第51話

未来に自信がないの。それが母さんの口癖だったそうだ。僕の知っている母さんは、決して悲観的なことを言わない明るい人だった。


「母は、いつもプラス思考でした。父が出て行った時はひどく落ち込んでいましたが、死んだ日の朝だって明るく僕を見送ってくれたんです。いつから、どうやって未来に自信を持つようになったんでしょうか」


加賀美さんは顎に手を添えて何かを考え込んだ。


「……お母さんが変わったきっかけは、ちょっと変な出来事があったからなんだ。言っていいものか迷ってる。いや、お母さんが狂ったとかそういう意味で話すつもりじゃないことはわかってほしいんだが……聞くかい?」


「教えてください。どんなことでも」


「……ある日、お母さんはどうやってかおかしな会社の電話番号を手に入れたんだ。なんとかセンターっていう聞いたことないところなんだけど、命の終わり方や寿命をコントロールしてくれる場所だってへんてこりんな話をしたんだよ。止めたのに電話をしてしまって……。神でも仏でも信仰できる何かに縋りたかったんだろう。でも、申し訳ないけどやむおえず距離を置いたんだ。精神科に連れて行こうかと悩んだりもした。友達としての付き合い方がわからなくなってしまったんだ、ごめんよ」


もうすでに謝る相手がこの世にいないから、代わりに息子に謝罪する。なんだか現実を突きつけられて、かえって胸が痛くなる。


そしてやっぱり母さんは生命終了支援センターを利用していた。あの日事故で死んだのは本人が望んだせいだ。なぜあの日で、残酷な死に方を選んだのかまではわからないけど、はっきりしたのは未来の大切な人は僕じゃなかったってこと。だって契約をしたら大切な人には会えない決まりだ。祈が傍にいないのは、不要にして消滅したからだろう。


想像の結論として辿り着いたのは、あの笑顔も優しさも偽りってこと。


これ以上聞いたら辛くなって、自分が壊れるんじゃないかと怖くなった。


「すいません、やっぱり僕、怖くて聞きたくないです」


腰をあげて立とうとすると、加賀美さんは焦って引き止めてきた。


「待ってくれ、君のためにも伝えた方がいい話なんだ。僕だって未だに信じられない、だけどお母さんは未来を生きる選択をしたことは間違いない。事故で死にたくなかったんだよ」


「気休めはいりません。それに加賀美さんが嘘をついてるなんて思ってません。その、なんとか支援センターの電話番号が、母の遺品から出てきましたから」


「なんてことだ、まさか、電話はしてないだろうね?」


余計な心配をかけまいと、僕は嘘をついて首を横に振る。加賀美さんはほっとした表情を浮かべた。


「君は勘違いしている。……これから話すことを信じてほしい。お母さんの名誉でもある」


必死になる加賀美さんの話を、僕は立ったままもう少し聞いてみることにした。


生命終了支援センターに電話をしてから数日後、朝早くに加賀美さんの家を母さんが訪ねてきたそうだ。


それも、今しがた産まれたばかりの赤ん坊を抱いて。


「赤ん坊って……」


衝撃的な話に頭が混乱した。一体、どういうことなんだろう。


「びっくりしたよ、中学生で、しかもお腹が膨らんだ様子もないのにいきなり赤ん坊を産んだと思ったんだから。幸い僕の両親は出張で不在だったから良かったものの……。とりあえず彼女の家で事情を聞くことにしたんだ」


話によれば、母さんは早朝に外の方から赤ん坊の泣き声が聞こえてきて、玄関ドアを開けると赤ん坊がタオルで包まれて置かれていたのを発見した。取り乱して加賀美さんに相談しようと赤ん坊を抱えて家に走ったそうだ。


「警察に連絡しようとしたら、お母さんはまたおかしな言動をしたんだ。赤ん坊と一緒に置かれていた紙を眺めて『この子、人間じゃないみたい』って。さすがに僕も呆れ果ててお母さんから紙を奪い取って読み上げてみた」


