振って打ち消した。それがだんだんと消せなくなってきて、橋の下でもずっと考えてた。本物の彼女に出逢った時を想像した。
「知ってのとおり、アンドロイドだからって殺すことは僕にできない。君を一人で消させるつもりもない。一度自分で決めたことだから、腹を括るしかないんだ。わかってる、わかってるのに……。本当、女々しいな。いっそ女に生まれたら良かったかな。笑ってよ」
祈さんは笑わずに硬い表情のまま黙っていた。代わりに、母さんの遺影が僕らを見下ろして笑っている。
「……夕飯、ロールキャベツはどう? お昼は食べてないでしょ?」
これまでの話を無下にして彼女は関係ない夕飯について聞いてくる。どうにもならない話題をわざと避けたように見えた。
不思議だな、さっき独りでいた時は死に対して恐怖があったのに、祈さんが傍にいると全然怖くない。
「そうだね、一緒に作ろう」
台所に二人並んで料理を作る。そこのボウルを取って、調味料を戸棚から出してなど必要な会話しか交わさない。でも刻々と迫るお終いの足音をお互いに感じ取っている。
できた料理をテーブルに並べる。有り合わせのものでスープも作った。
「いただきます」
いよいよ最後の晩餐。腹いっぱいに食べておこう。
「美味しくできたね」
僕がそう言っても、祈さんは目を合わせようとはしない。
「うん、美味しい」
こんなに静かな食卓は、独りの時以来だ。最後くらいは和気あいあいと楽しんで、なんてとてもできない。
21時。食器類を片付けてガスの元栓が閉まっていることも確認する。家中の窓の戸締りも終えて、あとは0時を待つだけ。
書き終わった遺書を折りたたんでテーブルの上に置く。僕がこの家で永い眠りについた後、誰かが見つけてくれるのを祈る。
「叶崎君、雨があがったみたい」
1日降ったり止んだりを繰り返した雨がやっとあがり、空には雲がなくなって星が見えた。
「そういえばテレビで夜景特集をやっていたんだ。近くにもあるでしょ? 夜景スポット」
「うん、近所に高台へ続く石段があるんだ。路上の隅に車を停めて眺める人もいる」
「せっかくだし、行ってみない?」
「これから?」
「あと3時間、ぼーっとしてるのももったいないじゃない?」
確かに、あとは時間が来るのを待つだけっていうのももったいないし落ち着かない。それなら貴重な時間を1分でも有効に使った方が得だ。
ちょっと見に行くくらいなら時間に間に合う。僕達は何も持たずに夜の外へと赴いた。
虫とカエルの鳴き声が聞こえる。湿った道には所々水溜まりができていて、踏まないように街灯の灯りを頼りにして避けながら歩いた。
高台に向かうには2つのルートがあって、カーブのある道路沿いの歩道を行くか、真っ直ぐ続いた石段をのぼるか。僕達には時間がないから短距離である石段の方を選ぶ。手すりがないし夜は足元が見えずらい。
「あっ」
後ろにいる祈さんはうっかり段差を踏み外しそうになった。
「大丈夫?」
「うん、雨で滑ったみたい」
「……掴まって」
僕は手を差し出した。転んで怪我をさせるわけにはいかない。
祈さんは躊躇ってからゆっくり僕の手を取った。ひんやりした手を握って再び階段をのぼる。
「遠回りすれば良かった」
「ううん、冒険みたいで悪くないよ」
お互いの肉体が消えれば必然的に手を繋ぐことはできない。魂だけになって温かさも冷たさも感じなくなる。
ぎゅっと強く祈さんの手を握り締める。命が終わったあともこの感覚を忘れないように。
考えていることは同じなのかはわからないけど、祈さんも僕の手を力いっぱい握っていた。
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