85年のプレゼント
第52話
しおれたブーケを持って帰宅する。しばらく帰ってこなかった僕を心配した祈さんは、門のところで傘をさして待っててくれた。
「どこまで行ってたの?」
「花を買いに」
「隣町まで行ったの? もう夕方だよ。……帰って来ないかと思った。傘は?」
「どこかに忘れた」
加賀美さんの家を出て、すぐに帰らず名も知らない橋の下でじっと蹲っていた。雨が強弱を繰り返しながら降り続けていて、まるで僕の葛藤の波と合わさっているみたいだった。
辺りがもっと暗くなる前に帰らなくちゃと本能的に動いたのは何時間も経ってからで、公園に設置された柱時計を見ると16時を回っていて、僕の命ももう12時間を切ったことを知る。それはこれから歯を抜く時より、高校受験を明日に控えた時よりも遥かに恐ろしくて、足がガクガクと震えてよろめきながらどうにか家に着いた。
ブーケを受け取った祈さんは半分嬉しそうな顔をして、半分は不安そうな顔をした。
「ありがとう、花をもらったのは嬉しいけど、その顔はどうしたの?」
赤く泣き腫らした目にへの字口になったのを見て仰天されるのは当たり前だ。ただ花屋に行ってこんなにブサイクになるはずないんだから。
とにかく寒くて仕方ない。雨が強くなってきたし遠くで雷も鳴っている。家の中に避難して、水浸しになった靴を脱いだ。祈さんはタオルを持ってきて濡れた僕の髪を拭いてくれた。
「捨てられた野良猫みたい」
顔が近い。小さな頭に切れ長でスッとした目。猫に似ているのは祈さんの方だ。まつ毛の上に雨の水滴が乗っていたので、人差し指で払いとった。
驚いた祈さんは瞬きをして少し後ずさる。
「ごめん」
「……出て行った時と様子が違う」
真っ直ぐ見つめてくる彼女から目を逸らす。語彙力が涙と一緒に流れ出てしまったみたいだ。謝ることしか脳がなくなった。
「ごめん」
「何に謝ってるの? ブーケがしおれたこと?
いきなりまつ毛触ったこと? 頭を拭いてあげたこと?」
「ごめんなさい」
「叶崎君?」
家を出た時と今では確かに違っている。何で今日になって真実を知ったんだろう。もう手遅れなのに、心変わりしてしまうなんて。
「どうすればいいのか、わからない」
加賀美さんから聞いた話を祈さんに全部言った。取り返しがつかないのに、僕の気持ちが変わってしまったことも全部打ち明けた。どうこうしてもらいたいわけじゃなくて、聞いてもらいたかっただけ。
もう手遅れだよとか、私を殺せばいいとか激怒してもおかしくはないのに、祈さん「そっか」とだけ言って居間へと歩きブーケを飾り祭壇に添えた。
「叶崎君の目、ちゃんと生きてる。最初とは全然違う。喜ばしいことだし正しい判断だよ。気づくのが少し遅くなったけど」
「馬鹿だよね」
「うん、馬鹿。誰が考えたってそう。自分の子が後を追って死んで、喜ぶ親がいるわけないじゃない。だから言った、後戻りはできないって。お母さんに会いたい気持ちを否定するわけじゃないけど」
「君にも」
「え?」
「君にも逢いたくなってしまったんだよ」
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