紙は契約書と重要説明要項。赤ん坊は、母さんが未来で出会うはずの大切な人をモデルにしたアンドロイドだった。


「あまりにも非常識な内容に立ちくらみを起こした。でも説明に書いてあるとおり脈拍がないし冷たかったんだ。作り話じゃない、本当にあったことだよ。24時間以内に契約書にサインしないと赤ん坊は消える。お母さんは何度もペンを握っては手放して、握っては手放してを繰り返していた。そのうちわっと泣き出して僕は1日付き添って宥めたんだ」


母さんは赤ん坊の正体が誰なのかわかっている様子だった。そして、契約書にサインはせず、食事も睡眠もとらずひたすら赤ん坊を抱いてあやしていたという。


ちょうど24時間後の午前6時。赤ん坊は音も立てずに消えた。


「僕らは白昼夢でも見てたんじゃなかろうか、お母さんの葬式で君を見るまでずっとあの出来事を忘れていたよ。大切な人の姿をしたアンドロイドは、お母さんが未来で初めて会った時の姿なんだって。どうだろう、この話が本当だとしたら、赤ん坊の正体がどこの誰の子なのか、君にはわかるかい?」


「……僕?」


「そうだ、あの子は君なんだよ。お母さんは未来で産んだ本物の我が子に会いたくて生きることを選んだんだ。君はお母さんの命の恩人なんだよ」


とんでもない真実は僕の身体に電流を走らせ、硬直させた。目の前がチカチカして、立ちくらみを起こしそうになる。


「……生きた結果、失敗したと思ってはいないでしょうか」


確かに僕のアンドロイドは中学生の母さんを救った。でも本物はこの有様。育ててくれた恩を返せず礼も言えず、父から庇うことすらできなかった無力な子。とても救えたとは言えない。


「僕に会いたいがために、酷い父に出会い、苦しんできたんです。僕が不幸にしたのと同じです。事故で痛い思いをして死んでいったのだって、間接的に僕のせいだ。支援センターに頼んでいれば苦しまずに済んだ。せっかく繋いでくれた命も惜しくないくらい、僕は生きる気力をなくしてる。母の人生は一体なんだったんでしょうか」


「颯介君」


加賀美さんは項垂れて立ち尽くす僕の両肩を強く掴んだ。


「本当にそうかい? お母さんは幸せじゃなかったのか? 君を産んだ時、君が初めて歩いた時、話した時、不幸な顔をしたと思うかい?」


遺品整理をした時、幼い僕を撮影したビデオカメラを見つけた。母さんの姿はどこにも映ってはいなかったけど、声が綺麗に録音されていた。


あんよが上手。あんよが上手。


颯介はいいこだね。大きくなったらお母さんとたくさん出かけようね。


颯介が喋った! マンママンマだって。可愛いねぇ。


大好きよ、颯介。


声が鮮明に蘇る。一瞬でも母さんに失望した自分の愚かさ。愛されていなかったわけがない。母さんの遺品の中には、僕が幼い頃に作ったガラクタもあった。覚えたての字で書いた手紙もあった。


「加賀美さん、赤ん坊を抱いていた母は、どんな顔をしていましたか?」


「とても愛おしい目で見つめていたよ。あんなに幸せそうな彼女を見たことはなかった」


ボロボロと涙が溢れ出てくる。ずっと抑えていた気持ちが破裂して、声を出さずに泣くことはできない。


「うわあああ……ううっ……ああああああああぁぁぁ」


子どものように泣きじゃくる僕の背を加賀美さんは優しく摩ってくれた。


「君には友達と遊んで勉強して恋をして、大切な人と結ばれて家庭を築いてほしい。僕にも子がいるから、お母さんがどれだけ君を大切に想っていたのかよくわかるんだ。君は必ず人を幸せにできる。自信を持ちなさい。お母さんも絶対にそれを望んでる。僕は胸を張って言えるよ。あなたの息子さんは立派に生きてるって」


視界が滲んで加賀美さんを見ることはできなかったけど、彼の声もまた、泣き出しそうに震えていた。

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