第50話

髪の一部が白髪になっている50代くらいの男性。間違いなく、母さんの葬式で泣いていた人。


僕は奇跡的な遭遇に棒立ちしたまま動けなかった。彼も僕に気づいたらしく、同じようにその場で動かなかった。


「君は、叶崎さんの……」


反射的に会釈をする。頭の中は質問でいっぱいだ。


あなたは母さんの何なのか、なぜあんなに泣いてくれたのか、どうして僕に声をかけずに帰ってしまったのか。


聞きたくても聞けないことが1つ。母さんが生命終了支援センターを利用していたのを知っているかどうかだ。知っていたなら、真実を教えてもらわなくちゃいけない。


「大丈夫かい?」


右肩に手が置かれてビクッとする。会釈をしっぱなしで瞑想していたようだ。顔をあげると男性の顔が目の前にあった。


「あ、はい。……すいません、大丈夫です」


骨ばってごつごつとした手が離れていく。大人の男の人の手は正直苦手だ。父の暴力を連想させるから。


でも、この人に触れられて嫌な気分にはならなかった。それどころか悪いものを吸い取られたみたいに身体がふっと軽くなった気がした。祈さんに触れた時と似ている。


「お母さんのこと、大変だったね」


「やっぱり、葬式にいましたよね?」


「……葬式の時、君に声をかけられなくてすまなかった。かける言葉が見つからなくて」


泣けなかった僕はこの世の悪いものを全部一人で背負ったみたいな、そうとう酷い顔をしていたことだろう。声をかけずらかったのも無理はない。


「あなたは、母の友人なんですか?」


男性は困ったように眉間に皺を寄せてしばらく黙り込んだ。


「話せば長くなる。ここじゃなんだから、僕の家に来ないか? 歩いてすぐに着く」


以外にも男性はこの近所に住んでいた。僕の家からもだいぶ近い距離にいたとは思いもしなかった。


僕は急いで花を選んで購入して、男性に案内されるまま雨に濡れた道を歩いた。


男性の名前は加賀美恭志郎かがみきょうしろう。母さんと年齢は同じで、中学生時代の同級生だと教えられた。


加賀美さんの立派な自宅の庭にはたくさんの花や木が植えられている。門には大きなフラワーアーチがあり、後に続いてくぐり抜けた。


「妻の趣味でね。好きにさせているが暑い時期は虫が集って大変だよ」


加賀美さんは苦笑いをしながら玄関の鍵を開ける。今は誰もいないようだ。


出入口側に真新しい三輪車があることから、幼い子どもと一緒に暮らしているみたいだ。


家の中も広く綺麗だった。玄関収納棚の上には奥さんと二人の娘さんらしき人物と四人で写っている写真が飾られていた。幸せそうな家族写真に目を奪われていると、加賀美さんはあがるよう声をかけてくれた。


和式の居間に案内される。「座って待っていて」と用意された座布団の上で正座になる。カチャカチャと食器がぶつかる音がして、しばらくすると加賀美さんは湯飲み茶碗とお茶菓子を持ってきた。


「ありがとうございます」


「突然誘って悪かったね。用事があったんじゃないのかい?」


購入したブーケを畳の上に置いた。少しの間くらい水につけなくても大丈夫だろう。


「いえ、家に帰るだけでしたから。それより」


「お母さんのことだね」


加賀美さんはどこか緊張しているようで、話を始めるまでに躊躇いが感じられた。僕に気遣って言葉を選びながら話そうとしてくれているんだろう。


「……さっきも言った通り、僕と君のお母さんは中学生時代の同級生でね、もう何十年も会ってなかった。結婚してここを離れていたのは風の噂で聞いたけど、いつの間に地元へ戻っていたのかは知らなかった。新聞のお悔やみの欄を見て驚いたよ。葬式で久しぶりに顔を見られたと思ったら故人でさ。まいったよ」


加賀美さんがお茶を飲むと同時に僕も合わせて湯飲み茶碗に口をつける。


「僕と仲良くなれたのは、1年の最初にたまたま席が隣だったからなんだ。嫌でも毎日挨拶くらいはしなくちゃいけないから、それで話すようになった。あの頃のお母さんは不安定だった。母親を亡くしたばかりであったし、父親は仕事で稼ぎに出ていてなかなか戻れなかったから、実質一人で生活していたんだよ。僕以外に友達はいなくて、いないと言うよりかは作らなかったんだろうね。大切な人を作ったとして、母親のようにいなくなってしまうのを恐れていたのかもしれない。僕に対しても時々よそよそしい素振りをしていたから、僕のことを大切に想わないよう必死だったと思う。見た目も細くて小さくて指先で触れただけでも壊れてしまいそうで、心が弱くて、儚い人だった」

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